外伝 Ⅶ 賢者の帰還⑤
「おい! これはどういうことだよ!」
あちこちからフォレストサーペントが鳴らす特異な音が聞こえてくる。
新米たちの耳には絶望の序曲にしか聞こえないだろう。
事実、335番は喚き立てた。
森の中ははっきり言って静かである。
爆発音も、魔獣が木々を押し倒してくるような音も聞こえない。
フォレストサーペントが、その巨躯を曲げ、木々を縫うようにそっと移動しているからだ。
ただフォレストサーペントの尻尾と地面が擦れる時に発生する摩擦音だけが聞こえる。
「どんどん近づいてきてる」
ラシュアが胸に手を当て、呟く。
さすがのメンタルゴリラ(?)も、どうやらこの状況にあっては、人並みにショックを受けているらしい。
まあ、335番のように喚き散らして、魔獣に自分たちの位置を知らせるよりはマシだろう。
普段、ずっと本に視線を向けている278番も顔を上げて、「これはヤバいかも」とぼんやりと呟いていた。こいつもこいつでなかなかの大物だ。
さて、俺はというと、状況を整理していた。
作戦は部隊を2つに分けたシンプルな挟撃作戦。まず本隊がフォレストサーペントを南に引きつける。
そして別働隊が西と東から森に入り、背後に回って挟撃する。
そういう作戦だったはずだ。
シンプルだが、作戦としては悪くない。獣どもには十分通じるだろう。
問題点があるとすれば、挟撃作戦なんてできる大規模な部隊が、補給部隊の中にあったかどうかだな。
俺たちがやってきた時、陣地の中は半分以上野戦病院だった。ほとんどの六大職業魔法の使い手たちが傷ついていた状態だ。まともに戦える者など、ほとんどいなかったはず。
なのに挟撃作戦というのは、なかなか無理がある。本当にそんなことをすれば、補給部隊も、その先にいる本隊も潰れてしまうだろう。
「なら答えは1つだ。俺たちに伝えられていた作戦と、元々の補給部隊の司令部が立てた作戦は違うということだろう」
「わ、私たち……」
「オレたちの作戦が違う?」
「…………」
いつの間にか、独り言を口走っていたらしい。興奮しているのか。それとも高揚しているのか。久方ぶりの戦場に来て、かなりのピンチである。
少々饒舌になっているのかもしれない。
「ラセルくん。じゃあ、本当の作戦って?」
「あくまで推測の域だが……」
「いいよ。それで」
ラシュアはごくりと息を呑み、頷いた。
囮となる部隊を作り、西側あるいは東側に展開。フォレスサーペントを囮部隊が引きつけている間に、魔獣が消えた森の中を、残りの補給部隊が駆け抜け、本隊と合流する。
「おい! 待てよ、小僧。その作戦破綻してるぞ! その後、囮部隊はどうするんだよ!」
「頃合いを見て、離脱。……あるいは」
「犬死に……」
最後の言葉は、278番である。
さっきは本から顔を上げていたが、またお馴染みの姿勢に戻っていた。その代わり、かなりのスピードで読み進めている。どうやら、フォレストサーペントが来るまでに全部読み切るらしい。
大した根性だ。
「そういうことだろう、リーダー」
「アハハハハ――――ごふっ! ごほほほ!!」
突然、リーダーは笑い出す。
すぐに口元を押さえたが、その目は愉悦に歪んでいた。
「随分と小さい新米がやってきたと思ったら、なかなか頭が回るじゃないか、172番」
「ちょ……。待って下さい、リーダー。
今の話、本当なんですか?」
「98番。君はどう思う?」
リーダーは目を細めて、笑った。
ついにそのリーダーの胸ぐらを掴んだのは、335番だった。
「てめぇ!!」
リーダーの軍服が弾ける。胸元が露わになったが、問題はそれではない。リーダーの口元からどす黒い血が流れていた。
気を逸らされた335番は振り上げた拳の置き場に戸惑う。
やや鼻息を荒くしながら、リーダーを睨むしかなかった。
「毒か……。それもかなり進行してるな」
「本当に物知りな坊やだね。そうさ。複数のフォレストサーペントに噛まれてね。上級の【聖職者】ですら、手を付けられない状態さ。ほっとけば、あと3日の命だろう」
「だ、だったらすぐに後方に退いて、治療を受ければ……」
「無駄さ。フォレストサーペントの毒消しは全部魔族が燃やした。今、補給部隊に治す術も、進行を遅らせる術もない。後方に退いたところで、その頃にはあたしは死んでる」
「そんな……」
ラシュアは顔を青くした。
それを見ながら、リーダーは笑う。
「だから志願した。今回の囮役のリーダーにね……」
「ちょっと待て! なら、オレたちはなんで?」
「あんたらには悪いと思ってる。でも、決めたのはあたしよりもエラい人だ。文句を言うなら、そいつにいいな。……ただし、生きて帰れたらだけどね」
「逃げましょう! 5人で力を合わせれば」
「無理だって……。新米4人に、毒に冒されたリーダー。どう考えても全滅だよ」
ラシュアの提案を、278番が一刀両断する。
パラパラと本を捲る速度が、先ほどよりも速くなっていた。
「運がなかったね。……徳を積んでこなかったからさ。あんたたち、聞けば訓練所ではかなりの問題児だったそうじゃないか」
なるほど。
何故、このメンツなのか合点がいった。
教官に睨まれてばかりいる10歳の少年兵。
それに何かとベタベタとくっつき、俺の次ぐらいに目立つ貴族出身のお嬢様。
精神的に安定しない【鍛冶師】に、本の虫の【聖職者】。
確かに俺がいた訓練所で、おそらくトップ5には入るであろう問題児ばかり集められている。
まあ、俺は別に問題児というわけではないがな。
教官どもが突っかかってくるから、火の粉を払っていただけだ。
ともかく、その人事評価を鵜呑みにした補給部の作戦参謀が、俺たちを囮部隊に任命したというわけだ。
「……1つ教えておいてやるよ。軍隊ってのは規律が大事だ。それを破ると人から目を付けられる。人から目を付けられると、今度は恨みが生まれる。軍隊において、怖いのは人間だ。他人と連帯できない奴が先に死んでいくのさ」
今回の作戦は、そのお小言を肝に銘じるための良い経験だということだ。
「ふざけんな」
335はそう言いながら、ようやくリーダーの胸ぐらから手を離した。
それまでビビッていた様子だったが、顔付きが一変する。
「オレはな。いや、オレの村は魔獣に潰された。親も魔獣の腹の中で死んだ。だから、オレは魔獣をぶっ倒すために軍人になることを決めた!」
335番は得物を握る。
柄の長い金鎚だ。
それを構え、さらに魔力を込める。
【伸縮】
柄が延び、鎚の部分が長くなる。
【巨大化】
金鎚の部分が大きくなる。
その大きさは大樹の切り株ように大きい。
当然、質量も上がっているから持つことはできても、振り回すことも、持ち上げることもできない。
「そ、そんな大きな鎚をどうやって、振り回すんだい」
リーダーは笑ったが、俺はわかっていた。
【鍛冶師】が【巨大化】した武器を振り回すのには、大まかに分けて、2つ方法がある。
1つは【軽量化】の魔法を使うことだ。それなら振り回すことも可能。だが、肝心の重量がなくなってしまうため打撃武器としては使えなくなる。
そこでもう1つの方法だ。
【物体加速】
武器に加速力を付けて、武器を動かす魔法だ。
魔法を唱えた瞬間、ぐるりと金鎚が回る。
その動きに逆らわずに、335番は回転を始めた。
速度は上がっていく。
まるで森の中に竜巻が現れたようだった。
『ガララララララララ……』
皆が335番に気を取られている間、ついにフォレストサーペントが現れる。
木と同じ高さまで鎌首をもたげた大蛇は、舌をチロチロと動かしながら、威嚇する。
だが、その前に暴風がフォレストサーペントを捕らえた。
ゴンッ!!
鐘楼ごとひっくり返したような音が響く。
巨大な金鎚がフォレストサーペントの頭にヒットすると、さらに暴風の中に巻き込み、近くの大樹に激突する。
その威力は凄まじく、完全に大蛇の頭が潰れていた。