外伝Ⅱ 孤児院にて……(後編)
「いやあああああああ!!」
子どもの悲鳴が響いていた。
場所は軍が秘密裏に立てていた研究所だ。
早速持ち込まれた献体を使って、実験を始めようとしていた。
手足を縛られた子どもたちの前には、牛の骨すら捌けそうな大きな包丁を持った人間が立っている。白衣には、血を拭った痕が残っていた。
子どもたちは四肢を繋げながら必死の抵抗を試みる。
なけなしの魔力を使って、脱出しようとしたが、部屋は魔法が使えないように結界が張られているらしく、魔力を収束させることすら叶わなかった。
その実験を硝子向こうから見ている人間がいる。
実験の責任者と思われる男は狂喜乱舞し、硝子張りの向こうで行われていることを見届けていた。
「そんなに喚くものでもない。むしろ喜べ。お前たちのような弱者が、社会の底辺が人類勝利のための礎となることを」
最後には狂ったように笑う。
「六大職業魔法を移植実験について……。ほう。俺の他にも六大職業魔法を全習得しようと考える輩がいるとはな?」
「なに?」
責任者は振り返る。
異変に気付いたのだろう。
硝子向こうの施術者たちも、俺の方を見ておののいていた。
「子どもだと?」
「だが、悪いことはいわん。この実験は失敗する」
俺は捲っていた資料の束を閉じた。
「はあ? 我が輩の実験に失敗の文字はない!!」
責任者は言い切る。
「六大職業魔法の力を持つ人間に、他の職業魔法を持つ人間の身体を移植させようというのだろう。無駄だ。俺も【聖職者】だった時にやった。自分で腕を切り、【戦士】の力を持つヤツの腕をくっつけてみた。だが、激しい拒絶反応が出て失敗した。【鍛冶師】の時は、【変性】の魔法を使って、いいところまで行ったが、それも失敗に終わった」
俺は責任者を指差す。
「外科的な施術では難しい。もっと根本を見直す必要がある」
「ええい! お前は何なのだ!! 子どもの癖に知った風な口を聞きおって」
「必ず失敗する実験に対して、失敗すると教えてやっているのだ。勝手に入ってきた非礼は謝るが、感謝の言葉もないとはな」
「おい。この馬鹿ガキを摘まみ出せ!!」
責任者が言うと、施術をしていた技術者たちが部屋の中に入ってくる。
「わざわざ【結界】の外に出てくれるとはな」
俺は手を掲げると、業火を放った。
それもまた【魔導士】の初級魔法【初炎】であったが、技術者たちは一瞬にして消滅してしまう。
さらに炎は周り、一気に研究所に火の手が回った。
俺は先に子どもたちに付けていた拘束具を外す。
幸いなことに、目立った外傷はない。
俺たちは手を繋ぎ、脱出を試みた。
「貴様、一体何者だ? 魔族か? それとも悪魔か? あるいはその子どもを助けるための正義の味方か?」
「正義の味方? そんな大げさなものじゃない。世話になったシスターがいる。少しでも恩義を返しておきたい。そう思っただけだ」
「本当にそれだけか? それほどの力を持ちながら。我が輩にはわかるぞ。今の【竜皇大火】ではないのだろう? 子どもながら、そこまで魔法出力……。本当に人間なのか?」
「過分な評価、感謝しよう。だが、【魔導士】の力はこんなものではない」
「はっ! 実に研究しがいがありそうだ。そこまで強くなってどうする? 一人で魔王でも殺すつもりか?」
「悪くないな。だが、俺の望みは世界の救済などではない」
ただ強く。……ひたすら強く。
「正義も悪も単なる世迷い言だ。俺の望みが強くなること、それだけだ」
俺は子どもを連れて出ていく。
外に出ると、研究所は崩壊した。
あの責任者が避難することはない。
一瞬振り返った時、あいつが業火の中で口を開けて笑っているのが見えた。
ピロリ……。
頭の中で音が聞こえる。
スキルポイントが入っていた。
どうやら英雄的行動として認められたらしい。
「ふん……。ケチな神の割には気が利くじゃないか」
俺は独り言を言って、笑うのだった。
◆◇◆◇◆
「え? エクナル??」
孤児院の窓を開けたのは、若いシスター――ロサだった。
俺は口元に指を押し付けて、合図を送る
現在は深夜。街の明かりもほとんど消えていた。
当然孤児院の子どもたちも寝静まっていて、ひっそりとしている。
ロサも寝間着のままだった。
その彼女が声を潜める。
「あなた、どうして?」
「戻ってきた」
俺は事情を話す。
ロサが身を挺した契約をあっさりと反故にされ、ショックを受けていた。
今にも涙を流さんばかりだった彼女を、俺は引き寄せる。
「泣くな……」
冷ややかな俺の声を聞いて、ロサは心臓が強く高鳴ったのがわかった。
「あんたにはやってほしいことがある」
「私に?」
何を? と問いかける前にロサは気付く。
壁際に隠れるように、研究所から生き残った子どもたちが立っていたからだ。
くたくたらしく、1人女児が壁に寄りかかって眠っていた。
「あいつらを育ててやれ」
「え? また孤児院に戻すってこと?」
「違う。もし、この子どもが孤児院にいれば、また軍のヤツらが来て、こいつら攫っていくだけだろ?」
「そ、そうね。じゃあ、どうやって……」
「お前が孤児院を出て育てればいい」
「ちょ! 急に言われても……」
「時間がない。早く決めろ」
「待って。なんで私なの?」
また縋るような目でロサは俺の方を見つめる。
しかし、俺はあくまで冷酷に返した。
「お前がこの子どもたちの将来のために、自分の人生を投げ出す覚悟があるとわかっているからだ」
いくら軍の関係者に迫られたからと言って、女が自分の身体を許すなんてそうそうあり得ない。
だが、あの将校にはロサと争った形跡はなかった。
それはつまり、ロサが自分の身体を差し出し、子どもたちの将来を買ったからだ。
結局、契約は反故にされたが、彼女にはその覚悟があったと俺は判断した。
「だ、ダメよ……。ここにはまだ子どもが……」
多分、この孤児院ではずっと同じことが続けられるだろう。
ロサがいなくなっても、また別の若いシスターがやってきて、子どもも女も食い物にされるだろう。
戦災孤児の受け入れ先としては最悪だ。反吐が出る。
けれど、戦争を終わらせなければ孤児も、腐った孤児院も増えて行くだけだ。
「でも、お前が今ここでこいつらを受け入れ、育てられれば3人は生き残ることができる。……選ぶのはお前だ」
しばらくロサは手で顔を覆った。
泣いているのか、思案しているのかわからない。
すると、真っ赤に腫れ上がった目を手の平で擦ると言った。
「わかったわ……」
「よし」
「でも、待って、エクナル。さっき3人と言ったわね。あなたはどうする?」
「ああ。忘れるところだった」
そう言って、俺は書類を差し出した。
「軍隊への志願書だ。孤児院の判子がいるらしい。あんたは実務全部を院長に任されているだろう」
「待って! あなた、兵隊になるの? その歳で?」
「少年兵なら10歳からでもなれるそうだ。親の承認が必要だがな」
「なんで! あなたは子どもなのよ。戦争なんて……。死ぬかもしれないのよ!!」
「ふん! こんなちっぽけで、容易い戦争など死ぬ方が難しい」
「何を言っているの? 戦争が……。容易い?」
ロサは息を飲む。
対する俺は口端を吊り上げた。
「ねぇ……。エクナル、あなたも行きましょう? どうやって、この子たちを連れ戻したのかわからないけど、あなたがただの子どもではないことは薄々感じてたわ。あなたと一緒なら――――」
「悪いが、ロサ。俺が興味あるのは子どものお守りでも、腐った軍や政治を正すことでも、世界の救済でもないんだ」
「じゃあ……」
「俺は強くなりたい」
「強く?」
「六大職業魔法全取得……。そのために俺は強くならねばならない。軍に入るのもそのためだ。スキルポイントがなければ、魔法を会得できないからな」
「ご、ごめんなさい。あ、あなたの言っていることがわからないわ」
「わからなくていい。わかってほしいとも思ってない。ロサ、俺がやってほしいのは、この書類にサインすることと、子どもたちを預かることだ」
ロサはまた思案した末、書類を受け取ると、院長から預かっていた判子を机の引き出しから取り出す。そして院長のサインそっくりに偽造した。
俺に返そうとすると、ロサは書類から手を離す。
「1つ教えて、エクナル。あの時、なんで私を助けてくれなかったの?」
あの時――そのことについて、具体的な言及はない。
しかし、俺から目を離し、伏せ目がちに尋ねた彼女の態度からして、ロサが将校と一緒に祈祷室に入っていった日のことを指しているのだろうとわかった。
「言っただろ。……俺は救世主でも、英雄でもない」
「じゃあ、あなたは何者?」
「エクナルでも、何でもいい。……そうだ。賢者と呼ばれたこともあったな」
「賢者……。そう――――確かに救世主でも、英雄でもないわね」
ロサは書類を離す。
「またどこかで……」
「ああ。でも、期待はするな。見つけても、俺から声をかけることはない」
「ええ……。わかってる」
俺は背を向け、走り出す。
夜の帳の中に紛れるのは、すぐだった。
街を出ても、朝日が昇っても、俺があの孤児院の方を向いて振り返ることはなかった。
その後、小さな孤児院があの街から離れた街に開業したと聞いた。
名前は『エクナル』。その孤児院のシスターが作る料理は、とても愛情に溢れ、おいしいという。