外伝Ⅳ 北の魔物④
現れたのは、巨大な猿だ。
金色の毛と、分厚い筋肉の鎧を着た魔獣。
すでに戦闘態勢に入っているらしく、俺の前で激しくドラミングを繰り返す。
いいな、そのやる気。
子どもを前にしても、本気になる姿勢は嫌いじゃない。
それとも俺が只者じゃないってこと、本能的に悟ったのか。
いずれにしても楽しめそうだ。
「では、まず挨拶代わりと行こうか、Bランク殿」
俺が手を掲げる。
同時にゴールドヘッドも、俺に向かって構えた。
【豪炎球】
火塊を射出する。
森を紅蓮に包みながら、炎がゴールドヘッドに向かって行った。
直後、着弾する。
激しく炎が立ち上る。
だが、俺は油断しない。
この感触――ヤツは生きている。
果たして預言は当たった。
ゴールドヘッドが炎の柱を突っ切り現れる。
黄金の毛に炭1つ付いていなかった。
「耐魔法防御は健在か……」
ゴールドヘッドの黄金の毛は、ただのはったりや雌を誘惑するためのものではない。
毛の1本1本に耐魔法防御の効果がある。
生半可な魔法で、ゴールドヘッドの身体を貫くことは不可能。
簡単に言うと、【魔導士】の俺にとってすれば、天敵ということになる。
『がっあああああ!!』
ゴールドヘッドは巨椀を振るう。
俺を叩き潰そうとするが、寸前で避けていた。
スピードもなかなかのものだ。
蠅程度なら捉えただろうが、残念ながら俺は蠅ではない。
一旦距離を置くが、ゴールドヘッドはしつこく追いかけてくる。
土を穿ち、木を倒し、岩を砕きながら迫ってきた。
なまじスピードがある分、なかなか手強い。
それに今の俺は【魔導士】だ。
接近戦にも自信はあるが、それでも職業魔法がら中遠距離を得意とする。
おそらくゴールドヘッドもそれがわかっているかもしれない。
猿というのは、なかなか悪知恵が働くものだからな。
『ぐああああああ!!』
またゴールドヘッドは近くにあった岩を砕く。
その破片が当たりに散らばり、高速で周囲に飛んでいく。
石つぶては俺に目がけて飛んでくると、足と手を切り刻んだ。
軽傷だが、今世においては初めての負傷となる。
『ぐはっ! ぐはっ! はっはっはっはっ!!』
ゴールドヘッドは胸を叩くと、さらにニヤッと口端を吊り上げる。
「ふん。俺を傷付けたのが、そんなに面白いか?」
とはいえ、負傷したことは事実だ。
素直に褒めてやるべきだろう。
しかし、今のうちに宣言しておいてやる。
ここからが地獄だとな……。
俺はまた走り出す。
一泊遅れて、ゴールドヘッドも追いかけ始めた。
実に嬉しそうな顔をしている。
俺と戯れるのがよほど楽しいのだろう。
向こうからすれば、人間の子どもを嬲っている程度にしか思っていないのかもしれない。
戦いへの真摯さは薄れ、ゴールドヘッドは遊び始める。
その油断が地獄を招くというのも知らずに。
俺は走りながら、後ろのゴールドヘッドに手をかざした。
【土壁陣】
土の壁を作る魔法だ。
攻撃的な魔法が多い【魔導士】の中にあって、珍しい防御魔法である。
耐衝撃に強く、水系魔法以外なら攻撃魔法を防ぐことができる。
が――――。
『うがっ!!』
ゴールドヘッドはあっさりと土壁を破壊する。
いくら耐衝撃に優れていても、巨猿の突進を受け止めるほどの耐久性はない。
それに俺が敷いた土壁は、ある程度薄くしていた。
つまり、最初から壊されることを前提としていたのだ。
土壁を壊したことで、土煙が舞う。
一瞬、ゴールドヘッドは俺の姿を見失ったようだが、すぐに興奮した瞳を俺に向けた。
木の枝に止まっていた俺に向かって、手を伸ばす。
捉えたかに見えたが、すぐに俺の姿は消えてしまった。
『うか??』
ゴールドヘッドはその不可思議な現象に、首を傾げるだけだ。
すると、次に見た光景を見て、巨猿はさらに戸惑うことになる。
『うががががががああああああああ!!』
ゴールドヘッドの周りには、無数の俺がいた。
1人だった人間が、いきなり何人も現れたのだ。
さすがに野生の知能では、この事態を分析することは難しいらしい。
「どうだ、ゴールドヘッド……。無数の人間に囲まれることはあっても、無数の同じ人間に囲まれるのは初めてだろう」
これは俺のオリジナル魔法だ。
といっても、複数の魔法を同時起動しているだけである。
【魔導士】の光系魔法【光影】。
同じく【魔導士】の水系魔法【水泡】を使ったものだ。
前者は光の屈折を使って、自分の姿を別の場所に投影する魔法。
後者は非殺傷の水泡を作る攪乱魔法である。
原理は簡単だ。
【光影】で作った俺の姿を、水泡に投影するようにしているだけ。
水泡の数だけ、俺の姿が映ることによって、ゴールドヘッドを攪乱しているのだ。
「さて、頃合いか」
完全にゴールドヘッドは俺の術中だ。
後は、完全な死角のところから、急所を穿てばいい。
ゴールドヘッドの致命部分は、前世においてすでに判明済みだ。
俺は弓を引くようなポーズを取る。
【鋭水槍】
水系魔法の1つだ。
だが、また打たない。
槍状に現れた水を大きく引き、弓へと変化させる。
さらに魔力コントロールによって、水の矢を圧縮させていった。
やがて、高密度の水の矢が完成する。
ゴールドヘッドの防御は魔法においても、物理においても完璧だ。
金毛は魔法を弾き、分厚い筋肉の鎧は易々と土壁を破壊する。
しかし、魔法制御によって圧縮した水の矢を使って、一点突破すれば、いくら強固な要塞でも穴を開けることはできる
「フィナーレだ、ゴールドヘッド!!」
直後、俺は巨猿に向かって水の矢を放った。
『うがあああああああああああああ!!」
ゴールドヘッドは絶叫するのだった。
◆◇◆◇◆
「あ! 帰ってきた!!」
山から帰ってきたラセルに気付いたのは、女性の【魔導士】だった。
エリアルと周りから呼ばれる【魔導士】は、芯の強さこそすっと伸びた背筋から感じるのだが、まだまだあどけなさが残る少女であった。
特徴的な薄い赤毛は長く、無造作に後ろで結ばれている。
ラセルを見つけた彼女は、1度立ち止まった。
言いたいことは色々あったが、わずか10歳の少年の姿を見て、何も言えなくなる。
ただ一言……。
「ねぇ、君……。ゴールドヘッドはどうしたの?」
尋ねると、ラセルはエリアルに向かって、魔晶石を渡す。
大きな魔晶石を見て、エリアルはすぐに気付いた。
魔獣が強ければ強いほど、魔晶石は大きくなる。
これほどの魔晶石は、山に棲む雑魚魔獣では絶対にあり得ない。
増して偽物というわけでもなかった。
「倒した」
それだけ言って、ラセルは帰っていく。
野営のテントの中に入っていった。
「お、おい……。172番の様子はどうだった?」
ラセルが去った後に現れたのは、教官だった。
生きて帰ってきた新人を労うどころか、どこか恐れているといった感じだ。
事実は額には脂汗が浮かんでいた。
教官はラセルに痛い目を見させるために、Bランクの魔獣がいることを知りながら、ラセルを含めて新人たちに山狩りを命じた。
だが、ラセルは戻ってきた。しかも、Bランクを倒しての帰還だ。
何らかの報復を恐れているわけだが、エリアルが知る由もなく、淡々と教官の質問に答えた。
「笑ってました……」
「笑っ――――。はあ? 本当か?」
「ええ……。まるで玩具を買ってくれた子どもみたいに」
ホクホク顔でした。