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「…久々に、女性の手に触れたな」


舞踏会を終えて、邸に戻ったユーリはポツリと一言をこぼす。当然その手に温もりなどは残っていないし、女性に対するに相応しいような触れ方は出来ていなかったと思う。


自分の勝手な事情によって、強引に婚約者になってもらったブリジットの横顔を、ユーリは思い浮かべた。他の淑女に怯えて強く手を握ってしまっても彼女は、嫌な顔の一つもしなかったのだ。確かに社交の能力こそ高いわけではなかったけれど、孤立無援と言っていい会場でその存在がどれだけありがたかったか。


「痣になっていなければ、良いのだが」


祈るように呟き、片手を緩く握った。彼女の手には剣だこがあったけれど、それでも柔らかな淑女の手だったから。







「はぁ……」

「あら、リズ。重い溜息ね、婚約者殿とケンカでもしたの?」

「するほどの仲ではありませんよ、女性の恐ろしさに感じ入っているだけです」


ブリジットは額に手を当ててまた一つ溜息を吐いた。ハハシアは心配そうに眉根を下げていたが、面白がるように口角を僅かに上げている。ブリジットはユーリとの関係を誰かに明かしているわけではないのだが、勘のいい隊長殿であるとか、ブリジットの友人達には裏があると早々にバレてしまっている。もっとも、それを誰かに言いふらすような性格の者はいないのでヒヤヒヤすることはないのだが。


そして、ブリジットの目下の悩みといえば女性恐怖症が治りそうにないユーリのことではなく、そのユーリを射止めたように見えているらしい彼女に対しての嫌がらせであった。

わざわざブリジットを指名して護衛の依頼をして、目の前でネチネチ嫌味を言うとか、令嬢らしからぬ髪の短さを鼻で笑ったりだとか。


繊細な女性であれば泣き逃げることは間違いないが、残念ながらブリジットは他国と違って気性の荒い魔獣を斬り伏せたり、ダンジョンに潜ったりなんぞもする騎士であるのでいっそ可愛らしいとさえ思うのだが、似たような出来事がもう何度も繰り返されて辟易としているのだった。


「あら、リリアンナ様のお言葉があってもダメなのね」

「目の届かないところでは…ということでしょう、私としては面倒ごとでも給金が入るので構わないのですが」


ブリジットの苦労話にハハシアは意外そうに目を見張った、美しい女性を愛でることに関して余念がないハハシアは当然ユーリの姉、リリアンナを知っていてその気性までも理解しているらしい。もっとも彼女が弟を狙う令嬢達に釘を刺したと言う話は既に流れているのだが、その言い方は会場を見ていたかのようだ。


「しかし令嬢方の仰ることが全てであると思うのです。私は歴史しか持たない家柄で、容姿に優れているわけでもない。貴族の仕事の社交さえ満足にこなせていない半端者に、赤獅子の伴侶が務まるとは思えません」

「それはユーリ様が決めることよ」

「…そう、ですが」


それは何度も繰り返された言葉。


「歴史だけの家」「壁の花以下」「相応しくない」


それに心を痛めるなどありえない、ブリジット自らが自覚している事実なのだからどうして傷付く理由があろうか。

ブリジットは単にユーリが過剰反応を示さなかったから、という偶然によって契約関係になっただけだ。急に現れたその人が美しく、華があり、令嬢として手本のような人間であったならば諦めはつこう。しかし実態はナナリー王女殿下が言うように貴族の義務から逃げるように騎士になった平凡な女だ。


ブリジットに向けて敵意を向ける彼女達の中には真摯な恋をしていた女性がいたのだろうし、後ろめたい気持ちは、確かに、ある。

思わず顔を伏せると、ハハシアのよく通る声がブリジットの耳に入ってきた。


「ねぇ、リズ。愛は尊いものだと思うかしら」

「それは…そうだと思います」

「ならば、愛しているからと少女を襲う暴漢は美しいかしら、愛しているのと男を縛る女は?」

「た、例えが悪辣です」

「そうね、でもこれだって同じ愛よ」


それは単なる欲ではないのか、ブリジットが言いかけた言葉をハハシアはゆっくりかぶりを振って否定する。その眼差しは真剣そのものでブリジットに否やを挟むことなどできようはずも無い、彼女はまだ恋も愛も知らぬ身なのだから。


「ロマンを追うというのはエゴを許すということよ。愛という言葉は全てを許す免罪符になりはしないわ。人の抱える感情に貴賎などないの、価値観なんてそれぞれだし、そこで大きいとか小さいとか判断するのは1人だけの視点でひどく傲慢なこと」


ハハシアがブリジットに歩み寄り、優しい手で髪の一房をすくった。その微笑みはまるで女神のように慈愛に満ちている。


「その人の抱える感情を許せるか許せないか、その傍が心地よいかどうかが愛や恋よりも大切な事だと思うのよ。これはあくまで私の意見だけど、想いなんて不確定なものを上位に考えて卑下することはしないで、リズ」

「隊長…」

「いやね、説教がしたかったわけじゃなかったんだけど」

「…いえ、勉強になります」


ハハシアは苦笑し、そのままブリジットの髪を手で梳いた。やや恥ずかしそうに笑う顔に、ブリジットは部下を思う上司の暖かさを見る。

際限なく卑下するよりも、確固たるものをえなくては。ブリジットは深く頭を下げると、ハハシアに断ってその場を後にした。









「君からの呼び出しは初めてだな」

「あ、も、申し訳…ありません…」

「あぁいや、そういうことじゃ…参ったな」

「えっと…」


隊長の話を受けて勢いのまま騎士団本部に来てしまった。

ブリジットは自分の考えなさを恥じて、ユーリの驚いた顔から逃れるように目を伏せる。家格は同格といっても断りの一つも入れるべきだった、何せ向こうは誉ある騎士団の赤獅子なのだ。

すれ違ったモーリスはいい笑顔で親指を立てたりなんかしていたけれど、我に返ってみれば馬鹿なことをと壁に頭を打ち付けたくなる。ユーリは気にしていないようだし、男所帯の場ということで痛いほどの視線は感じないのだがあまりに居た堪れない。


「…今日は、笑わないな」

「え?」

「あ、いや、私は…君の顔を曇らせてばかりいるな、と」

「そのようなこと…私は、元よりそこまで笑う女ではないので、お気になさらず」


ユーリが漏らした言葉にブリジットはぽかんと口を開けた。何というか、気が抜けてしまう。

笑わないのか、などと、ブリジットがユーリの前で笑った事などそう多くないのに。そのまま首を傾げると、ユーリはハッとしたように背を伸ばして小さく咳払いなどしている。


「…さて、それで?やはり式は先延ばしに、ということか?」

「いえ、つまらない話です。貴方に、私でよいのでしょうか?」

「…何だって?」


思いもよらなかったブリジットの言葉に、ユーリはアイスブルーの目を訝しげに細めた。

自分の身勝手な事情に付き合わせてしまっている彼女が、自分を呼び出してまでということであればやはり式は待ってほしいとかそういう話だろうと思っていたのだ。それならば当然の事だし、ユーリは出来うる最大の配慮をするつもりだった。けれどその口から出てきたのはユーリを慮るもので、困惑する他なかったのである。そんなユーリの様子など知らず、視線を下に落としたブリジットは爪先を合わせながら必死に続きを考えていた。


「わ、私は…私の側は本当にユーリ様にとって居心地がいいのかと。女性が恐ろしいことは理解しております、けれど私という例外が出来たのなら別もありえるでしょう」

「…なるほど、そういうことか」


ユーリは顎をさすって、ふむ、と瞼を閉じる。気を揉むなにかを部外者の誰かに言われたのだろうという察しはついた。


「…私は君を男性だと思ったと言ったな」

「はい」

「てっきり君の容貌が中性的だから、発作が起こることもないのだと思ったのだが…今ならそれは違うと断言できる」

「それは、何故」

「ドレスを着た君は美しかった」

「……こ、光栄、です」


ストレートな賛辞につい顔を上げたブリジットは気まずく視線を彷徨わせる。ユーリの顔に照れが一切ないのは心にもないことを言っているからではなく、本心から思っているからなのだろうと何故かわかってしまう。


舞踏会でも思ったことだが、エスコートは完璧で女性の扱いも悪くなくて社交能力も高い、これは女性恐怖症さえなければ本当に優良物件だったのだろう、ひどく悪い言い方だけれど。ユーリはそのまま腕を組むと、うっすら姿を見せた月へ目を向けた。


「だったら何だろう、と思いを巡らせて…次に、君が私に恋愛感情を抱いていないからでは、と思った。だがこれも違う」

「…どうしてです?」

「オルガだ」

「え?」

「彼女は私に近付きもしなかったが、それでも目が合った瞬間体調が悪くなった」

「…ハハシア隊長は?」

「……き、気絶するかと」

「その…申し訳ありません」


みるみるうちに顔色が悪くなっていくユーリに、ブリジットは頭を下げた。

想像の上でもダメらしい。つまるところユーリが真っ当な反応が出来る女性というのはナナリー、ブリジット、そしてリリアンナを含めた家族なのではないだろうか。それはそれで、なんというか、悲しいものがあるなとブリジットは苦笑するしかなかった。


「だから分かったんだ、君じゃなきゃダメらしいと」

「…嬉しいお言葉ですが、その、どうしてでしょう?」

「それは私にも分からないが、先ほどの答えにはなっているだろう?」


小さく笑うその顔はブリジットより10近く離れた大人の男だというのに、なんだか弟のような幼さを感じさせるものだった。その笑顔に瞬きをしてしまう、もしかしたらこの人の心はずっと少年のままなのかもしれないと思うほど。


「君以外に居心地のいい人は…すまない。こんなこと、恋愛感情無しの間柄で言うべきではないのだが、君でいてほしいんだ」

「確かに事情を知らなければ愛の告白にも聞こえますね」

「本当にすまん」

「あ、いえ、こちらこそ」


首の後ろをかくユーリに、ブリジットは慌てて手を振る。こんなやり取りばかりでは、いつか言わなくても契約上の付き合いということがバレてしまうのかもしれない。そう思いつつも、こんな年に合わない幼稚なやり取りにブリジットの口角は自然と上がっていたのだ。


「…ありがとう、ございます」

「え?」

「ユーリ様と協力関係になれて、よかったと」

「…ふ、ハハッ、そこはお互い様かな」

「そうですね、ふふ」


そしてやっと、お互い素直に笑ったのだ。


久々の更新です、進展も少なくて申し訳ない…

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