外伝Ⅳ 北の魔物②
◆◇◆◇◆ 教官 視点 ◆◇◆◇◆
「ぶはっはっはっはっ……!」
ひよっこたちが向かった山の麓で大笑していたのは1人の教官だった。
腕を組み、ふんぞり返りながら山を見つめている。
時折聞こえてくる爆発音や、木々が倒れる音を聞くと、その声は大きく鳴り響いた。
「見たか、172番め! 今頃、山でべそをかいてるかもな」
目に浮かぶようだとばかりに、172番の教官は再び大口を開けて笑う。
普段からひどいめに遭わされてきた。
そのすべてをぶつけるための実地訓練だ。
「泣いても許してなるものか。徹底的に痛めつけて、あいつが泣いて尻穴を差し出してくるまでいじめ抜いてやるわ」
下品な言葉まで混じる。
すると、山から訓練兵が戻ってきた。
初の魔物との戦闘で、身も心もさぞかしボロボロだろうと思ったが、初等学校から帰宅したみたいに小綺麗な姿をしている。
精々隊服の膝部分が汚れているだけ。おそらく何かの弾みで転けたのだろう。
魔物の血の臭いすらしなかった。
「貴様ら! 何をやっているか!! なんの戦果も上げず戻ってくるなど! 人類軍の軍人として恥を知れ!!」
教官は怒鳴り付ける。
訓練兵たちは声の勢いに押されて肩を竦めたが、やや戸惑いつつも反論を開始した。
「教官殿、信じられないかもしれませんが、我々が受けもった地域の魔物の掃討は終了いたしました」
「はあ! 下手なウソを付くな」
「う、ウソではありません!」
「ワシはな! もうここで10年近く教官をしている。ウソを付いているかそうでないかはすぐわかるのだ。そもそもお前らの恰好が示しておるではないか!」
「違うのです、教官!!」
ついに訓練兵が声を荒らげる。
その真に迫った声に、さしもの教官も驚く。
まるで魔物以上の化け物でも見たかのように戸惑いを口にした。
「我々が所定位置についたら、もう――――」
「もうなんだ?」
「すでに魔物たちが駆逐され、遺骸が残るだけでした」
「は? 魔物同士で殺し合った? 馬鹿な!!」
「いえ。あれは間違いなく、魔法による攻撃です。おそらく【魔導士】の」
「【魔導士】……。まさか――――」
教官の頭によぎったのは、1人の生意気な訓練兵である。
勿論、隊にはあと数名【魔導士】が存在するが、まだまだひよっこばかり。魔物相手に腰を引けるのは目に見えている。
だが――――。
「教官殿!」
先ほどの隊を皮切りに、どんどん訓練兵たちが山から下りてくる。
どの隊も同じらしい。現着した瞬間には、すでに無数の魔物の死体が折り重なっていたという。
ドンッ!
再び山で砲声のような音が響いた。
煙が上がり、赤く燃え上がっているようにも見える。
呆然と眺めながら、教官は呟いた。
「一体、山で何が起こっているのだ?」
「教官!」
「またか!! 今度は何事だ!!」
溜まらず教官は怒鳴り付ける。
気付けば隊のほとんどが戻ってきていた。
息を切らしながら、山から降りてきた訓練兵は教官に報告する。
こちらは相当慌てておりてきたのか、枝を引っかけたような痕があり、他の訓練兵とは様子が違っていた。
「報告します! ご、ゴールドヘッドです!」
訓練兵の叫ぶと、場は騒然となる。
教官も一瞬、口を開けて固まった。
ゴールドヘッドは巨木を軽々と根っこごと引き抜く膂力と、原始的な道具ぐらいなら作れる知能を持つ魔物である。
そのランクは〝B〟だった。
魔物に於けるランクは、7段階。
つまり〝S〟〝A〟〝B〟〝C〟〝D〟〝E〟〝F〟である。
最高級の〝S〟はもはや天災クラスで、魔王のような存在を指し示す。
そして、〝B〟ランクとは魔王の幹部や二級幹部ぐらいのレベルだ。
勇者や聖女、あるいは英雄と呼ばれる希有な才能の持ち主と同レベルとはいかないまでも、手練れの冒険者や現役の軍幹部級の力が必要になるぐらいの力は持ち合わせていることになる。
当然、老齢の教官如きが叶うわけもなく、訓練兵たちが束になって勝てる相手でもない。
そんな山に訓練兵たちが分け入り、Bランクの魔物の縄張りを荒らした。
相当怒っていることは、誰でも予想は付くだろう。
慌てて訓練兵が逃げて来たのもわかる。
空気が湿っていくのを感じた。
そんな時、1人の訓練兵が手を上げる。
隊の中でも数人しかいない女の訓練兵で、【魔導士】の職業魔法を持っていた。
「教官、もう1つ報告が……」
「なんだ?」
「逃げている最中だったので、しっかり顔まで確認できなかったのですが、ま、間違いないと思います」
「だから、なんだと言うのだ?」
教官が語気を強めると、女性訓練兵は意を決して報告した。
「172番のあの子です」
「まさか――――」
「はい。172番がゴールドヘッドに向かって行くのが見えました」
胸の中に秘めていたすべてを吐き出すように、女性訓練兵は叫んだ。
その言葉を聞いて、多くの同期が項垂れる。
「そんな……」
「まだ小さいのに」
「でも、あいつなら」
「いや、でも10歳だぞ」
小さな訓練兵に、皆が同情する。
身を挺して仲間を助けた子どもの姿に、心を打たれたものもいる。
しかし、1人だけ違った。
教官である。
「ぶははははははは!!」
また大笑を響かせた。
その瞳は愉悦に歪み、笑顔を見せないように空を望んでいた。
(ざまーみろ、172番! そこでおっちぬがいいさ!!)
教官は呪いをかけるのであった。