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「世界一可愛いオルガ・マキャヴェリちゃん、入りまーす!」
「そのふざけた口上なんとかならないの?」
「あ、リズじゃん。婚約おめでとー」
「ありがとう、それにしても珍しいね。仕事は?」
甘く愛らしい声と共に詰所に入ってきたのは艶やかなストロベリーブロンドを二つに結った碧眼の少女だった、愛想のない騎士服は彼女の雰囲気に合うようにリメイクされ所々に刺繍やらレースがされている。制服の改造など下品に見えそうなものだがオルガと呼ばれた少女はその辺りを弁えているようで絶妙に彼女に似合い溌剌でいて可憐な印象を与えていた。
オルガ・マキャヴェリはアルカディアの有力貴族マキャヴェリ公爵家の一人娘で、権力と財力と両親の惜しみない愛を注がれ伸び伸びと育った破天荒な娘である。自らを国どころか世界一の美少女といって憚らず生意気な態度も手伝って一部の者から反感を買いやすいタイプだったが、彼女は真実美しく、その雰囲気からは考えられないほど賢く才能に溢れているせいで誰も正面切って彼女に喧嘩など売れなかった。本人もそれが分かっていてのこの態度だからタチが悪いのだ。
騎士学校を首席で卒業した彼女は15レベルまで育てば見込みがあるという中で在学中30レベルまで鍛え上げた。現在は48ともう少しで隊長格に手が届く強さというところ。その実力から以外にも護衛の使命は多かったのだ。
「最近は専ら寝ずの番の依頼が多いから昼間はヒマなんだよねー、寝ててもいいけどこのパーフェクトボディが鈍っちゃうじゃない」
「じゃあ私が付き合おうか?」
「え、姫様は?今月担当でしょ」
「そ、その…婚約のごてごてで外されちゃって…」
ユーリとの婚約が決まった翌日には厳しい王女の耳にその知らせが届いていた。相変わらず耳が早いとブリジットは驚いたのだが問題はその後だった。常々ブリジットが社交界に関心が薄いことに呆れていたナナリーは「噂の一つも知らない護衛など実力を見るまでもありません」とブリジットを任務から外したのだ。今は別の隊員が彼女に付いていた。収入が無くなることはスタンシア家にとって大打撃であるため、王家の命といえどブリジットは食い下がったのだが冷たい瞳で一蹴されてしまった。
ブリジットとて分かっているのだ、ユーリの姉リリアンナの主催する舞踏会を前にデビュタント以来社交界に顔を出していない自分が仕事をしている場合ではないと。契約関係とはいえ乙女の憧れの的と婚約するのだから恥をかかせるような真似をしてはならない、衣装代の全てを向こうが持ってくれているのだから尚更のこと。
けれど今更お茶の飲み方だとかダンスレッスンだとか令嬢らしい真似をする気にもなれないブリジットにとってこの扱いは不服であった。なので悪い事と理解しながらもつい鍛錬も必要と無理な理由付けで詰所に来てしまったのだ。
ブリジットの返答を聞き、虚を突かれたように目を丸くしたオルガは一瞬の後に美しい眉を吊り上げブリジットに食ってかかった、指先で胸元を詰るように突かれて思わず仰け反ってしまう。
「…あ・ん・た・ねぇ、何してんのよ!じゃあ尚更出勤してるわけにはいかないじゃない!社交界は甘くないのよ!」
「オ、オルガだってサボってるくせに」
「あたしはいいの、コルセットなんかに縛られる身体じゃあないし、どんなダンスでも高いヒールで踊りきってみせるわ」
オルガは王家の招待以外はよほど気になる相手でなければそのまま封筒を暖炉に焼べているという。公爵令嬢であるがゆえ出来る所業である。子煩悩なマキャヴェリ公爵は可愛い娘をおいそれと衆目に晒すなど愚行だと言い放つ始末ですっかり甘やかされている。
けれどオルガがブリジットと違う点は彼女は一度出席すれば誰もが溜息を漏らすドレスと煌びやかな笑顔で会場を魅了し、軽やかに難曲を踊ってみせるという点だ。今はこのような砕けた口調だが夜会では令嬢らしい口調で見事な会話で翻弄する。そんな彼女がどうしてと思うだろうがオルガはコルセットというものが大嫌いだという単純な理由にあった。
「そもそも矯正器具で整えなきゃな身体を持て余してる豚なんてさっさといなくなればいいんだわ」
「オルガ、なんてこと!」
「そうよ、オルガ。百合の剣として相応しくないわ」
見下しているわけではなく、本当に事実のようにオルガは冷たく言い放つ。彼女にとっては自分が至高、我儘に見えるが自分が一番なのは当然としてその次に素晴らしい者たちがいるという考えである。しかしその発言は聞くものが聞けば危険にすぎる。慌てたブリジットに同調するように奥からはハハシアが姿を現した。その姿を認めるとオルガは若干気まずげに視線を外す。
「女性はいつになっても愛らしいお姫様なのですからね」
「…オルガちゃん、ハハシア隊長の性癖については尊敬できないでーす」
ハハシアは女性を愛し慈しみ守る事を生き甲斐とする変わり者であり、流石のオルガも隊長の前では具合が悪いようだった。
それにしてもオルガに責められては帰るしかないだろう、重々しく腰を上げてブリジットはため息をつく。憂鬱な舞踏会になんとか備えなくてはいけない、無様を晒しては二度と王女殿下の護衛の任に付けないかもしれないのだから。舞踏会など、ハハシアやオルガのような華やかな娘だけの席であればいいものを、ちらりと横目で二人を見つめたブリジットの脳内にふと一つの考えが浮かんだ。
「あ」
「どうしたのリズ?」
「ありがとうオルガ!恩に着る!」
駆け出したブリジットの背を2人は不思議そうに見送った。
「…似合いませんか?」
「いや、君の凛々しさがよく引き立っている」
「有難うございます。リリアンナ様には無理を言ってしまいました」
「そうなのか?姉上は新たなドレスが作れたと喜んでいたが」
舞踏会当日、ブリジットが身に纏っていたのはシンプルで瀟洒なデザインの薄いブルーのドレスだった。散りばめられたクリスタルは高貴さを感じるが決していやらしくはない。何より特徴的なのはそのシルエット、ふわりと広がるスカートではなく体のラインに沿うように作られている。窮屈なコルセットで腹部を無理に締め付けておらず自然に見える。
オルガの口癖から着想を得てリリアンナに掛け合ったのだが、前例がないということもあり無理をさせてしまったと思う。それでもこのように間に合わせてくるのだからリリアンナの贔屓の工房はよほど腕がいいのだろう。
問題は似合うかどうかだったが案外悪くない、鏡の前で確認してみたがフリルの重いドレスよりはよほどマシに見える。ユーリもこのように言っている事だから一安心である。曰くリリアンナも次の舞踏会ではこのドレスを着ると張り切っているという。
舞踏会への馬車の中、ノーラッド伯爵家によって何から何まで揃えてもらったことに申し訳無く目を伏せるブリジットにユーリは小さく謝罪した。
「すまんな、社交は苦手なのだろう?」
「あ、いいえ、そのような。まぁ…その、ユーリ様が人気ですから不安はありますが」
「あぁ、令嬢たちのやっかみが気になる、と?そこは心配いらない」
「何故です?…守ってくださるのですか?」
「馬鹿を言わないでくれ、彼女達が私の前でそんな真似をするとは思わないし、何より私にそんな度胸はない」
「赤獅子が、ですか?」
「…私など、姉上に比べれば仔猫のようなものだ」
情けないユーリの言葉にブリジットは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。しかしその顔はあまりにも真剣で馬鹿にできない迫力がある。余程姉であるリリアンナが恐ろしいのだろう、一体何をされればここまで従順になるのか。ノーラッド邸でみた苛烈さは凄まじかったがユーリとて男なのだ。暴力だけで従わせられるとは思わないのだが。
けれど、真を問うなど出来まい。馬車が止まりスムーズなエスコートでブリジットはディーチェ邸へと降り立った。ユーリの所作は素晴らしい、本当に女性恐怖症なのかと疑ってしまうくらいだ。
針の筵ような女の視線を無視して邸内の奥へ進む、奥には悠然と微笑む女主人がいた。ドレスデザインは旧来のものであるが色はブリジットの纒うものと全く同じである。ヒソヒソと小声でブリジットのドレスを詰っていた令嬢の一部は、その事だけで意図に気が付き顔を白くして口を噤んだ。ブリジットとユーリがリリアンナの側に立つ、美しい瞳がドレスを見て満足そうに弧を描いた。
「皆様、御機嫌よう。わたくしの招待に応じていただけて嬉しいわ、会を始める前に不作法ですけれど、ちょっとした紹介があるんですの。我が弟ユーリがスタンシア伯爵令嬢ブリジット嬢と婚約いたしました」
よく通る声は張りあげる事をせずとも周りによく響いた。ユーリに熱を上げていた令嬢が絶望によってよろめき、嫉妬によって眦を吊り上げる。契約関係にあるブリジットはその反応の全てにやや気後れした、自分はついこの間まで赤獅子の特徴くらいしか知らなかったのに。豚に真珠とはまさにこの事だろう、少しだけ後ろめたい。
リリアンナはそんな騒めきなど気にも止めずブリジットに「似合っています、揃いで着たかったわ」と親しく語りかける。社交界の華が認め、恐らくは贈ったドレスだと知り周囲の空気は更に張り詰める。もしこの後型破りな事を指摘しようものならリリアンナを敵に回すということになるのだ。
「わたくし、将来の義妹を気に入っておりますの。ですので…相応のことを、御考え下さいませ?」
ようやっとあたりに向けた目はあまりにも冷たく、鋭く。招待客は喉元に刃が突き立てられたのだと錯覚した。
挨拶に回るユーリとブリジットにはどこか腰が引けた対応がされた。リリアンナの権威恐るべしとブリジットは思わず肩を震わせる。投下された爆弾は大き過ぎたと思うがそれが彼女のやり方なのだろう。
「よく分かりました」
「それは何より。露払いの必要がなくてよかったな」
「まるで敵ですね。ところでユーリ様…あの、大丈夫ですか?」
恐れによって淡白な挨拶ばかりなのは嬉しかったが、それでもユーリに一縷の望みをかけて秋波を送る令嬢はいた。勿論口には出さないしブリジットをなじるような真似もしないが、自分を女だと主張することにかけて本気だった。一周回って感嘆さえ覚えるブリジットであったがユーリはそれどころではない。
仲の良さの演出に繋いでいる手からは尋常でない手汗が滲みブリジットの長手袋をじっとり濡らしていた。目もどこか虚ろで声に覇気もない。てっきり接触したことでこうなったかと思ったのだが原因はブリジット以外の令嬢にあるようだ。ユーリは会話では立派なものだが側に女性がいるだけでダメだ、よく見ると膝が震えていた時もある。
「あぁ、問題ない、君が手を握ってくれているので手を握られないからな」
「そ、そう、ですか」
婚約者のいない男に未婚の女性が触るなど褒められた行為ではないわけだが、どうやらそんなことにも捉われぬ令嬢がいるそうだ。これはリリアンナのいない夜会では気を張らなくてはならないなとブリジットはこめかみを抑える。大方の交流は済ませ壁と一体化するかと相談をしていた中、遠巻きにされているはずの2人にかかる声があった。
「ユーリ!お前もついに婚約か!」
「モーリス!あぁ!良かった!そろそろ男に抱きつきたくなってきたところだ」
「気持ち悪ぃこと言うんじゃねえ!あぁ、こんばんは、ブリジット嬢。モーリス・ランバートだ、よろしく」
「ブリジット・スタンシアです。遊撃部隊小隊長のモーリス様、ですよね」
「大層なもんじゃねえさ、にしても…なるほど、こういう子がタイプだったか」
「やめろ、女性に対して」
「なんだ友人に向かって」
話しかけてきたのは熊を彷彿とさせる大男だった。厚い胸板と濃い髭は傭兵のような見てくれだが、荒々しくも顔は整っている。野生的な魅力に溢れるタイプでそういった趣味の令嬢には熱を上げられそうだ。
モーリス・ランバートはランバート男爵家の若き当主だったか、人好きのする笑顔を向けられたブリジットは浅い記憶から掘り出した。有力な騎士に関しての情報は最低限ある、勿論最低限のランクは恐ろしく低いためナナリーからは叱責の種であったが。
さて、子供のような言い合いを繰り広げる2人はかなり気心の知れた仲のようだ、まるで命綱のごとく強く繋がれていた手が外れ安堵した笑みを浮かべるユーリをブリジットは微笑ましく見ていた、年上だというのにどこか弟のようだ。
「お二方は仲がよろしいのですね」
「勿論。生涯独身を貫くようなら下町のおばちゃん軍団に叩き込んでやろうと良心的な算段を立ててたくらいには友人想いだとも」
「絶交だ」
息の合った問答にはしたないと知りながらつい吹き出してしまう、漫才かなにかを見せられているようだ。モーリスは人を安心させる才能があるのかブリジットともユーリと同じくほっとした心地になる。
曖昧な笑顔を張り付けて横に並んでいるつもりだったのがいつのまにか会話に混ぜ込まれる形になる。ふとモーリスはふざけた表情を消して真剣な眼差しでブリジットの瞳を見つめた。お調子者といった男の真面目な様子につい身を固くする。
「なぁブリジット嬢、こいつは結構アレだが元は気の利く男なんだ。末永くよろしく頼むぞ」
「お、おい」
「はい、優しい方であるのは分かっていますから」
「おっ!はは!惚気られちまったか!いい子じゃねえの、大切にしろよ!式には絶対、押しかけてやるからな?」
「…浮かれすぎだ、モーリス」
そのパッと輝くような笑顔にユーリとブリジットはつい小さな罪悪感を抱いた。もしかすると気が付いているからこそそんな言葉を出したのかもしれないが考えすぎだと無理に頭から弾き出す。
式、そう、婚約したからには式があるのだ。双方顔を見合わせて苦笑してしまった。そんな基本的な事すら話し合っていなかったと思い当たって。持参金は勿論ウエディングドレスまでもノーラッド伯爵家から頼むという悲惨さだがユーリは快く、惜しみなく支援をしてくれるという。いくら女性から逃れる為とはいえ投資の桁違いっぷりに頬が引きつりそうになる。
ブリジットとユーリの挙式は半年後ということになった。