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オルコット伯爵家


 レジーナは長い廊下に飾ってある肖像画を見つめていた。


 昼を過ぎて傾きだした日の光が肖像画を照らしている。昨日、ランドルフと会った後から気分が悪く、部屋に籠っていたのだが、心配した侍女に散歩を勧められた。

 代々の当主家族の肖像画が飾ってあるこの廊下に来るつもりはなかったのだが、考え事をしているうちにやってきてしまった。戻ることも考えたのだが、無意識にもここにきてしまったのはやはり家族のことを考える必要があったのだろう。


 見上げる先にある大きな肖像画にはレジーナとフィオナ、そして両親が描かれている。まだ幸せを沢山手にしていた頃だった。

 幼い頃は両親は誰が見ても仲が良く、忙しいながらも子供に愛情をたっぷり注いでいた。レジーナが10歳の時に幸せな家族はあっけなく壊れてしまった。

 今でも過去に目を向ければ、両親の悲痛な声が昨日のことのように鮮やかに蘇ってくる。


「ここにいたのね」


 ぼんやりと家族の肖像画を見ていれば、声をかけられた。フィオナはいつもと変わらない笑みを浮かべレジーナの方へとやってくる。レジーナは姉の姿を認めたが、動かない。ただじっと近づく姉を見つめた。


「アクロイド様のこと、ショックだったのね」

「もうその話は聞かないわ。わたしは誰とも結婚しない。それでいいじゃない」


 レジーナのどうでもよさそうな言葉に、フィオナがため息をついた。妹の方へと手を伸ばし、そっと頬を撫でた。姉の暖かな手にレジーナは自分の体が冷えていることに気がついた。


「結婚するしないの問題ではないわ。もうそろそろ貴女も前を向いてもいいのではないのかしら?」

「わたしはいつでも前を向いています」


 拗ねたような返事をしたが、フィオナは何も言わずに肖像画の方を向いた。フィオナも懐かしそうに目を細めて家族の肖像を見つめた。


「この頃はよかったわね。みんなが幸せで」

「お姉さま」

「子供だったわたしにとって優しい素敵なお父さまだったわ。お父さまは子供が好きで、家族を大切にして。ちょっと優柔不断だったけど、お母さまが笑いながらこっちよと迷わず手を引いていたわね」


 レジーナも肖像画に書かれている父親を見上げた。濃い茶色の髪と瞳をした優しそうな笑顔を浮かべている。父であるジェッドはシャセット伯爵家の次男で、オルコット伯爵家に跡取り娘であったレイチェルの婿としてこの家に入ってきた。二人は政略結婚だったが、とても夫婦仲は良かった。

 懐かしい、幼い頃の記憶がふわっとレジーナの脳裏に広がる。


 幸せだった家族がそこにはあった。

 明るく何でも思ったら即行動に移す母とそんな母を困ったように見つめながら笑う父。

 二人の子供は仲の良い両親が大好きで、家族と遊びに遠出する日はとても楽しみにしていた。


 そんな幸せな家族を壊したのが、ジェッドの結婚前の恋人だったと言われる女性だ。女性の名前も、どうして10年以上も経ってからジェッドを頼ったのかも、何もかもがはっきりしない。


 ジェッドは何を考えたのかわからないが、彼女は愛人だったらしいと言う事だけが両親の死後噂されていた。シャセット伯爵家とは懇意の子爵家の令嬢だったということ、レイチェルとの結婚前は二人で夜会に出席していたこともあるという事実がそれを裏付けていた。


「お父さまはあの方をどうして愛人にしたのかしら?」


 声が震えている。レジーナにとっては思い出したくもない、消してしまいたい記憶だった。できるだけ考えないように、できる限り見ないようにしていた。逆にフィオナは違っていた。彼女は愛人が許されない国での婚姻を結んだ。


「気の毒だったからよ」

「気の毒」


 レジーナは何度か瞬いた。レジーナと見解が違い過ぎた。フィオナは妹が自分の言葉を理解していないことに気がつくと、言葉をつぎ足した。


「お父さまはいつだって誰にだって優しかったじゃない。昔の恋人に何か胸の内を訴えられたら、抱きしめて慰めてしまうわよ」

「……」


 見解の違いにレジーナは言葉が出てこなかった。まじまじと姉の顔を見つめる。揶揄っているのだろうかと、姉の本心を知ろうとした。姉の丸くなった顔はひどく真剣だった。


「きちんと現実を見なさいな。お父さまは断ることができない人種よ。だからお祖父さまが離縁の手続きをしようとしたら、すぐに愛人を切る方向に動いたでしょう?」

「それは、この家から出て行ったらお父さまは路頭に迷うし」

「その通りよ。妻はともかく、子供もいる。あのお父さまが子供を捨てる選択をするわけがない」


 ずっと長い間、信じていたことにひびが入る。それはひどく息苦しくて、胸が潰されそうなほど痛い。少しでも痛みを和らげようと、レジーナは自分自身を抱きしめた。


「わたし、お父さまとあの女性はずっと愛し合っていたのだと思っていたの。でもお父さまは跡取りではないから、仕方がなくお母さまと結婚したのだと」

「レジーナはそう考えていたのね。わたしはずっと愛人説が疑わしいと思っているの」


 フィオナは迷子になったような顔をする妹の背中をそっと撫でた。ゆっくりと撫でられて、レジーナは目を閉じた。暖かな手を感じていると、次第に苦しさが取れてきた。


「なんだかよくわからなくなってしまったわ」

「難しく考えることはないわ。世間がどういおうが、わたし達が知っているお父さまとお母さまの関係を信じたらいいのよ」

「お姉さまは楽観的過ぎるわ。お父さまにだって秘密はあったでしょうに」


 姉の適当すぎる言葉にむっとした。姉の言葉を借りるなら、レジーナも自分の目で見たことで判断している。フィオナはふふっと笑った。


「あなたはお父様に似たのかしらね。なんでも面倒な方向に考え過ぎよ」

「考えすぎていないわ。お父さまの方に愛情が残っていなかったらいくら元恋人が困っているからと言って、家を借りて匿うなんてしないと思うもの」

「そうかしら? わたしは逆にお父さまの断れない優しい性格に付け込まれたと思っているけど」


 レジーナは言葉を失った。同じ父親を見ているはずなのに、この見解の差は何だろうか。


「ほらね。同じように接していたわたし達ですらこんなに違うのよ。だから楽な方を取ったらいいのよ」

「楽な方?」

「そうよ。お父さまもお母さまもあの女に殺された。あの女は死罪となった。当事者は誰もいないのよ。だったらわたし達が生きやすいような理由を信じたらいいのよ」


 姉の乱暴な言葉に、レジーナは混乱した。


「でも」

「レジーナ。でもはもういらないの。あれから9年よ。真実が何であったかなんて、誰も興味ないわ。それにシャセット伯爵家ともあれから縁が切れてしまって確認もできないのだから」


 フィオナの言葉はレジーナの中で何度も繰り返された。新しい考え方はレジーナの中で消化不良を起こし、気分が悪くなってくる。


「ゆっくり考えなさい。そして自分の幸せも考えて。結婚がすべてとは言わないけど、家族を作ることも幸せの一つだわ」

「……離縁しようとしている人に言われたくないわ」

「そうね。離縁したって、わたしは彼を愛しているし、大切な愛する子供だっている。わたしは幸せをちゃんとこの手にしているわ」


 フィオナは優しく自分の大きくなったお腹を撫でた。優しい手つきが母になるのだと思わせる。


「それほど愛しているなら別れなければいいのに」

「そうしたいのは山々だけど。この子を危険に晒すような環境には置いておきたくないのよ」


 姉には姉の考えがあるのだろうが、その考えはレジーナの考えとはだいぶ異なっていそうだ。同じ両親から生まれたのに全くと言っていいほど、考え方も物の捉え方も異なっている。


 レジーナは姉との差を感じながら、ため息をついた。


「お姉さまは幸せなの?」

「もちろんよ。最善を尽くしているわ」

「ちっともそう見えないけど」


 ぼそりと毒を吐けば、フィオナが満面の笑みを浮かべた。


「人の目なんて、関係ないわ。私が幸せだと思っているから幸せなのよ」


 強い言葉にレジーナは目を細めた。姉の笑みは周りを焼いてしまうのではないかと思うほど、強く眩しいものだった。



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