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言い訳はいらないはず



 立ち込めるお茶の香りがささくれだった気持ちを落ち着かせた。それも多少ではあるが、ないよりは慰めにはなる。

 居心地の良いこの客室には、呼んでもいない人物がゆったりとした表情でくつろいでいた。レジーナとしてはさっさと帰ってほしいのだが、彼は帰るつもりはないらしい。沈黙もそろそろ辛くなってきたので、仕方がなく、本当に仕方がなく口を開いた。


「………………………………ご用件は?」


 レジーナは固い声で訪問者であるランドルフに尋ねた。彼は不機嫌なレジーナを気にすることなくふわりと笑みを浮かべた。人当たりの良いランドルフが笑っただけで、ぎすぎすした空気が少しだけ柔らかくなる。それも気に入らないと思いつつ、表情は硬いままに保った。愛想を振りまくつもりもない。


「君に会いたくなったから、会いに来たんだよ」


 歯の浮くような台詞に鳥肌が立った。甘い笑みを湛えてそんな言葉をするりというなんて、どれだけ言いなれているのか。

 貴族令息なら当たり前の台詞なのかも、仕事以外での付き合いを極力してこなかったレジーナには判断できない。とにかく、許容できそうにないのでさっさと帰ってもらいたい。


「……それだけでしたら、お帰りを」


 押し殺した声で帰りを促せば、ランドルフは声をたてて笑った。


「レジーナ嬢はぶれないね」

「ご用件は」

「じゃあ、単刀直入に聞くよ。べインズ伯爵との関係が知りたくて訪問したんだ」


 べインズ伯爵、と聞いてぴくりと反応してしまった。目を細めてランドルフはレジーナを見ている。先ほどまでの甘い空気が霧散する。ご機嫌伺というよりも噂の真相を知ることが本題のようだ。レジーナは感情をのせないように淡々と答える。


「教える必要はないと思いますけど」

「今どんな噂になっているか、知っているかい? 君とべインズ伯爵が仲良く菓子店でお茶を楽しんでいて、結婚は間近ではと言われているよ」

「………………はあ」


 レジーナは反応しないように息を凝らしていたが、とうとう大きく吐いてしまった。がっくりと肩を落とす。やはりそうなってしまったかという気持ちが大きい。それでもあの時間はとても楽しくて、もし時間を巻き戻せたとしても断ることはしないだろう。

 でも、噂になってしまうのは本意ではない。エドマンドもきっと困っているはずだ。


「その様子だと婚約するわけではなさそうだね」


 脱力しきったレジーナを見たランドルフは少しだけ硬い表情を崩した。レジーナの様子に噂のような事態にはなっていないと判断したのか、先ほどの刺々しさはない。


「貴方はわたしの婚約者ではないのだから言い訳は必要ないでしょう」

「それは冷たいな。結婚を申し込んでいるのは周知の事実なのに。それに僕の誘いをすべて断っているのも皆知っている」

「……そうね」


 確かに観劇や色々なものに誘われていてもすべて断ってきた。結婚を期待させたくないという思いからだ。それでも懲りずにランドルフはいつだって声をかけてくる。


 こうして訪問されても会ってしまうのは、短い時間であってもランドルフに対する信用があるからだ。そう考えれば、レジーナに近づきたい男性の中で一番気を許している。なんとなく浮気をしたような、変な気持ちを持った。気持ちを落ち着かせようと、カップに手を伸ばす。


「レジーナ嬢」

「何かしら?」

「どうして結婚したくないのか教えてくれないかな?」


 触られたくない話題に体がこわばった。口を付けずにカップを元に戻すと、感情を伺わせない笑みを張り付かせる。


「貴方ともべインズ伯爵とも結婚しない。これで終わりよ」

「強引だね。話したくはないという事か?」

「よくわかっているじゃない。用事がそれだけなら、帰ってもらえるかしら?」


 ランドルフは再度帰宅を促されたが、気にも留めない。優雅な仕草でカップを持ち上げ、お茶を飲む。彼の様子から、簡単に引いてくれなそうな嫌な予感がする。もやもやとした思いが胸の中に渦巻いた。


「君がそこまで話したくないということは、ご両親に関係しているから?」

「……」


 息を呑む。

 貴族なら誰もが知っている事件だ。レジーナの頑なさから両親の死を結びつけるのは当然と言えば当然だった。


 嫌な記憶がよみがえってくる。


 思い出したくない記憶と共に強い吐き気がこみあげてくる。落ち着けと、自分に言い聞かせるように俯いてきつく目を閉じた。


「そうね、両親の死が一番影響しているわね」


 小さな声で認めれば、ランドルフは大きく息を吐いた。目を開けて視線を彼の方に合わせれば、彼は柔らかく笑う。


「ようやく教えてくれたね」

「想像するのは簡単だと思うけど」

「それでも君の口から聞くことが大切なんだよ」


 ランドルフはどことなく嬉しそうだ。その様子がとても居心地が悪くて、黙っていた。ランドルフは黙り込んだレジーナを気にしない。しばらく二人して黙ってお茶を飲む。部屋の隅に控えていた侍女が黙ってお茶を淹れた。


「まあまあ、お通夜のような空気ね!」


 ノックの音と共に突然入ってきたのは、お姉さまだった。満面の笑みを浮かべて、レジーナの隣に座る。ランドルフも驚いたようだったが、すぐに人当たりのいい笑みを浮かべた。さっと立ち上がり、フィオナの手を取り綺麗な挨拶をする。


「お初にお目にかかります。ランドルフ・アクロイドと言います」

「初めまして。レジーナの姉のフィオナ・ハガードよ」

「今、レジーナ嬢を口説いている最中でして」


 にこにことほほ笑みながら、ランドルフは言う。フィオナはころころと笑った。


「まあ、なかなか命知らずな。どれほどプライドが傷ついているのかしら?」

「ははは、よくお分かりで。断られるたびに、心がこうぎゅっとなりますよ」


 ランドルフは芝居がかった仕草で自分の胸に手を当てて拳を作って見せる。フィオナは驚きに目を見張って、頬に手を当てた。


「それはいけないわ! 二度も心を掴まれてしまえば壊れてしまうでしょうに」


 二度も?


 変な言い回しに、レジーナは思わずフィオナを見てしまった。フィオナはランドルフに同情したのか、悲痛な表情で彼を見つめていた。


「何か勘違いをされているのでは? 僕の心はレジーナ嬢のところにありますよ?」

「勘違いだったのかしら? そうかもしれないわね」


 フィオナは悲しそうな表情をさっと消す。ランドルフの眉が寄った。少し機嫌が悪いのか、先ほどとはちょっと違う顔に戸惑ってしまう。フィオナとランドルフの間に見えない何かがあるようだ。


「ねえ、レジーナ」


 フィオナはお茶を一口飲んでから、レジーナの方へと視線を向けた。


「何?」

「幾ら結婚する気がないからといって、二人の男性と親密に接するのはよくないわ」

「それは」


 思わず息を飲んだ。まさかフィオナから常識的な指摘をされるとは思っていなかったのだ。フィオナはいつもと同じような調子で続けた。


「今日だってそう。貴女がその気がなくとも、こうして受け入れている。べインズ伯爵ともきっとそれなりの理由があるのでしょう。そうであっても、世間はそうは見ない。それは貴女の願いを遠ざける行動だと知るべきだわ」

「お姉さま」


 正論を言われて、言葉が出てこなかった。自然と視線が下に落ちる。


「それぐらいにしてあげてください。僕が口説くために付きまとっているだけですから」


 落ち込んでしまったレジーナを優しく庇ったのはランドルフだった。


「優しいわね」

「結婚したいと思っている相手ですから」

「ふうん。では、貴方にも聞くけれど。婚約間近にあった彼女とはちゃんと関係は清算されているのでしょうね?」


 フィオナはすました顔をして、大きな衝撃をもたらした。

 ランドルフが思いもよらないことを言われたのか、怪訝そうに眉を寄せる。


「婚約間近?」

「そうよ。知らなかったの? アクロイド様がある令嬢と恋仲であったことは一時期、社交界で噂になっていたようよ」


 ひゅっとレジーナは息を吸い込んだ。胸が異常に苦しくなる。レジーナは自分の胸を両手で抑えた。気持ちを落ち着かせようとするが、上手くいかない。


 いつまでもグラグラと世界が揺れているような気がした。


「ちょっと待ってください。僕は恋人を作った覚えはないのですが」

「あら、そうなの? でもお茶会で聞いた話によると、子爵家の娘だと」


 ランドルフが強い口調で否定した。フィオナは不思議そうに首を傾げる。


「子爵家……ああ、もしかして」

「思い当たることがあるようね?」


 ランドルフは思い当たることがあったのか、少し考え込んでしまう。レジーナをじっと見つめ、静かに事実だけを伝えた。


「彼女は親戚筋で幼馴染だ。恋人になったこともないし、結婚など一度も考えたことはない。信じてほしい」

「……何やら事情がありそうだけど、レジーナはちょっと無理みたいね。今日はこれで帰ってちょうだい」


 放心してしまっているレジーナの代わりにフィオナはランドルフを追い出した。




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