外伝 Ⅶ 賢者の帰還③
次の作戦は北の森に巣くったフォレストサーペントの掃討作戦である。
現在、人類は大きく分けて2つの部隊に分かれていた。
1つは俺たちが配属された野営地、もう1つは北の森のさらに北に陣を敷く主力陣営である。
元々俺たちが今いる野営地は、主力陣営の後方部隊。つまり食糧、武器、薬などを届ける補給部隊だった。
各地に細やかに補給部隊の野営地を設置することによって、魔族と戦う主力陣営を支えてきたのだ。
それ自体は悪いことではない。
軍において兵站は何よりの生命線。
それを厚く、線路を確保することは非常に望ましい。
当然の戦略だと思う。
だが、優秀ゆえに魔族たちに付け狙われたといっても過言ではない。
魔族は主力と補給部隊の間に、大量の魔獣を放ち、主力と補給部隊の分断を放ったのだ。
これも定石だ。しかも、魔獣ならば魔族の戦力として痛くない。補給部隊を手厚くした人類の作戦も見事ではあるが、魔族が打った手も絶妙と言わざるを得ないだろう。
その後、魔族は主力陣営と会敵。
今のところ、どのような戦況になっているかはわからないが、主力陣営は後退し、補給部隊と合流する動きがないことからも、すでに全滅したか、後方に配置されたフォレストサーペントを掃討する暇もないかのどちらかだと思われる。
現状、補給部隊がやることは2つだ。
主力陣営を見捨てて後退するか。
主力と比べて圧倒的に戦力の足りない補給部隊で、フォレストサーペントの群れに突っ込むか。
そして、補給部隊というよりは後方の大本営は後者を選んだらしい。
人員を送ると約束したそうだが、送られてきたのは新米だというわけだ。
補給部隊の部隊長の落胆ぶりは相当なものだったろう。
しかし、このまま手をこまねいて見ているわけにはいかない。すでにトップはGOを出している。主力陣営が全滅する前に、フォレストサーペントを駆逐しなければならない。
そこで作戦司令部が出してきた作戦はこうだ。
補給部隊の中にいる【戦士】、【鍛冶師】、【魔導士】をいるだけ全部掻き集めて、掃討部隊を新たに作る。これが主力だ。
そして【探索者】、【鍛冶師】は、陽動部隊だ。陽動といっても、こちらが作戦の中でももっとも重要――つまり大役である。
作戦はこうだ。
主力がフォレストサーペントのいる森の南側から接敵し、交戦。魔獣を南側に引きつけている間に、陽動部隊が森の側面からアプローチをして、魔獣の裏側を付く。
主力と挟撃し、一気にフォレストサーペントを駆除するというわけだ。
すでに俺たちシェリム隊は森の西側を通り、フォレストサーペントの背後につこうとしていた。
主力が引きつけてくれているからか、フォレストサーペントの姿は少ない。
俺としてはもっと魔獣がいてほしいものだがな。フォレストサーペントといえば、Bランクの魔獣である。さほどおいしい相手ではないが、大量にいるとなると話は別だ。
それにおまけもついてくるだろうからな。
「いきなり大役って聞いたから、どうなることかと思ったけど、案外魔獣と遭わないと、結構楽かも」
ラシュアは相変わらず遠足気分だ。
278番はともかく、335番はかなり落ち着かない様子。リーダーにしても、随分と顔が硬かった。
部隊の空気は重い。それは仕方ないし、緩んでいるよりはいい。そういう意味ではラシュアのあっけらかんとしたメンタルは、なかなか貴重といえる。
「ぶは……! 楽って……。お前、戦場のど真ん中でよくそんなことが言えるな」
335は息を切らしながら、ラシュアを睨んだ。
通常装備に加えて、335は台車を引いている。そこには火薬が詰まった樽が載せられていた。
この火薬を使って森を燃やし、炎の壁を使って、フォレストサーペントを追い込むつもりなのだ。
「ほら。頑張って! オー・エス! オー・エス!」
「馬鹿! 騒ぐな!! 仮にもオレたちは陽動部隊なんだぞ!!」
335は怒鳴り散らす。
お前が一番うるさい。
ちなみに何故335が台車を引く係になったかというと、【鍛冶師】には【軽量化】という職業魔法があるからだ。
名前の通り、物体の重量を軽くする魔法である。
335はその魔法によって、馬なら2頭。大人8~10人ぐらいの重量を引いている。
といっても、重さがすべてなくなるわけではない。
熟練度や魔力の込め方によって、その重量は変わるのだ。
「悪いわね、335番」
唯一慮ったのは、意外にもシェリム隊のリーダーだった。あくまでイメージだが、軍人の上官というのは厳しいのが当たり前だ。今のように私語をしていれば、叱ってしかるべきだろう。
リーダーの行為はラシュアにとっても意外だったらしい。
「なんか優しそうなリーダーさんで良かったね、ラセルくん」
「別に……。リーダーの性格なんてどうでもいい。的確な判断ができれば、俺は問題ないと思ってる」
「相変わらず人には興味ないんだから」
「お前が興味がありすぎるんだよ、ラシュア」
そのラシュアはさらに声を潜めて、俺に尋ねた。
「ところで、どう? ラセルくん的には今回の作戦はうまく行くと思う?」
「机上においては問題ない。挟撃作戦も利に叶っている」
というのも、フォレストサーペントは非常に大きな蛇だが、その動きは非常にゆっくりだ。
特に森の中で回頭することが下手な魔獣で、有り体にいえば背後から攻撃されれば対応できない。
主力がフォレストサーペントの頭を南に向けていれば、北からアプローチする俺たちは楽々その喉元に近づけるという寸法である。
だから、机上においてはこの作戦に穴はない。ただ実戦と机上は違う。何かイレギュラーが起これば、この作戦は一気に瓦解してしまう。
安心はできないのだ。
「それにしても、主力は本当に戦ってるのかよ? 全然何も聞こえないぞ」
再び335はがなる。
「いきなり魔獣が出てきたりしないよね」
さっきまで「楽」とか言っていたラシュアが縮み上がる。
「大丈夫だ。我々は見つからないよ。さっきから【遮断結界】を使っているからね」
リーダーが隊を諫める。
【探索者】の上級魔法だ。【気配遮断】は自分にしか効果はないが、【遮断結界】はある一定の範囲の物音や気配を消すことができる。
俺たちが魔獣のひしめく森のど真ん中で喚いていられるのも、その恩恵というわけだ。
「痛っ!」
ラシュアは何かに躓いて倒れる。
盛大に頭からいったらしい。
思いっきりおでこを切って、顔中が血だらけになっていた。
意識はあるようだが、代わりに蝉のようにうるさい喚き声が聞こえてくる。
「うぇええええんん! 痛いよぉ。血がいっぱい出てるよぉ。ラセルくん、なんとかしてぇ」
「何とかして、と言われてもなあ……」
俺は【聖職者】でも何でもないんだが……。
というか、軍人がその程度の傷でビービー泣くな。
子どもじゃあるまいし。お前、俺より年上だろうが。
「278番。悪いけど、回復してあげて」
困ったリーダーは、作戦を開始後、1度も喋っていない278番に声をかける。
存在感が薄すぎて忘れていた。
それにしても、任務中だというのにまだ本を読んでいる。
よっぽどの愛好家なのだな。
「278番。聞いてる?」
「聞いてますよ。もう治しましたから、話しかけないでください。本がいいところなので」
「え? あれ? 血が止まってる。傷も塞がってる。……いつの間に?」
ラシュアは質問するが、278番は答えない。本に夢中になっている。
もしかして、今のって詠唱破棄か? 【聖職者】の?
他人が使っているのを初めて見た。
【詠唱破棄】は【聖職者】の上級魔法だ。
魔法といっても、それをスキルポイントと交換するだけで常時効果がある魔法で、詠唱しなくても魔法が使えるというものだ。
だが、効果は微妙だ。
確かに詠唱によってどんな魔法が放たれるかわからないのと、詠唱時間がなくなるというメリットは大きい。
しかし、相手との駆け引きが物を言う【戦士】などの前衛タイプならいざ知らず、【聖職者】は後衛の職業魔法、加えて詠唱時間が長い魔法はさほど多いわけではない。
上級魔法ということもあり、ポイントを大量消費することから、倦厭する【聖職者】がほとんどなのだ。
そんな理由から習得する【聖職者】の使い手は稀で、この俺自身でさえ習得した人間を見るのが初めてなぐらいだ。
しかも、かなりのスキルポイントが必要な上級魔法を、比較的若い段階で取るとは。278番って意外とただ者ではなかったりするのだろうか。
いや、それよりも【詠唱破棄】を何故習得しようとしたか、その理由が知りたかった。
もしかして、俺も知らない有用な使い方があるのかもしれない。
「なんで【詠唱破棄】なんて習得したんですか?」
278番は俺の方を見ずに、パラッと本を捲ったあと、こう言った。
「あんまり喋りたくないから……」
意外な理由に俺は固まる。
もしかして、この隊の中でこいつが1番おかしな奴かもしれない。