気になる気持ち
購入してきた菓子の入った箱を執務机の上に置いた。いかにも贈り物という感じの美しい包装がなされている。柔らかな中間色の色を多く使っているのも女性への贈り物として人気が高い理由でもある。
「本当に買ってきたのか」
驚いたように顔を上げたのは、大量の書類を処理している上司であるアンブローズ・ラヴィオラ大公だ。彼は現国王の年の離れた二番目の弟で、外交ではなく貴族院の長として働いていた。本人は王弟であり、王位継承権を放棄した後大公の位を頂いているためこうして役職に就く必要もない。必要はないはずだが、彼は好きでこの仕事に従事している。
単純に不正をしている貴族を見つけては追い込んでいるのが楽しんでいるだけとも思えるのだが、命が惜しいのでそのようなことは絶対に言わない。直接の上司であり、年の差が10歳もありながらすでに15年の付き合いがある。付き合いが長いのに、色々な面で勝てる気が全くしない。
今回も噂話を受け流した結果、面白くないと言って菓子を買ってくるように命令したのだ。このまま執務室にいても仕事にはならないし、突っつかれるのはわかっていたから反論することなく買いに出かけた。まさかあのような可愛らしい女性しか行かないような店だとは思いもよらなかった。
「ええ。ご要望の焼き菓子です」
「まいったな。お前の困った顔が見たかったのに」
当てが外れて唸るアンブローズにエドマンドは内心ほっと息を吐く。あの時にレジーナに会えてよかったと心底思う。少しでもアンブローズの予想を外したのなら、これほどいいことはない。しばらく真面目に仕事だけをしてくれたらどんなに楽だろう。もちろんこれは希望的観測で、今日いっぱい持てばいい方だとは思う。
「お茶を用意させましょう」
自分に与えられた席を立ち、部屋の隅に控える侍従に指示しているとアンブローズが思いついたと言うようにぽんと手を叩いた。
「わかった。お前、誰かと一緒に買いに行ったな。言え、誰だ?」
「……恥ずかしさを押し殺して買いに行ったとは思わないのですか?」
鋭い突っ込みに慌ててしまうが、すぐに表情を取り繕った。しらを切りとおせば、バレるはずがないのだ。レジーナとの楽しい時間を上司の玩具にされてはたまらない。思いかけず得た穏やかな時間を大切にしたかった。
そう考えていること自体、アンブローズにはバレているようだった。にやにやと嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。全力で上司のもの言いたげな視線を無視しながら、侍従の手を借りてテーブルに菓子とお茶を用意する。ふわりと漂う爽やかな柑橘系の果物の香りが狼狽えそうになる気持ちを落ち着かせた。
「ふふん。お前がそこまで隠したい相手となると……レジーナ・オルコット嬢か、もしくは姉のフィオナ嬢あたりかな」
図星を指され内心凹んだが、それを表に出すわけにはいかない。アンブローズはエドマンドの態度のどこに引っかかったのかわからないが、面白そうに目を細めた。こういうところがこの人の苦手なところだ。隠しておきたい感情を引き出すのが上手すぎる。
「アンブローズ様、用意ができましたのでこちらの席に移動をお願いします」
侍従がアンブローズに支度ができたことを告げれば、アンブローズはああと頷き席を立った。いつもの席に腰を下ろすのを見てから、エドマンドも向かい側の席に座った。
「お前に頼んだ割にはなかなかいい選択だな」
大きなお皿の上に盛りつけられた菓子をアンブローズは眺めると、一つ手に取った。クリームを挟んであるクッキーだ。ころんとした形がとても可愛らしい。じっと観察するように眺めてから、一口、クッキーを齧った。
「うん、やっぱり美味しいな。次からもここでお茶菓子を買おう」
「次もですか?」
毎回買いに行かされるかと思うと、気持ちが重くなる。今日はたまたまレジーナがいたから入れたようなもので、一人であの店に入るのは相当の勇気がいる。エドマンドの悲壮感が伝わったのか、アンブローズはクスリと笑った。
「次は他の奴に行ってもらうから心配するな。どうやらレジーナ嬢はとてもいい好みをしているようだな。どれも私の口に合いそうだ」
「ええ。まず最初に苦手なものを聞かれました」
さらりと聞かれて、何も考えずに真面目に返事をした。
「なるほどね。どうりで戻ってくるのが遅いわけだ」
「あ!」
つい乗せられて答えてしまったことに気が付いた。にやにやとしながらアンブローズはエドマンドを見ていた。ちらりと上司を見てから、そっと視線を外す。
いい玩具ができたと楽しんでいる顔だ。こうなるとあらゆることをしゃべらされるに違いない。表情が出ないように気をつけながら茶を飲んだ。
「レジーナ嬢と言えばかなりの美女だと評判だ。最近はお前とアクロイド侯爵家の三男が噂になっている。アクロイド侯爵家の息子が一歩前に出ている感じだったが……今日の買い物をした後に送っていったのなら、二人の仲が親密に見えるだろうな」
「……」
「なんだ、送らなかったのか? 戻りが遅かったから送っていったのかとあたりをつけたんだが」
本当にどうしたらいいんだ。自分自身の迂闊さを呪いながら、エドマンドは追及から切り抜ける方法を考える。
「べインズ伯爵様、出過ぎたことを言うようですが……諦めも肝心かと」
侍従が見ていられなかったのか、そっと助言してくる。ちらりと部屋の隅に控えるアンブローズの侍従を見ると彼は気の毒そうな顔をしていた。アンブローズに長年仕えているからこそ言える言葉でもある。買い物に行かされる前は何とか切り抜けたのに、再び窮地に立っている。おかしい。
「そうだ、全部話してしまっていいぞ。私は秘密は守るからな。それにお前限定だが、手を貸してやらなくもない」
「その言葉が一番信用なりません」
「ひどいな。これでも君には結婚して幸せになってもらいたいと思っているんだよ。君に新たな女性が現れたことはいいことじゃないか」
新たな女性、と聞いてエドマンドはため息をついた。エドマンドも愛する人がいなかったわけではない。ただ縁がなく、彼女に婚姻を申し込む前に他に嫁いでいってしまった。家同士の約束事なので、エドマンドがあれこれといえる立場ではなかった。あの時から、エドマンドは結婚に関しては無理にしなくてもいいと考えている。
「確かにレジーナは気になります」
「へえ。この間の夜会から?」
「そうですね」
とうとう観念して、誰にも言ったことのない秘密を話した。アンブローズは驚いたように目をぱちぱちさせている。
「なんだか厳つい見かけによらず君は純愛だね。意外だ」
「恋しているわけではありません。妹のような彼女が心配なだけです」
何でも恋沙汰にしたがるアンブローズの言葉を否定した。
オルコット伯爵とエドマンドの祖父はとても仲が良かった。そのつながりで何度か祖父と共にオルコット家の茶会にも呼ばれていた。初めて茶会に連れていかれたのは、エドマンドが10歳、レジーナが4歳の時だ。
誘われればエドマンドはよくオルコット伯爵家に出向いた。当時色々な問題を抱えていたエドマンドはレジーナたちの両親に悩みを相談していた。レイチェルとジェッドはエドマンドの気持ちをまず聞いてくれる。話しているうちに自分で解決することもあったし、新たな視点で物事を考えるきっかけをもらったりしていた。
相談している時もフィオナとレジーナは一緒で、心配してくれる二人には随分慰められた。こんな妹たちがいたらいいと思ったことも何度もある。
フィオナはお転婆で、とても手のかかる子供だった。放っておけば何かしら問題を起こしてくるし、レジーナは大人しく怖がりだ。いつもお兄さまと呼んでは、膝に乗りたがっていた。
レジーナに最後に会ったのは彼女の両親の葬儀の時だ。初めて会ってから、6年後のことだ。
茫然としていて、どこも見ていない顔を今でも思い出せる。あの時の表情を忘れることはない。今にも壊れてしまいそうな彼女を心配したものだ。ただ心配はしてもまだ成人を迎えていなかったエドマンドと幼いレジーナに接点があるわけもなく、徐々に忘れていった。
最後に会った9年前から今まで忙しさに紛れて思い出すことはなかった。先日の夜会は本当にたまたまだったのだ。行くつもりのなかった夜会に行くようにと言われて仕方がなく遅れて参加した。遅れたために、彼女に再会したのだ。
彼女はすっかり大人の女性に成長していた。彼女の母親によく似て美しくなっていた。驚いたような顔をしていたが知らない人を見る目だった。そのことにやや傷つきながらも、彼女を我が物顔でエスコートする男を思い出し腹が立ってくる。品定めしてやろうという気持ちが抑えられなかった。
そう、男女の感情を感じたわけではない。遠くから心配していた妹が近くに戻ってきたから、今度こそ庇護してあげたい気持ちが一番近い。幸せになってもらいたいのだ。それが亡くなったレイチェルとジェッドにできる恩返しだと思った。
「その感情は好きに変わるんじゃないのか?」
新しい情報を手にしたアンブローズは揶揄う気満々だ。エドマンドは大きくため息をついた。
「……もう帰ってもいいですか?」
「拗ねるな。これ以上は弄らない」
アンブローズはにやりと笑うともう一つ菓子を手に取った。