外伝 Ⅷ 勇者暴走⑦
事の起こりは【勇者】ゼナレストが率いる斥候部隊が発端だった。
人類本隊は補給本隊の合流を待って、北に陣取る魔族を掃討する予定だったようだ。
だが、知っての通り補給本隊の合流はフォレストサーペントのおかげで遅れに遅れていた。
痺れを切らしたゼナレストは、魔族の数と戦力、どんな種族がいるのか詳細に確認するために、第三師団から斥候部隊を編成し、隊を送った。
この時、レナは個人的に反対だったという。
確かに魔族の情報は欲しいが、少数で向かうのはあまりにリスクが高すぎる、と。
確かに魔族には種族ごとに特殊能力が存在する。そのほとんどがトリッキーで、根本的な戦略を変更せねばならないぐらいだ。
レナの心配は話を聞いていて、理解はできた。
だが、【勇者】ゼナレストの判断は違う。
『能力がわからないからこそ、確認しておく必要がある』
そう言って、レナを説き伏せた。
結局、斥候部隊には無理に魔族本陣に近づくなと厳命し、10名の斥候を送った。
果たして斥候は無事帰ってきた。それは喜ばしいことだが、1人怪我人を連れてきていた。
第五師団の斥候だと名乗る女性隊士だった。
決死の覚悟で魔族陣営に近づき、その内情を詳しく調べた。だが深入りしすぎてしまい、結果的に仲間を失ってしまったという。
それでも犠牲は払った甲斐はあった。
人類軍は魔族陣営の様子を知ることができたのだ。
ゼナレストはその女性隊士の言葉を信じ切ってしまった。
『どうやら、第五師団も同じことを考えていたらしいな。……それにしても勇敢な隊士。女性の身でありながら、魔族の本陣に近づくなんて』
『……そうですね』
『そんな顔をするな、レナ。別に君を責めているわけじゃない。君が斥候を送ったおかげで、彼女は助かり、我々が得がたい情報を得た』
ゼナレストに励まされても、レナの不安は消えない。
そして、その不安は的中した。
突然、第三師団の一部の男性隊士たちが暴徒化。同士討ちを始めたのだ。
レナは鎮圧しようとしたが、ダメだった。
ゼナレストもまた暴走していたのである。彼の手によって、何人もの隊士たちが殺され、第三師団はあっという間に瓦解した。
「生き残ったのはここにいる数名の隊士のみ。他にもいたが、散り散りになってしまって、行方はわからずじまいだ」
レナは面目ないという感じで、項垂れる。先ほどまで烈火の如く怒り狂っていた副官の顔は、蒼白になっていた。
それだけの地獄を見てきたということだろう。
「それから我々は追い立てられるように、この森に逃げ込んだというわけだ」
「なるほど。事情はわかった。それでこれからどうする?」
「一刻も早く他の師団に合流したいところだが、もう遅いかもしれない。第三師団が第五師団に襲いかかっているのが見えた。第三師団にはゼナレスト師団長がいる。第五師団も精鋭だが、戦力は圧倒的に、第三師団が上だ。今頃は……」
「となると、残っている本隊に合流するしかないか」
「ああ。いっそ補給部隊と合流し、本国に連絡したかったところだが。先ほどの話では……」
「補給部隊の本隊は、すでに人類軍本隊と、今頃合流しているはずだ」
「くそっ!」
レナはついに己の膝を叩いた。
「このままでは人類軍は全滅だぞ」
「あ、あの~」
暗いムードになる中、手を上げたのはラシュアだった。
「いくら【勇者】様が強いといっても、まだ本隊にはたくさんの職業魔法の使い手がいるんですよね。束になってかかれば……」
「難しいな」
「そんなに強いんですか、【勇者】様って」
「全く確率がないわけじゃない。だが、ゼナレスト師団長が使う魔法【一騎千馬】は、未だに誰にも破られたことがない鉄壁の魔法だ」
確か創作魔法を使うと言っていたな。複数の魔法を掛け合わせたものだが、一体どんな魔法を合わせているのか、気になるな。
「しかし、ゼナレスト様は何故?」
「魔族に籠絡されたんだろ?」
「籠絡? ゼナレスト様が色仕掛けで人類に寝返ったというのか?」
俺の方を向いて、目くじらを立てたのはレナ以外の隊士たちだ。
「普通に籠絡されたわけじゃない。おそらくはハイ・サキュバスだろ」
サキュバスは人間の男を籠絡し、精神を乗っ取り、最後には魂を吸い取るといわれている魔族の一種だ。
ハイ・サキュバスはその上位互換ともいえる存在である。
「それなりの強者であれば、ある程度魅了魔法は弾くことができる。だが、ハイ・サキュバスともなれば別だろうな」
サキュバスは魔族の中でも低レベル存在で、寿命も短い。
だが、ハイ・サキュバスは違う。
その魅了の精神侵犯度はサキュバスの比ではない。しかもかなり賢く、人間の心にも精通していて、どんな聖人でも胸の裏側にある闇を暴くことができると言われている。
「いくら【勇者】とはいえ、男である以上はハイ・サキュバスの精神攻撃から逃れられない」
「ゼナレスト様は勇者だぞ!」
「裏切るはずが!」
「やめろ! お前たち!!」
レナは声を荒らげた。
「事実、ゼナレスト師団長は裏切った。今や人類の敵だ。その子どもを責めるな」
俺はもう子どもではないのだがな。
やれやれと頭を振る横で、震えていたのはデグナンだった。
「おいおい……。これって詰んでるじゃねぇかよ、人類」
「デグナンくん……?」
「だってそうだろ。無敵の魔法を持つ【勇者】様が裏切ったんだ。全滅だろ」
「そ、そんなことは……。まだ決まってないでしょ!」
珍しくラシュアが叫んだ。
「いいや! 決まってるね。もうだめだ! おしまいだ!! くそ!! なんとか生き延びたってのによ! 今度は【勇者】が裏切るって。どんだけ、ツキがねぇんだよ、オレたち!」
ついには頭を抱えて、動かなくなる。
戦闘になれば勇猛だが、1度消極的思考になれば、ひたすら悲観しかできなくなる。デグナンの悪いくせだ。
デグナンなら、ハイ・サキュバスでなくても、籠絡することは可能だろう。
「決めつけないでよ。何か打開策があるはずよ」
「ラシュアに何か考えがあるの?」
冷たく突き放したのは、レンである。
デグナンと同じく危機を察したのか、再び本を読むスピードが上がっていた。
というか、この状況でよく本を読めるな、レンの奴。
ある意味で、相当な胆力の持ち主だ。
ハイ・サキュバスじゃなくても、1冊本をぶら下げれば、忽ち籠絡できるだろう。
「でも、このままじゃ。私のパパやママが……。人類が滅びちゃうよ~」
ついにラシュアは泣き始めた。
17歳の少女の涙を見て、デグナンまでもらい泣きする。
さらには第三師団の生き残りの隊士たちまで鼻を啜り始めた。
確かに状況は絶望的だ。
人類にとって虎の子の勇者を失ったわけだからな。
「だからといって、泣いても始まらんだろう」
「ふぇ……」
俺はラシュアの涙を拭く。
涙滴を見ながら、俺は口にした。
「逆転する方法はある」
「なんだと……」
「ラセルくん、ホント?」
「ああ……。実に簡単でシンプルな方法がある」
「それは一体……」
「【勇者】はハイ・サキュバスの魅了によって籠絡された。ならば簡単だ」
ハイ・サキュバスを俺たちで討てばいい。









