外伝Ⅲ 楽しい訓練
俺が人類軍に入隊して、3ヶ月が経過した。
毎日朝から晩まで筋肉が悲鳴を上げるまでしごかれ、不味い飯に血の味が混じるぐらい教官に折檻を受ける日々が続く。
人類のためと鼻息を荒く入隊した新兵も、一週間後に音を上げていた。当然脱走兵も現れ、実家の馬小屋に隠れていたところを引っ張り出された者もいる。
ここは地獄か、と嘆く者がいる。しかし俺から言わせれば、認識が遅い。
そしてここは地獄というより、その入口だ。
戦場に立てば、この訓練が恋しくなるほどの恐怖を味わうことになる。
さて、かくいう俺の方は他の新兵と違って、うまくやっていた。
教官の折檻と説教はうざったいことこの上ないが、身体がいじめ抜くのは嫌いじゃない。
50㎏の背嚢を背負って整地されていない野山を駆けまわるのは、無意味な健康法や筋肉鍛錬よりも楽しませてくれる。
いくら俺が元賢者とて、後の筋肉痛から逃れることはできないのだが、自分が強くなれると思えば、心地よい痛みだ。
とはいえ、俺も10歳である。
この先の成長期を考えれば無理は禁物だ。
成長期の筋肉鍛錬などは、骨の成長を阻害すると聞いたので、余計鍛錬は控えるようにした。
しかし、前の転生でもそうだったのだが、他の10歳児と比べても俺の成長は遅い。これは魂に刻まれた呪いなのだろうか。今度神に会ったら、一言文句でもいってやろう。
「172番!! 172番!! 何をやっている!! ボゥとするな!!」
噂をすればなんとやらか。
教官殿が今日も顔を赤くしてお怒りだ。
現在、俺たち新兵は射撃訓練の真っ最中である。
30mほどの的に、それぞれの職業魔法を制御して当てるありきたりな訓練である。
俺にとっては実につまらない。
5日間、無耐寒装備で雪中行軍する方がまだ勘と精神を鍛え上げられるだろう。
的に当たれば、今日の訓練は終了というのだが、未だに職業魔法に触れたことのない新兵たちには難しい課題のようだ。
俺が他の訓練を経て、ここにやって来たのは今さっきなのだが、すでに1時間以上的に向かって職業魔法を撃ち続けている人間もいるらしい。
俺からすればボーナスみたいな課題だが、新兵たちには地獄だ。
職業魔法には高い集中力が必要になる。その魔法を撃ち続ければ、精神はすり減らされ、脳は沸騰する。魔力は次第になくなり、その内指先に魔力を込めることすら難しくなる。
それでも教官たちは魔法を撃ち続けろ、とケツを叩く。
新兵たちは身体を雑巾のように搾って魔力を捻り出そうとする。
すると、どうなるかという身体が拒否反応を起こし、激烈な痛みを伴うのだ。
魔力は職業魔法だけに使うものではない。
俺たちの生命維持のためにも使われている。それは魔物や魔族も一緒だ。
普段、生命維持の魔力は職業魔法を使う際に使用されることはないのだが、極限の状態ではその魔力に触れ、身体の逆鱗に触れることになる。
何も知らなければ、落雷に打たれたような痛みを味わうことになるだろう。
おそらくこの訓練は身体の逆鱗を体感するのものだ。
己の限界を探る訓練――といえば聞こえはいいかもしれないが、気を失うほどの痛みを受けては、戦場で戦い続けることなどできない。
ほとんど無意味ことだが、サディスティックな教官たちの賭け事にはちょうどいいようだ。
ほとんどの新兵が気付いていないが、限界を知って倒れる奴が何人いるか、教官たちの間で賭をやってるらしい。
戦地から離れているが、実にのどかな光景である。
「おい! こら! どうした!! 早く狙え!! 446番!!」
急かしたのは俺に付いた教官ではない。
4つ隣の教官だった。
その教官が付いた新兵446番はすでにヘロヘロだ。
顎が下がり、顔中には脂汗。目の下には急性の魔力欠乏症の症状を示す真っ黒な隈が見える。
それでも【戦士】らしい男は、弓を引き、【致命】の職業魔法を矢尻に乗せて放つ。しかし、右に逸れてしまった。
【致命】は対象の弱点を自動攻撃、追尾してくれる魔法だ。
だが、男の魔力は荒く、魔法の効果を十分に現していなかった。
「おしい! あともうちょっとだ! ほら! 頑張れ。撃て!!」
意識が朦朧としていると、自分が限界なのかどうか判別できなくなる。
不思議なことに教官の声に反射的に反応して、魔力を捻り出し、限界を超えることもあるから厄介だ。
新兵にはその兆候があった。
それは教官もわかっているらしく、ああして激しく煽っているわけだ。
おそらく自分の担当している新兵が、限界を超える方にベットしているのだろう。
「172番! 早くしろ!!」
忘れていた。人のことを心配してる場合ではなかったな。
さっさと訓練を片付けて、自主練でもするか。
俺は手を掲げる手の先に炎が宿ると、解き放った。
【初炎】!
【魔導士】が初期段階で装備されている唯一の魔法である。
火の玉は真っ直ぐ的に向かって行く。
これが当たれば、俺の訓練は終わりだ。
「おい! どうした! お前の力はこんなものか!! 446!!」
また4つ向こうのレーンで教官が騒いでいる。
再び男は矢を射ろうとしていた。
俺は掲げた手を軽く振る。
的を目がけて飛んでいた炎が途中で、曲がった。
無論、外れだ。
「どうした、172番!! 今日は調子が悪いのか? いや、今までの訓練成績が奇跡的に良かっただけかもな。さあ、今日は夜まで付き合ってやるよ。撃て撃て」
囃し立てる。
俺はすかさず【初炎】を撃つ。
今度は教官の頭上を通り過ぎていった。
その際、教官の帽子はおろか、付けていたカツラに炎が燃え移る。
「アチ! アチチチチチチチ!!」
俺付きの教官は猿のように走り回る。
結局帽子もカツラも燃え滓になってしまった。
「おや? 教官、その頭はカツラだったんですね」
「172番! 今、わざとやっただろ?」
「そんなことはありません。ちょっとだけ調子が悪いみたいです」
おかしいなあ、とジェスチャーを付け加えた。
「それよりも教官殿は、カツラを付けていたんですね。でも、今みたいに髪がない方がスッキリしていいと思いますよ。魔族や魔物に髪を引っ張られることもないですからね」
「クソガキ!! 教官を愚弄するかっっっっ!?」
「愚弄なんて……。俺は思った事しか言ってません」
「ムカッ! いい度胸だ、172番! なら貴様には、別の訓練を与えよう。4本だ! 的を4本射貫くまで厩舎に帰ることを許さん」
厩舎とは馬小屋という意味ではなく、俺たちが寝泊まりしている兵寮のことだ。
教官たちはいつも兵寮のことをそう呼ぶ。
「そんな! 4本なんて無理ですよ! 1本でも難しいのに!!」
「駄目だ。譲歩はせん!!」
「じゃあ、せめて……射るんじゃなくて、その的を倒したら合格ってことでどうでしょうか?」
「ふん。どっちも一緒の意味ではないか。まあ、良かろう。それぐらいなら」
「ありがとうございます、教官。じゃあ、早く帰りたいので――――」
1度に倒しますね……。
「はっ!!」
俺は手を掲げる。
大量の魔力を全身から捻り出した。
さて俺は最近訓練の合間に自主練をしている。
それは魔物狩りだ。
兵寮はまだ本格的な戦地からは遠いが、孤児院にいた頃より危険な場所が多い。
俺は兵寮を抜け出しては夜な夜な魔物を狩り、スキルポイントを獲得し続けている。魔物を倒したことによって得たスキルポイントは、そのまま職業魔法と交換することができる。
それがこの世界の仕組みだ。
俺はまだ10歳の身だが、やろうと思えば、職業魔法最強の魔法を獲得することだって可能だ。
今回獲得したのは、風属系の中級規模魔法。
群れで襲ってきた魔物をバラバラにできるほどの威力を持つ、残忍な風の刃だ。
訓練の合間にちょっと一狩りしてきて、ちょうどさっき獲得したばかりだ。
(さあ……。試技といこうか)
自然と口が吊り上がる。
この魔力が大量に収束していく感覚はなかなかに心地がいい。
対して教官の顔が青くなっていた。
教官だけじゃない。同期たちもおののいている。
怖いなら逃げればいいものの立ちすくんでいた。
ただ1人、446番の教官だけが、ぼうと俺の方を見ていた。
「初めて使うからな、教官。多少の魔力制御は大目に見てくれよ」
俺は脂汗を掻きながら、暴発しそうになっている強大な魔力をなんとか抑え込む。
中級とて広範囲に放たれる魔法だ。
その制御の難しさは上級の魔法に匹敵する。
だからこそ頼りがいがある。
「やめろ! 172番! お前、そのまま撃ったら!!」
「行きますよ、教官!!」
「ぎゃ! ぎゃあああああああ!! やめろおおおおおおおおおおお!!」
教官の悲鳴は、俺が放った風属性魔法の中にかき消えた。
【爆風裂陣】!!
俺を中心として巨大な竜巻が巻き起こる。
立ってるのも難しい暴風が容赦なく人を殴り、蹴散らす。
新兵と教官は悲鳴を上げて退避していく。
あの446番も仲間に引きつられ逃げていった。
退避を確認した後、俺はさらに魔力を増大させ、魔法の範囲を拡大させる。
俺の感覚としては、小指の先で押した程度だったのだが、あっさり竜巻は膨れ上がった。
もはや4つの的どころではない。
風は竜の如く暴れ回り、訓練場を滅茶苦茶にしてしまう。
しかし、よく見ると1人教官が残っていた。
446番の新兵をしごいていた教官だ。
腰が抜けて立てないらしい。
竜巻の刃が教官の鼻先に近づいた。
「これぐらいでいいか」
俺は魔力を切る。
さすがに少々疲れた。
消耗魔力は上級魔法と変わらないからな。
「だが、この威力だ」
バラバラに訓練場を見て、ニヤリと笑う。
少々やり過ぎてしまったが、俺にとって意味のない射撃訓練は当分行えないだろう。
あの馬鹿げた賭もな。
「ひゃ、172番! き、貴様……」
俺は腰の抜けた教官に近づいていく。
手を差し出すが、それは教官を引っ張り立たせることではない。
教官が差し出した手を華麗にスルーし、その胸元のポケットに入った札を取り出す。
「あっ! 貴様!!」
「兵士たちを強くするのはかまわん。だが、この金は俺を強くするのには不純物だ」
「う、うるさい! 貴様、一体何様のつもりだ!?」
「黙れ! それともさっきの魔法でバラバラになりたかったか?」
教官の襟元を掴むと、耳元で囁いた。
バターみたいにたっぷりと濃厚な殺気を乗せると、教官は白目を剥く。
挙げ句、放尿を始めてしまった。
やれやれ……。
手を離し、俺は訓練を終えて去って行く。
さて自主練の続きを始めるとしよう。