外伝 Ⅶ 賢者の帰還⑨
ぽつん……。
俺の鼻先に滴が弾けた。
空を仰ぐ。いつの間にか鈍色の雲が頭上を覆っていた。
かと思えば、雨が降ってくる。未だ火が燻る森に、恵みを与えys。
おそらくこれで森の火も鎮火するだろう。
フォレストサーペントの卵が気になるが、残りを俺たちが捜すよりは、後で【学者】か【探索者】に、森の中を捜索させた方が効率がいい。
進言すれば、褒賞ぐらいはもらえるかもしれない。
「気持ちいい! 煤だらけだったからちょうどいいや」
ラシュアが、雪が降ってきた犬みたいに喜んでいる。
一方、335番は根本から折れた木の上に腰掛け、息を吐く。
278番は慌てて本を救急鞄の中に押し込む。どこに本を隠しているのかと思っていたが、救急鞄の中に入れていたのか。本来、そこは薬を入れる場所だろう。
やれやれ……。
「リーダー、それでこれからどうするんだ?」
俺は質問するが、シェリム隊のリーダーはあまりピンと来てないらしい。
それほど、余裕がなかったということだが……。
「今後、どこへ向かうかということだ。俺たちも主力陣営と合流するのか。あるいは元の陣地に戻るか」
「そう言えば、私たちって死んだって思われてるんだよね。今頃、二階級特進していたりして」
ラシュアが「あははは」と笑う。
笑顔でとんでもないことを言い出す奴だ。
相変わらず、こいつの性格は掴めない。
「……オレはどっちでもいいぜ。つーか、このクソみたいな作戦を立てた作戦参謀をぶん殴らなきゃ気がすまねぇ。新米の兵士を捨て駒にするなんてあり得ないだろう」
335番はいきり立つ。
根に持つタイプらしい。
とはいえ、俺もまったく怒っていないわけではないがな。
折角の貴重な戦力を、こんな行き当たりばったりな作戦に投じた罪は大きい。
外野が盛り上がっている一方で、当のリーダーは少し考えてから、俺の質問に答えた。
「フォレストサーペントが駆逐されたと仮定して、今安全圏と言えるのは主力陣営と合流することだろう」
「向こうもドンパチやってる真っ最中だろ。それって安全なのか?」
335番らしい悲観論だが、俺も同意見だった。
「補給部隊が到着し、兵站が回復していれば、主力陣営の勝利は確実だ」
「随分と自信があるんだな」
「主力陣営には【勇者】がいるからだ」
「【勇者】?」
「え? ラセルくん、知らないの。ゼナレスト様のこと?」
「ゼナレスト?」
「【勇者】ゼナレスト・ディリバン……。今現在、ガルベールの中でも5本指に入るといわれる六大職業魔法の使い手だ」
「職人という奴か」
「ああ。【戦士】でありながら、その戦績は最強の【魔導士】の平均を凌ぐといわれている。特にオリジナルの創作魔法【一騎千馬】は、あらゆるものを破壊する。それこそ千の馬に踏みつけられたようにね」
創作魔法か。
簡単に言えば、手持ちの魔法の中のものを掛け合わせたり、さらに多重起動させることによって創作する、オリジナルの魔法のことだ。
多重起動はもちろん、魔法と魔法を【合成】も使わずに波長を合わせることは難しい。それこそ血の滲むような修練が必要だ。
そんな茨の道を通って、習得したものが創作魔法であり、保有者を職人といったりする。
【一騎千馬】とはよくいったものだ。性質からして、だいたい使われる魔法は想像が付くがな。
「【勇者】が主力陣営にいるなら安全じゃね? ついでに作戦参謀がいたら御の字だけど」
「ボクも主力陣営と合流する方に賛成」
335番、278番は手を上げる。
俺も異論はない。
後方の補給部隊よりも、前線の主力陣営の方が魔獣と戦える。
魔族を討ち取ったとなれば、スキルポイントに、英雄的行為も認められて、まさに一石二鳥だ。
しかし、思わぬ物言いがつく。
ラシュアがまた喚き出した。
「主力陣営に合流するのはいいよ。でも! シェリム隊は今後どうなるの?」
「どういうことだ、98番?」
「私たち死んだってことになってるんですよ。使い捨ての部隊だったってことじゃないですか。それじゃあ、主力陣営と合流したら、解散ってことになるんですか?」
「いや待て、98番。それはシェリム隊を続けたいということか?」
「え? そうですけど? 何か問題がありますか?」
「それはまだあたしをリーダーって認めることだよ。あたしはあんたたちを……」
「リーダーさんは上の偉い人の命令に従っただけでしょ。それにキングサーペントが出てきた時は、自分だけ残って私たちを逃がそうとしてくれた。……とってもいいリーダーだと思いますけど。ラセルくんもそう思うでしょ?」
「な、なんで、俺に振る!」
「じゃあ、また他の隊に加えてもらう? 私はイヤ。リーダーさんとお別れしちゃうのもイヤだけど、ラセルくんと別れるのはもっとイヤ!」
イヤって、子どもじゃあるまいし。
いや、ラシュアは半分子どもみたいなものか。
正直に言えば、どうでもいい。
戦場を求めた結果、軍人になってしまったのだ。
上の命令に従うのが筋だろう。
だが、俺個人のことを考えれば、シェリム隊に残りたい気持ちはある。
今回、訓練所にいた人間を除いて、俺の手の内を明かしてしまった。できれば、他の隊に行って、自分の手の内を明かしたくはない、というのが割と本音だったりする。
人類の敵は魔族だけではない。
身内にもいる。
それは例の『カタメ』事件でよく学んだ。
そう言えば、リーダーの腕に別魔法が移植されていたな。
あれについては、後で聞くとしよう。
「オレはそいつを許してないぜ! 命令とは言え、オレたちが死ぬとわかって囮役にしたんだからな。その点は絶対に許さねぇ」
ピシャリといったのは、335番である。
腕を組み、リーダーを睨んだ。
「でも、あんたみたいな軍人はこれから山とオレたちの前に現れるだろうし、あんたよりもゲスは必ず現れる。なら、組むならゲスよりもマシなゲスをオレは選ぶね」
「278番くんはどう?」
ラシュアは最後に尋ねる。
「ボクは読書の邪魔をしなければ誰でもいいよ」
あくまで読書が大事なようだ。
「あんたたち……」
リーダーの目に涙が滲む。
小さく謝意の言葉と、感謝の言葉を告げた。
ひとしきり泣いた後、リーダーは涙を拭い、顔を上げる。
「君たちの意向に沿うよう全力で司令部を説得しよう」
「やった! またラセル……じゃなかったみんなと一緒だね」
ラシュアはまた俺に抱き付くのだった。