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「旧式で助かりましたね…」

「あぁ、お互いにな…いくら君とはいえ口付けを交わすとなると私もどうなるかわからない」


ブリジットとユーリは馬車に揺られながら神妙な顔で互いに頷き合った。両者の纏う色は白、柔らかなベールを後ろに流し、汚れひとつない純白に身を包んだブリジットの姿は誰がどう見ても花嫁で、その向かいに座り、燃えるような赤毛を撫で付け胸元に白薔薇を飾ったユーリは花婿に他ならない。


けれども双方に浮かれた様子は全くない、かといって険悪な空気が流れているわけでもない。晴れの日には似つかわしくない言葉ではあるが、訓練終わりの兵舎の空気が馬車の中では流れている。結婚式という大きな仕事を成し遂げて2人の戦士は達成感に深く息を吐いた。

式はつつがなく終わった、ユーリとブリジットは今時逆に珍しく指輪の交換という古風な様式で誓いを立てたのである。それに安堵の息を漏らしたのは新郎新婦だけでなく、新郎に焦がれる未だ未婚の令嬢達もであった。


「その…色々と申し訳ありません、持参金から何まで…」

「あぁ、気にしないでくれ。私は金の使い方を知らないから勉強代だ」

「お言葉、ありがたく」


頭を下げたブリジットに、ユーリは軽く微笑んだ。スタンシアの家に支援をする、という見返りと共に繋がれたらこの関係であるがその支援は式にまで及んでいた、これもスタンシア家の財産の無さ故にである。ウェディングドレス、指輪、持参金、何から何までがユーリのプライベートマネーというのだからブリジットはもう萎縮するしかなかった。ついでに言えばドレスはまたリリアンナのデザインによるもので、縫いとめられている宝石の値段だとかは考えたくない。情けないにも程があるが、自分の稼ぎは殆ど屋敷の維持と使用人の給金に充てているので捻出出来るような余裕もないのだ。


金銭の負担をする代わりの伴侶とは言っても、やはり後ろめたさはある。これで相手の性格が最悪なら彼女とて開き直るくらいの度胸はあるのだけれども、ユーリは困ったことに好青年だ。項垂れる花嫁の姿に苦笑して、花婿は馬車の外へと目を向けた。教会はもう遠く、これからはノーラッド邸に向かうのみだ。胸に迫るものは何もなく、ユーリは僅かに目を細めながらポツリと言葉を零す。


「…過ぎてみると、こういうものなのだな」

「そうですね、意外と拍子抜けするもので」

「あぁ、やってみると任務より容易い。婦人方も今日ばかりは秋波を送ってくることもなかったしな」

「…ユーリ様にとっては重要ですね」

「君は平気だったか?」

「えぇ、めざしにされるのかと思いはしましたが」

「く、苦労をかける」

「滅相もありません」


義姉の間柄となったリリアンナも式には出席していた為、直接のちょっかいこそかからなかったが目は口ほどに物を言うもので。例の舞踏会の比ではない視線の痛さにブリジットはいっそ吹き出しそうだった。自分がユーリに相応しいとまでは思わないけれど隣にいても当人には嫌がられていない、だからもうそれでいいと開き直ってみた彼女にとっては最早気を揉む話ではないのだが。


「そうだ、大切な事を言い忘れていたな」


咳払いと共にユーリが座り直し、ブリジットもつられて背筋を伸ばした。その表情は柔らかく大切な事を言い出す雰囲気には見えない、つい首をかしげるとユーリが一度苦笑してから口を開いた。


「ブリジット嬢、よく似合っている」

「…ありがとうございます、リリアンナ様にはまた改めてお礼を申し上げなくてはなりませんね」

「姉上は君を気に入っているから。はは、行き遅れの出来が悪い弟を貰ってくれるのだから当然かな」

「ユーリ様は、その、女性への恐れさえなければご立派な方です」

「有難う、だが無理をしなくてもいいんだぞ」


確かに乙女には大切なことといえるだろうが、愛もないのに。もっとも言われて居心地の悪いというものでもないのでここは素直に受け取っておくけれど。

それに、ブリジットはユーリのこういった生真面目さと実直さに眩しさというか一種の羨望を抱き始めていた。面食らうこともあるけれど、年を重ねてなお擦り切れていない鮮やかさを見るたびに自分もこうであればと少し思ってしまうのだ。


「…さて、ここからが問題なのだが」

「え、は、はい?」

「我が家では、家督を継ぐのならば子を為さねばならない。つまり当面私は次期当主のままだ」

「はい…あの、養子の目処は?」

「一応は。だがそこが問題ではない、問題なのは邸に父上と母上がいるということでな」


養子よりも両親が重要なのだろうか、養子を迎えるという説得に骨を折るという雰囲気ではなさそうだ。ブリジットはつい、シルクの長手袋に通した手を握りしめて身を乗り出してしまった。以前訪問した時には両者ともブリジットには好意的でいてくれたというのに、もしや仮面の下の素顔というものがあるのか。肩唾を飲むとユーリが勢いよく頭を下げた、御者には届かない程度に声を張って本題がいよいよ切り出される。


「すまんっっ!君には本当に!どんなことでもしよう!だから!そのっ!」

「は、はい?!」

「私となるたけ自由時間を過ごしてくれないだろうかっ!」

「…………ユーリ、様」

「う、うむ」

「仮面とはいえ夫婦なら当たり前のことでは…?」

「いや、その…合意は必要だろう?お互い」

「はぁ…」


拍子抜けとはこの事。つまりは偽造の恋人というのがバレないように振舞ってくれという話らしい。その程度、短い期間ながらもやったことであるのにわざわざ繰り返さずともよいのに。溜息をつきかけた彼女を誰が責められようか。


最近、分かってきたことがある。このユーリ・ノーラッドという男はズレていると。紳士的であるのはいいが、こんな些細なことで頭を全力で下げられていては、ブリジットは常に床に頭を擦り付けていなくてはならないのではないか。薄っすらと頭痛を感じてこめかみを抑える、第一国の立場的にはユーリの方が多忙なのにこちらに遠慮しているというのもいただけない。これも女性恐怖症がなせる技なのだろうか、なるべく改めてもらわなくては。


「まずはユーリ様、私のことはただブリジット、で構いません」

「あ、ああ。それでは君もユーリで構わないぞ?」

「それはちょっと…まだ早いです。女ですから」

「む、そ、そうか…」


そわそわ視線をあちらこちらにやりながら、ユーリはなんとか頷いてくれた。ブリジットは重く息を吐き出す、名前の練習から始める必要があるかもしない、と思った。


「その…君には悪いことばかり続くが女主人としての教育もされるので、護衛の仕事は、少なめにしてくれると助かる」

「引退しろ、ではないのですか」

「楽しいのだろう?」


予想していなかった返しにハッと顔を上げた、そんなブリジットにユーリは当然のように微笑みかけてゆっくりと頷く。女の癖に、という誹りは受けたことがないが、社交もしないで剣を取るブリジットの姿勢は恥ずべきもののはずだ。けれども彼はそれを肯定した。


「給料だけでやっているとは思えない。ならば限界を感じるまでやるべきだ」

「…ありがとう、ございます」

「弱いものを醜いなどとは思わないが、強き者は美しい。そこを損なわせる男はアルカディアにいないさ」


家の事は大事だ、傾いている歴史しかない家であろうとも、自分を生み、育ててくれた場所で。そこでまだ働いてくれている使用人達の事もまた大切で。だからこそ、髪を切ったし騎士にもなった。そこに後悔はなく何を言われたとしても自分を曲げようとは思わないだろうとブリジットは思っていた。


しかし、ほんの少しだけ。馬に乗って野を駆けるのも、剣を以って敵を討ち、あるいは味方を守ることに楽しさを見出している自分もいてその一点に少しの後ろめたさを感じていたのだ。


肯定に喜んでしまうのは、ただの甘えだ。それでも今はまだ喜んでいたい。僅かに熱を持った頬に軽く触れて、ブリジットは自分が笑っていたことを知った。


「もっとも…いつまでも武のアルカディア、では前時代的に過ぎるのだろうがな」

「野蛮と思いますか?」

「いいや、我が国の魔獣事情を知らずに声を上げるなら愚者の誹りを免れない」


魔獣。それはアルカディアを建国した勇者アダムスが打ち倒した魔王の眷属だ。この世界に広く存在し、高度な魔法を操る獣の形を取った怪物。

神話によれば魔王が抱いた人間への怒りから魔獣が生まれたというが、実情は定かではない。そも、魔王という存在が明確にいるかどうかすら、近年では物議を醸している時代だ。


けれど、もし神話の通りだとしたら魔獣達はまだ自らの主を傷付けた勇者に腹を立てていて、アルカディアの民に反抗的なのだろうか。


「…神話の時代のことをいつまで引きずるのでしょうか」

「それを言うと、この国も無かったことになってしまうだろう」

「しかし世界を滅ぼそうとしたのは魔王の方なのに…」

「魔性の気持ちなど分かりようもない」


家族を殺されたという復讐のために世界を滅ぼそうとした魔王の伝説は、あまりにも規模が大きすぎてブリジットにとってはただの殺戮にしか思えなかった。幼い頃から聞かされていても、彼女は勇者の強い姿に憧れを抱いてしまうし同情をする隙もない。

とうに7000年も過ぎているのに、自分達後世の人間を巻き込んでほしくはないものだ。手出しをしなければ攻撃をしてくることはないとはいえ、出会った瞬間殺意を剥き出しにされるのは中々心臓に悪い。身勝手な話かもしれないが、心からそう思ってブリジットは小さく息を吐いた。


「…しかし、面白い話がある」

「なんでしょう?」

「噂に過ぎないが、マリエラ国の王女が魔王と友誼を結んだそうだ」

「ええっ!?」


数分前まで実在を疑っていた手前、まさかの話にブリジットは大きく声を上げてしまった。その様にユーリは目を丸くしてぽかんと口を開けたりなぞしている、あまりに貴族令嬢らしからぬ行動に呆れたのかもしれない。ブリジットは萎縮して顔を伏せた。


「っ…す、すみませ…」

「ははは、君も動転するのだな」

「か、からかったのですか」

「そういうつもりはない。噂…と建前はあるが、殆ど事実らしい」


マリエラというのは、アルカディアとは対照的に武力より文化の発展に力を入れている国だ。内争もない平和な国に残虐の象徴とも言える魔王が足を踏み入れて、そして、友誼を結んだ、などと。イメージとの乖離にブリジットは目を回す、何がどうなってそんな話になったのだろう。彼の国の王はどのような手管を、様々な疑問は尽きない。


「…はぁ」

「どうかしたか?」

「いえ、私はそんな大きな噂さえ知らないも思うと、情けなくて」

「これは上層部にしか伝わっていないことだ、仕方がない」

「そ、それを私に伝えてよろしいのですか」

「妻相手ならね。それに噂、だろう?」


いたずらっぽく片目を瞑るユーリに、今度はブリジットが面食らう。


どうやらその噂とやらはナナリーの兄、つまり王子から友人のよしみで教わったという話で。それはトップシークレットというのではなかろうか、尤も王子もユーリを信頼しているからこそで、ユーリはユーリでブリジットが言いふらすようなタイプではないと分かっているからだろうがそれにしてもひどい不意打ちだ。苦笑いを堪え切れないほどに。


「…ユーリ様はたまに少年のようですね」

「えっ…」

「あ、も、申し訳ありません」

「いやその…ナナリー殿下にも同じことを、な。言われるんだ。お前はいつまでたっても子供ですね、と…」

「それは…」

「はは、2倍近く年が違うのにな」


照れたように頬をかいてユーリは馬車の外を再び見た、今度はきっと外の景色を見たのではないだろう。その横顔はここよりずっと遠くを見据えていて、大人の男のそれだ。


「…まぁ、甘ったれ、と言われるのは慣れているんだ。魔獣も人々も今はお互い邪魔だろうがいつかは…その、隣人くらいにはなれるのではと思わずにいられない」

「マリエラのことがあれば尚更そう思いますか」

「うむ、まぁ、単純だな」

「そんなことは…」

「いいんだ、夢の話だから」


あぁ、そうか、と思った。ユーリのことを眩しく感じるのはこの男の抱える夢が眩しいから。どんなに否定されても笑われてもきっとユーリは夢を信じるのだろう。ブリジットはそんな淡い確信に手を握りしめた、おそらくは自分とは比べものにならないくらい戦場を駆けてきたこの騎士が子供のような男でいるのが胸に詰まった。


語るのは綺麗事だ、でもそれがどうだというのだろう。夢の儚さを知っていても未来を諦めるよりはずっと尊いことなのだ。


「お、見えてきた」

「あ…その…お世話に、なります」

「あぁ。お互いにな」


ユーリが姿を現した邸に明るく声を上げる。ブリジットが慌てて出した言葉は情けなかったけれど、2人にはそれくらいが丁度いいのだろう。

恋も愛もない、けれど、友情なら互いに持ち始めた契約上の夫婦には。


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