外伝 Ⅶ 賢者の帰還⑦
突如、腹の底まで響くような振動にそれまでフォレストサーペントに対して、優勢に戦いを進めていたシェリム部隊は固まった。
止まったのは部隊員だけじゃない。
フォレストサーペントも顔を上げて、森の状況を確認する。その表情はどこか浮かない。何かに怯えているように一同には映った。
「なんだ。何が起こってる!」
「新手かな~」
「…………」
335番が喚けば、ラシュアはのんびりとした声で、目の上にひさしを作る。
278番だけが、また本に視線を落としていた。
「おい! リーダー! これも作戦のうちか?」
「わからない! あたしにも一体何が起こってるやら」
どうやらリーダーにもわからない状況らしい。
となれば、作戦の一環でもないだろう。
ついでに言うなら、決死の覚悟で囮になった俺たちを、補給部隊の仲間か、主力陣営が救出しにきたというわけでもなさそうだ。
『ジャアアアアアアアアアア!!』
森の向こうから動物の嘶きのような声が聞こえた。
それに呼応したのは、周囲のフォレストサーペントだ。
それまで一切鳴き声を出してこなかった魔獣は、口を上に向けてか細く嘶き続けている。
歓喜しているようにも見えるし、称賛しているようにも見える。
普段見ない魔獣の行動に、空気が益々張り詰めていく。
気が付けば、俺たちはリーダーを中心として背中を合わせていた。
やがて木の幹がミリミリと倒れる音がする。
その音が次第に近づいてきた。
何か巨大なものが――いや、フォレストサーペントよりもさらに巨大な何かが森の中を蠢いていることは確かだ。
その間もフォレストサーペントは鳴いている。まるで歌ってるようであった。
「音が近づいてきてる」
「く、来るぞ」
「……」
「くそっ! 何だって言うんだ!!」
不意に辺りが暗くなる。
自然とシェリム隊の視線は上を向いた。
森の木よりも高い影が見える。
突如柱が現れたのかと思ったが違う。
柱と思っていた先に、一対の目が光っていた。
さらに口が開かれ、鋭い牙が露わになる。
『ジャアアアアアアアアアア!!』
再び嘶きが聞こえた。
耳をつんざくような声に、思わず耳を塞ぎ、目を瞑る。
もう1度顔を上げるも、その巨大な絶望が視界から消えることはなかった。
フォレストサーペントよりも遥かに大きい大蛇であった。
「逃げろぉぉぉおおおおおおお!!」
叫んだのは、リーダーだった。
心の中にしこりのようにたまった恐怖を払うように叫んだものの、リーダーは一歩も動けない。
それどころか大蛇を見上げたまま、視線を外すことすらかなわなかった。
「なんだ? あの馬鹿でかい蛇は」
「夢に出そう……」
「…………」
「あれは……。キングサーペントだ」
リーダーは声を絞り出す。
カエルみたいに汗を掻いていた。
「キングサーペントって」
「確かAランクの……」
335番もラシュアもいよいよ余裕がなくなる。
今まで2人が戦っていたのは、Bランクのフォレストサーペント。
そして突如現れたのは、Aランクのキングサーペントである。
AランクはBランクの1つ上。
それだけ見れば、さほど造作もないと思えるかもしれないが、ランク1つ違うだけで、魔獣の強さは格段に上がってくる。
「おいおい。フォレストサーペントですら、こっちは退路を確保できないのに」
「Aランク魔獣とか反則だよ~」
「そうだ。だから、逃げろ! お前たちなら、逃げることは可能だろ!」
「お前たちって……。その言い方、リーダーを置いて行けって聞こえるが?」
335番が目を細める。
「そうだ。あたしは置いていきな。どれだけやれるか知らないが、あんたたちが逃がす時間ぐらい稼いでやる」
「今さら人気取りかよ。こんな無茶な作戦に、澄ました顔で参加させたリーダーがよ」
「それは……」
「こらこら。335番くん、噛み付かないの。リーダーさんだって、本当はこんな無茶な作戦に、私たちを付き合わせたくなかったって思ってたんじゃないかなあ」
「はあ! こいつはさっきオレたちのことを問題児って言ってたんだぞ」
「そ、そうだ。だが、それは間違いだった。君たちの力はこの作戦に於いて、いや、人類を魔族から守るために必要な戦力だとあたしは判断した。恨むなら恨んでくれ。……だから」
「うるせぇ!! 黙れ!!」
335番は一喝する。
「だから、ここで死ぬのか? 囮役をして名誉の戦死か? ふざけるな、犯罪者」
「は、犯罪者だって!!」
「こんな無茶な作戦にオレたちを巻き込んだんだ。犯罪者呼ばわりして何が悪い。そんな奴が綺麗に死のうとすんなよ!」
「……すまん」
「すまんじゃねぇ! 死ぬならオレの目の前で酷たらしく死ね。オレが手を叩いて、椅子をドカドカ叩きながら笑えるぐらいにな! そもそもオレはお前をぶん殴ってねぇんだ。女を殴る趣味はねぇが、1発ぐらい殴らないと気が済まねぇ」
335番は殺気立つ。
おかしな奴だ。
フォレストサーペントじゃなくて、仲間の方に殺気を向けている。
言ってることも滅茶苦茶だ。
まあ、犯罪者呼ばわりしたところは、同意ではあるがな。
「リーダーさん。私は絶対あなたのことを助けるよ」
「な、何故だ、98番! 君まで」
「理由がないわけじゃないんだよ。だって、私たちだけ生還したら、リーダーさんを見殺しにして帰還した新米軍人とか言われるでしょ。あんまり変な二つ名を付くのは、ごめんだよ」
最後にラシュアは笑った。
まったく何が楽しんだか。
「君たちは……」
「ねぇねぇ。敵に睨まれてるのに仲間割れしていいわけ。来るよ」
278番は本から顔を上げ、指差した。
キングサーペントが嘶くと、またフォレストサーペントが応える。
前進あるのみとばかりに、俺たちの包囲を狭めていく。
その先頭はキングサーペンである。
森の中を蛇行しながら、俺たちに迫る。
「ダメだ! おしまいだ!!」
リーダーは頭を抱える。
「くそっ!! やるしかねぇか!!」
335番は構える。
だが、ラシュアだけがいつも通りだった。
「おしまいじゃないよ。だって――――私たちにはラセル君がいるからね」
【修羅葬送火】!!
次の瞬間、巨大な炎が空から飛来する。
それはまるで紅蓮の瀑布のようにキングサーペントに降り注ぐのだった。
『ぎぃいいいやああああああ!!』
極大の炎はキングサーペントだけではない。周囲に集まっていたフォレストサーペントを焼く。いや、溶かしていった。
シェリム隊を絶望の淵に叩き落とした魔獣たちがあっさりと炎の中に飲み込まれていく。
その前に立っていたのは、10歳の新米軍人――つまり、俺である。
「炎属性殲滅系上級魔法だと……。【竜皇大火】よりもさらに高度な上級魔法。あたしは夢を見ているのか。それを10歳の子どもが操っている」
紅蓮の炎を呆然と見つめながら、リーダーはペタリと尻餅を付く。
キングサーペントが現れた時よりも遥かに顔は青ざめていた。
二の腕が震えている。唇も真っ青だ。
「本当に新米……。いや、子どもなのかもあやしい」
「……だいたい172番を初めて見た人は、そういう反応をしますよ」
278番がぽつりと呟く。
「172番にはもう二つ名があることをご存知ですか、リーダー」
「い、いや……」
「……『規格外』」
「ラ・セル……」
「そうです。強さ、魔力量、保有魔法の数、そしてあの容姿と年。すべて規格外から、訓練所の教官は言ってました」
「『規格外』……。172番か……」
一体、何者なんだ?