貴族院からの呼び出し
レジーナは馬車から降りると、王宮を見上げた。貴族院のある王宮の入り口には騎士が警備のために立っている。硬質な雰囲気に大きく息を吸った。貴族院には何度か足を運んだことがあったが、いつも緊張してしまう。
貴族院は政治の中心であるため、様々な人が出入りしている。この国では政治的な役割を女性によほどのことがない限り持たせていないので、レジーナのような若い女性がいるとどうしても人目を引いてしまう。不躾な視線を向けられて居心地の悪さを感じた。
さらにレジーナは貴族院に呼び出された理由がわかっていて、緊張していた。ずっと未婚でも養子を取ることを許可してほしいと嘆願書を送っているのだ。いずれ呼び出されることになるだろうとは思っており、それなりに覚悟していた。
でもこうして呼び出されて貴族院へ来てみれば、覚悟とは名ばかりでぎゅっと胃が痛む。震えそうになる手を力強く握りしめて事務方に声をかけた。
「お待ちしておりました。少しお待ちください」
事務方に声をかければ、すぐさま対応された。対応に出てきたのは初老の男性だ。人当たりがよいが、やや印象が薄い男性だ。レジーナは大きく息を吸ってから頭を下げた。
「今、呼びに行っておりますので」
誰を、と思ったが黙っていた。貴族院関係する知り合いはいない。男性と待っていればすぐにエドマンドがやってきた。彼の姿を見てレジーナは驚きにぽかんと立ち尽くす。
「ありがとう。あとは私が案内する」
エドマンドは事務方の男性に声をかけると、レジーナの方を見た。
「ここは居心地が悪いだろう。案内するからついてきてほしい」
レジーナの緊張を感じたのか、エドマンドは余計なおしゃべりはせずに廊下を歩きだした。レジーナは置いていかれないように、その後ろをついていく。
「あの」
「ああ、少し歩くのが早かったか」
廊下を何度か曲がり、人通りがなくなってきたところでエドマンドの足の速さが緩む。
「速さではなくて、どうしてエドマンド様がここに?」
「あ、そうか。君に話していたつもりになっていた」
レジーナの疑問に、エドマンドはばつの悪そうな顔をした。
「私は大公殿下の下で働いているんだ」
「そうなのですか」
レジーナはどう反応していいのかわからなくなった。エドマンドには関係ないが、一緒に立ち会ってくれないかと甘い考えが頭をよぎる。
「大公殿下は理不尽なことは言わないから心配いらない」
理不尽なことを言われるよりも常識的なことを言われる方が非常に困ってしまうのだが、レジーナは黙っていた。これはやはり自分自身で向き合うべき話だ。ちょっとした甘えが出たことを戒めながら頷いた。
エドマンドは一つの扉の前で立ち止まるとノックする。
「入れ」
返事を聞いてから、エドマンドは扉を開けた。そして脇に寄りレジーナに入るよう促す。どうやらここまでのようだ。レジーナは軽く頭を下げた。
「ありがとうございました」
小さな声で礼を述べれば、エドマンドは励ますように微笑んだ。レジーナは腹に力を入れて、部屋に入る。
大きな窓を背に執務机があり、部屋の中央には来客用の長椅子とテーブルがある。壁際にはぎっしりと本が詰まっていた。調度品はどれも一級品であったが、とても機能的で余計なものが一切ない。日の光が差し込んでいるため雰囲気の冷たさは和らいでいたが、男性的な部屋にレジーナは圧倒されてしまった。
止まりそうな足を叱咤して、部屋の中へと進む。
「ようこそ。アンブローズ・ラヴィオラだ」
部屋に入れば、アンブローズが立ち上がった。レジーナはアンブローズの目を見てから、膝を折った。
「お初にお目にかかります。レジーナ・オルコットです」
やや硬い声で名乗ると、アンブローズはふっと柔らかい笑みを見せた。
「少し緊張されているようだ。取って食べるつもりはないので、気楽にしてほしい」
そう言いつつ、長椅子の方へと促された。勧められるまま長椅子に腰を下ろした。
「わざわざ来てもらったのは、貴女にきちんと確認をしたいと思ったからだ」
「確認、ですか?」
確認も何も、レジーナはすべての事情をすでに手紙に認めていた。レジーナの困惑を読み取ったのか、ほほ笑まれた。
「貴女の事情は理解できるが、それだけで法を変えることはできない」
柔らかな声音だが、レジーナにはどこか責めているように聞こえた。レジーナは姿勢を正した。
「法を変えてもらおうとは思っておりません。ただ、できれば事情を汲んでいただき、配慮していただけないかと」
「何故?」
レジーナはきつく両手を握りしめた。まさかすぐに何故と返されるとは思っていなかったのだ。目の前にいる男性は特別なことを言った様子はない。レジーナは落ち着くようにと大きく息を吸ってから口を開いた。
「理由は提出した書類の通りです。オルコット伯爵家の直系はわたししかおりません。ですが、わたしは結婚するつもりはないのです」
「貴族法をきちんと読んでいるだろうか?」
「ええ」
アンブローズは考えるように少し目を伏せた。
「貴族法にも抜けがある。結婚しても3年、子供ができなかった場合、離縁と養子を認めている」
「……知っています」
「事情を抱える貴族家はオルコット伯爵家だけではない。表立って勧められることではないが契約によって婚姻をして、白い結婚を貫いて養子を取った貴族家も多い」
レジーナは心臓が跳ね上がった。アンブローズが少しばかり咎めるようにレジーナを見つめた。
「それに対して貴女はどうかな?」
「どう、とは」
「貴女の事情により他の貴族家が取るような契約結婚をせずに、例外を認めよと言う。例外を認めるにはそれなりの理由が必要だ」
レジーナはそれに対する答えを持っていなかった。完全にレジーナ自身の都合によるものだからだ。お金を対価に、3年間だけ仮の夫としてふるまってくれる人もいるだろう。それを選ばなかったのは、レジーナの心の問題であった。
「貴女の事情をこちらもわかっている。貴女を責めているわけではない。ただ我々にも立場がある」
「わかっております」
「貴女にとって何が最善かよく考えることだ。他の貴族家が様々な手段で婚姻後子供ができずに養子を取る状態にしているのだから、貴女を特別扱いにはできないということを伝えたかった」
「……お手数をおかけしました」
レジーナは座ったままであったが、深く礼をした。
「さて、難しい話はここまでだ」
アンブローズはそういうと、侍従に茶を用意させた。美味しそうな菓子と香り高い茶が目の前に置かれた。
「このお菓子」
「気がついたかな? 先日、貴女がエドマンド……べインズ伯爵と一緒に選んでもらった菓子と同じものを用意したんだ」
「え?」
エドマンドが菓子を頼まれた相手がアンブローズだと聞いて驚いた。そして同じ菓子を用意するのもどう考えていいのか戸惑う。
「ということで、ある程度は貴女のことは調べさせてもらったよ」
「……そうですか」
貴族なら、まして無理難題を通そうとしているのだから、調査されるのは仕方がない。レジーナも付き合う上で調査はしている。だがこうして面と向かって言われてしまうのはいささか気分が悪かった。
「不愉快にさせたなら謝ろう。だが、こちらの事情も理解してもらえると助かる」
「わかっております」
貴族院のトップを相手に怒ることなどできない。不愉快な気持ちを振り払うように、レジーナはカップを手にした。ゆっくりと味わうようにお茶を飲む。
「貴女は両親を殺した女について何か知っているかな?」
「いいえ」
驚きに目を見開いた。天気の話でもしているような気軽さでアンブローズはレジーナの前に座っていた。これから見に行く劇について話しているのではないかというほど、力の抜けた様子だ。だが、アンブローズがレジーナを呼び出した本当の理由に気が付いた。
レジーナが呼び出された本題に気が付いたことで、アンブローズは笑みを浮かべた。
「本題はね、君のご両親のことについてなんだよ」
「どうして……」
言葉が続かず、途切れた。隠せないほど狼狽えるレジーナをじっと見つめたまま、アンブローズは気にせず続けた。
「知りたくはないか?」
息が止まりそうだ。今までずっと知りたい内容を誰も教えてくれなかった。レジーナが知っているのは最期の時と、葬式の後色々なところから聞かれる噂話からの推測だけだ。
娘夫婦を失っている祖父のブルースに聞くことはできなかったし、母の友人たちであるエリーゼたちに聞いても詳しいことは濁された。
周囲の人たちの反応に聞いてはいけないことなのだと子供ながらに思ったものだ。それが今、手の届くところにある。
「知りたい気持ちもありますが、怖い気もします」
正直な気持ちを話せば、アンブローズはそれもそうだと頷いた。
「では知りたいと思ったら声をかけてくれ」
「何故、教えてくださるのですか?」
レジーナはアンブローズの考えがわからずに躊躇いながらも尋ねた。アンブローズはカップに手を伸ばして、少し考えるようなそぶりを見せる。
「理由か。そうだな。大人になった貴女なら当時の背景を聞いて正しく理解できるのではないかと」
「わたしは正しく理解していないという事でしょうか?」
正しく理解していない、という言葉がレジーナの心の傷を否定しているようでレジーナは少しだけ声を荒げた。アンブローズは優しい笑みを浮かべた。
「そうではない。正しくは、伝えられていない情報があるという話だ。限られた人間しか知らない情報になる」
伝えられていない情報、と聞いてレジーナは気持ちを無理やり落ち着かせようと大きく息を吸った。
「姉と相談してもいいでしょうか?」
「もちろんだ。もし、姉君も知りたいと言うのなら二人には事情を説明しよう」
アンブローズは過去の話はここで打ち切り、違う話題を話し始めた。レジーナも特にそれ以上触れることはなかった。いくつか当たり障りのない会話をしてから、レジーナは退出した。