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剣が風を切る、続けて鉄が鉄を叩く音。男と女が互いに斬り合い、いなし、また斬り込む様は一種の舞踏の様にさえ見える。しかし、女の方はというと肌の上を滑る汗を隠しきれはせず、息も上がっていた。
「脇が甘い!」
「くっ…!」
その隙を見逃す相手ではなかった。男の繰り出した一撃をすんでのところで避け、疲労から態勢をやや崩したところを大きく踏み込み力強く女の獲物を弾き飛ばす。後方遠くに銀の細剣が突き刺さり双方はそれきり動きを止める。
勝負が決し、痺れる腕を抑えつつ女は、ブリジットは頭を下げた。
「反応の速さはいいが、引きが早すぎるぞ。踏み込みも時には必要だ、及び腰に見えてしまう」
「はっ…はぁ…っ、すみません」
「何、剣筋の鋭さは見事。鍛えればレベルもすぐに上がるだろう」
鋭い眼差しを直ぐに和らげ、ユーリは静かに納刀した。上司と部下の関係にしか見えないが、この2人は一応新婚夫婦である。
「…すみません、ユ……だ、旦那、様に指導をさせるなど」
「だ……あ、う、うむ。気にするな、妻が強いというのは誉れだ、ブリ、ジット…」
打ち合いの間は一度として表情を変えなかったユーリは、ブリジットが気まずげに使った呼称に初めて狼狽えて目を逸らした。ここで顔でも赤くなれば中々に初々しい光景になるのだが、お互いボタンのかけ違いに気が付いたような苦い顔しかすることができなかったのだ。
「…難しいな」
「す、すみません、私が吃ったせいですね」
「ユーリでも構わないのに」
「いえ、そうはいきません…その…伯、義父殿と義母殿の様子を見てそう思いました…」
「あれは…あの2人はその…特殊なんだ…」
「しかしリリアンナ様も…」
「義兄上が熱烈な方というだけなんだ…」
ブリジットがノーラッド伯爵家に嫁いで衝撃を受けたのは義理の両親である伯爵とその夫人の仲睦まじさだ。婚約の報告の折から、仲の良さは分かっていたのだがそれは所謂猫を被った態度であった。いまだ新婚夫婦の如く、お互いを見つめ、抱き合い、愛を囁き合うその様を見てブリジットがつい顔を覆ってしまったのは記憶に新しい。
そして、その親にしてこの娘ありと言わんばかりのリリアンナとその夫の情熱的な夫婦の触れ合いといったらもう。ブリジットはユーリが養子なのではと疑ったほどである。
さて、そんな規格外が側に控えているとなると契約上の関係故に焦りが生まれるというもので。かといって互いに恋慕もなく、寝所での同衾もしていない2人にいきなり周りのようにいちゃつけ、というのも無理な話。返って不自然さが際立ってしまうというのは分かっていたし、そんなことをしてユーリの発作がブリジットにも起こってしまえば本末転倒。そんなわけで自然にできる触れ合いをということになったのだが。
「剣術指南、という手はやめたほうがいいでしょうか」
「大丈夫だ、というか続行してくれ、でないと困る」
「は…え、えっと…私が何が不躾なことを」
「違う、そうではなくてな。私は女性の喜ばせ方など分からないという話だ」
「なんて真っ直ぐな目を…」
ユーリは嘘がつけないというわけではないと思うのだが、澄み切った目で情けない事を言われると困る。思わず眉を下げたブリジットに構わず、ユーリはしっかりと首を振った。
「それに、だ。指南であれば部下にもやっていることだし慣れないことをするよりも息抜きになる」
「そういっていただけると…」
「…私は、君に甘えすぎなのかもな」
「え?」
唐突な話題転換にブリジットが首をかしげると、ユーリは申し訳なさそうに目を伏せて腕を組んだ。甘えすぎ、ということはないだろう、支援の件では十分過ぎるものを受け取らせてもらっているのだから。ブリジットの戸惑う視線を受け、ユーリが重々しく口を開く。
「恥ずかしい話だが、モーリスにバレた」
「あぁ…その、私もどうせ裏があるのだろうと思われていますから」
「うん…だが、その、あれだ。婚約だけなら未だしも好きでもないのに婚姻など何事かと叱られてしまってな」
「それはユーリ様だけの責ではないでしょう」
「いいや、君は断れなかった」
爵位は同じ、けれどノーラッド家とスタンシア家の格は大きく開いている。歴史ある家といっても、歴史で人は戦えない。結局それは降り積もっただけの時間でしかなく、力を伴わない過去ならば何の意味もないのだから。
ユーリはそれを言っているのだ、どちらにせよブリジットに断る道はなかったのだと。そんな事は最初から分かっていたことだ、それを含めて頷いたのだし彼女に対し彼は断ってくれてもいいとしっかり口にした。そこを責めるほど道理を知らないわけではない。
「……お気に、なさらずとも」
「するさ、こんなものは脅迫と同じことだ。日々申し訳ないと思っているし、君がそう言うたびに安堵する自分を甘いと思っている」
「…甘やかされているのは、私もです」
その言葉は想定外だったのか、ユーリは伏せていた顔を上げてアイスブルーの目を丸くする。自分ばかりがと思っていたければ先程のような言葉は出ないけれども、しっかりした感謝を伝え損ねていたというのはなんとも不甲斐ない。
ブリジットにとって、ユーリが剣の道を往くことを肯定してくれたのは、それだけ嬉しかったことなのだ。そう伝えるとユーリは戸惑うように瞬きを繰り返して少しだけ首を傾げた。
「…そ、そう、なのか?そんなことで?」
「そんなことでも、です」
「そう、か…」
向こうにとっては本当に取るに足らない言葉だったのだろう。それでもその言葉を胸の中に残してしまうのは、都合のいい言葉を拠り所にするのは、きっと甘えなのだ。
なんとなく気まずい空気が流れ、お互い視線を泳がせてしまう。ブリジットは小さく咳払いしてぎこちなく話題を切り替えた。
「そ、それにしても旦、那様。近頃は張り切っていますね」
「んっ、あ、あぁ、ディノス殿下の婚姻を祝う夜会が近いだろう?警備には騎士団も加わることになっているから」
「あ…ご友人、なのでしたよね」
「はは、王家に対して馴れ馴れしすぎるかな」
以前ナナリーが言っていた夜会かと頷く。第二王子であるディノスはユーリと乳兄弟の仲であり、仲の良さというのも周知のことであった。厳格であるナナリーとは対照的に、放浪癖持ちという困った人物で今回の婚約でやっと腰を落ち着けてくれると王家はほっと胸を撫で下ろしているとかいないとか。
「君も行くだろう?」
「え?」
「え?」
突然の誘いに思わずブリジットは間抜けな声を上げてしまった、確かに王家主催ということでどの家にも招待状は届いているが寝耳に水だったというか。警備にユーリがつくというのならば完全に自分の存在が邪魔になるとしか思えなかったのだ。対してユーリは可能性を考えられていなかったことに動揺して鸚鵡返しというように同じような声を上げている。
「そ、その…お仕事の邪魔では?」
「いや、エスコートくらいはするぞ!?というかさせてくれ、君を屋敷に置き去りになどしたら母上や姉上に何をされるかわからん!」
「謹んでお受けいたします」
切羽詰まった様子で言われては断れない、なんというかこの伯爵家は女性がとても強いのだ。ユーリの女性恐怖症の原因の一つはやはりここにあるのではないかと思わなくもないが口には出さずに置こう。
それに一応、見かけ上では新婚なのだからここでお互い別々に入場ということになると早速不仲説が流れかねない。そこを避けるためにも共に居られる時間はいた方がいいのかもしれない。ドレスは以前のドレスを着ることにしようかと考えを巡らせていたところ、ユーリが少し気恥ずかしげにブリジットに微笑みかけた。
「それにあいつ…あ、ええと殿下にも君を紹介したいんだ」
「わ、私など…!」
「ナナリー殿下の覚えもめでたい君なら問題ない、王太子殿下相手でもなしそう肩肘はらないでくれ」
「そ、その…その発言はどうなのですか…?」
いくら友人関係といえ、不敬罪にあたりはしないかとブリジットは肝を冷やした。とはいえ朗らかに笑うユーリを見たら心配がなさそうなのは分かるけれど、なんとも扱いがぞんざいなような、いや、それでこそ友人といえるのかもしれない。彼はモーリスに対して砕けた調子で話していたし、心を許す者に対してはそうなるタイプなのかもしれない。ブリジットもユーリに対して好ましい印象はあれどうち解けてはないのだし、こういうものなのだろう。
「ああ、君も仕事があるかな」
「入っていた、のですが…その、旦那様とのことでキャンセルを」
「す、すまん…」
「いえ、そうでなくては私も社交をしませんので」
「それならよかった。エスコートに問題はないということだな」
「あの、流石に…こうして夫婦となってしまえば、手を出すようなはしたない女性はいないと思いますが」
「ん?」
ユーリの嬉しげな様子が不思議に思えてブリジットはつい尋ねてしまった、愛人希望の女性がいないとは限らないが一夫多妻などが認められていないこの国では不貞罪にもあたるわけで双方にリスクが大きすぎる。過度に怯えるほど女性が苦手という話なら分からないでもないが、身内の女性のことがあってもどうにも大袈裟なような。問われたユーリは言われて初めて気が付いたというような顔で、ブリジットを見て後頭部を軽くかいている。
「あ…あぁ、そうだな」
「どうかなさいましたか」
「いや、その…君といると安心するのはするのだが、それ自体が楽しみになっている私がいてな」
「え…」
「馴れ馴れしくてすまない」
「い、いえ」
想定外の返答に今度はこちらが戸惑う番でブリジットは目を丸くする。気恥ずかしさから少し表情を和らげるユーリの顔にぞわぞわと足元から落ち着かない気持ちが登ってくる。そんな彼女のことなど知らずに朗らかな調子でユーリはその先を続けた。
「普段の凛とした佇まいもいいが、ドレスの君も魅力的な女性だと思う、まぁ今のように騎士服でいてくれる方が私は落ち着いていられるんだが…」
「……だ、旦那様!」
「ど、どうした!?」
「…午後からは、執務のご予定があったはずでは」
「っと、もうそんな時間か!すまない!今日はここまでにしよう」
「はい、その…ありがとうございました」
胸元から取り出した時計を見て、ユーリは挨拶もそこそこにその場を立ち去る。次期当主というのは多忙なのだろう、そこの隙間を捻出して自分の為に時間を取ってくれるのは有難いが、なんというか。
「心臓に悪い…!」
ユーリが女性を惹きつけてしまうのは、彼の容貌や力だけでなく素直すぎる気質も関係するのではないだろうか、褒め言葉はあぁも真剣に言われるとなると。ブリジットは少し熱を持った頬を両手で柔く挟んで小さく溜息をつく。いい加減慣れなくては、契約をしっかり続かせる為にも、彼の発作を起こす要因にならない為にも。切実に。
お久しぶりです、ようやく諸用が片付きました。ゆっくり更新なのは変わりませんがあと5話程度で終わらせられると思います、もうしばらくお付き合いください