外伝Ⅵ カタメの男⑩
パラパラと俺は研究所にあった資料を捲る。
その早さは【学者】の【速読理解】に匹敵した。
次々と資料を読んでは、横に積み上げていく俺を見て、ラシュアは物珍しい獣でも見つけたような顔をして、俺の顔を覗き見る。
「よくその速度で読めるね、ラセルくん。【学者】の【速読理解】並みだよ」
「慣れてくると【速読理解】なしでもこれぐらいの早さで読めるようになるぞ」
「ふーん」
ラシュアはさらに俺の顔を覗き込む。
ちなみにラシュアは社交界の時のままの恰好だ。
場に不似合いなドレスから、微かに香水の香りがする。
ゲルドにそれなりに嬲られたようだが、ケロリとしていた。
ラシュアの精神力については、正直感心する。
「なんだ?」
「いや、なんか【速読理解】を使ったことがあるみたいな言い方だなあって。ラセルくんって、【魔導士】だよね」
うっ……。しまった。
つい得意げになって口を滑らせてしまった。
こういう変に勘が働くところも感心……いや、苦手だ。
「例えだ。例え……」
俺は話を切り替えることにした。
パンと資料を閉じる。
粗方、ゲルドが書いていたことは読ませてもらったが、目新しいものはなさそうだ。
一段落を終えると、カタメが戻ってくる
「どうだった?」
俺が尋ねると、カタメは首を振る。
生存者が探しにいったのだが、どうやら人間として生きている者はいなかったようだ。
「そうなると、後ろのヤツらをどうするかだな」
俺、ラフィナ、カタメは振り返る。
そこにあったのは、大きなビーカーだ。
中には様々な生物と掛け合わされた人間だったものが並んでいる。
生きてはいるようだが、高濃度の魔力の液体に浸されて、生かされているという表現の方が正しい。
すべてゲルドの被害者である。
「ラセルくん、この人たちを救うことはできないの?」
「資料を漁ってみたが、ゲルドはこいつらを掛け合わせる研究をしていても、分離させる方法には一切興味がなかったようだ。手立てはない」
「そんな……」
こうなっては昔の俺でも難しい。
合成獣の研究は【鍛冶師】だった頃に没頭したが、あまり良い成果を上げることができなかった。
1つ成果があったとするなら、カタメのように他の職業魔法を持つ他人の一部を移植する方法だが、理論だけ完成したら破棄した。
はっきり言うが、人を切った貼ったするのは、俺の趣味ではないからだ。
(1つ可能性があるとすれば、ゲルドが言っていた〝あなた様〟だが……)
資料を攫ってみたが、特に記載は存在しなかった。
ゲルドの指導者と推測されるが、俺にはさっぱりだ。
「それで、どうするつもりだ?」
カタメは隻眼を光らせる。
俺の答えによっては、もう一戦やる雰囲気を漂わせる。
別に俺は構わないのだが、付き合わないことにした。
「お前と考えていることは同じだ。ここを焼却処分する」
「いいのか? 紛いなりにもここは軍部の施設だぞ」
軍部の施設だからとも言える。
こんなものを残しておけば、第二第三のゲルドが現れ兼ねない。
合成獣の有用性やコストパフォーマンスなんかに気付かれたら、戦争はもはや人間が制御できるものではなくなる。
これは魔族と人間の戦いだ。
お互いに疲弊、命を奪い合うからこそ終わりもある。
代理戦争なぞ開始されては、いつ終わるかわからん。
そもそもそんなもの戦争とは言えないだろう。
遊戯と同じだ。
強さだけを求める俺にとっては、愉快な人生かもしれないが、たまには孤児院スタートではなくて、貴族のボンボンから始まる人生もいい。
良い食事と、適度な運動、さらに質の高い教育をもっと幼少期から始められるなら、さらに俺は強くなれるかもしれないからな。
そもそも、己の身体を鍛えずして、他のもので代用しようなどという考えが俺には合わない。作る者には信念があっても、使用者にないからだ。
「わかった。……なら、オレも殺せ、ラセル」
「カタメさん、何を言ってるの?」
カタメの言葉を聞いて、ラシュアは驚く。
そのカタメはとんと自分の胸を突いた。
目は本気だ。
「オレはゲルドの成功例だ。言わば生き字引みたいなものだろう。オレのようなヤツを増やしてはならない。なら、オレも破棄された方がいい。……それに、お前たちにはオレの抹殺命令が出ている? 違うか?」
「で、でも! カタメさんだって、被害者で――――」
「――――いいだろう」
ラシュアの言葉が終わらないうちに、俺は答えた。
「ラセルくん! ダメだよ。ゲルドさんがかわいそうだよ」
「ラシュアとか言ったか。気遣いは無用だ。だが、オレを哀れむというなら、言う通りにしてくれないか」
「カタメさん……」
「悪人とはいえ、同族殺しをしたことは事実……。ここで散った者たちの無念を晴らすと誓った時、オレはすでに死を覚悟していた」
「罪を死んで償おうなんてダメだよ!」
ラシュアは髪を振り乱し、否定する。
本気でカタメに同情しているようだ。
ラシュアの言うことはもっともである。
だが、カタメが生きていては、またゲルドのようなヤツにその身体の秘密を暴かれるのは目に見えている。
俺は何も言わず、手を構えた。
「ラシュアは先に脱出しろ」
「イヤ! いくらラセルくんの言うことでも、それは聞け…………な……い……」
ラシュアは突然崩れ落ちる。
床に寝転がると、そのまま規則正しい寝息を響かせた。
【魔導士】の【睡眠】である。
俺はそのラシュアを担ぐ。
意外と重い。こいつ、訓練所にいる時より重くなってないか。
甘い物の食い過ぎだ。
「世話をかけるな」
「いや……。お前も言ったが、俺の目的はお前の抹殺だ。手間が省けて助かる」
「ふふ……」
「何がおかしい」
「最後までお前は軍人だな、と思ってな」
「俺に子どもらしさなんて期待するな。……さらばだ、カタ……いやネルワルト軍曹」
「願わくば、お前の手でこの戦争を終わらせてくれ」
ネルワルトは敬礼し、そして己の死を覚悟する。
隻眼に瞼が下りた表情は、今まで見たことがないほど穏やかだった。
次の瞬間、俺は【竜皇大火】を放つ。
忌まわしきゲルドの研究所は紅蓮の炎の中に沈んでいった。
灰と炭だけになったゲルドの研究所にやってきたのは、ミリアス司令官だった。
周りでは忙しそうに軍の兵士が対応に追われている。
といっても、灰と炭になったものをひっくり返しているだけ。
証拠となるようなものはなく、完全に研究所は焼失していた。
「よもや司令官自ら現地にやってくるとは思いませんでした」
瓦礫の山に座っていた俺は、ミリアス司令官を迎える。
近くにはラシュアがいて、未だにグースカと寝息を立てて寝ていた。
屋敷で誘拐されてから、満足に寝ていなかったのだろう。
ミリアス司令官は俺の炭の付いた顔を見て、笑う。
「君を引き取りにきた。保護者としてね」
いつからミリアス司令官は俺の保護者になったんだ。
「それでカタメは?」
「始末しました。……これがそうです」
俺は残った骨の一部をミリアス司令官に預ける。
司令官は骨の一部を手の平に乗せると、眉根を寄せた。
「これがカタメか?」
「生死は問わない。見つけたら引き渡す。そういうお約束だったかと」
「骨だけか? この状態ではヤツかどうかわからんぞ」
ああ。その状態では【鑑定】も役に立たない。
精々【人の骨】という結果が出るだけだろう。
「黒焦げにしてはならないとは聞いておりません」
「加減というものがある」
「そうですか? ですが、小生はまだ子どもですので」
ミリアス司令官はグッと顎に力を入れるが、それ以上何も言わない。
俺はニヤリと笑う。
司令官のその顔を見られれば、十分だ。
随分と俺を買ってくれているのはいいが、詳しい情報を与えず俺すら出し抜こうとした罰だ。
俺を制御したいと思うなら、自分で最初から最後まで手綱を外さないことだな。
「ところで、司令官はどこまで知っていたのですか?」
「どこまでとは?」
「この秘密の研究所のことですよ」
「多くのことは知らんよ。ただ軍部の中できな臭い金が出回っていたから調べていたら、カタメが次々と容疑者を殺していっていたというだけだ」
「なるほど。ゲルドを知っていたのも、そのきな臭い金を配っていたか、受け取っていたか、あるいは元締めだったかのいずれかだったからというわけですか?」
「まあ、そういうところだ。……で? ここはどんな施設だったのかね?」
「さて……。俺も存じ上げません。何せ子どもゆえに」
「…………まあ、良かろう」
ミリアス司令官は大きく息を吐いた。
俺はそれを聞いて、いつもより機敏に敬礼をとった。
「それでは、172番および98番は原隊に合流します」
「随分と嬉しそうだな。君は戦場が好きかね?」
「ええ……。己を強くしてくれるところは、戦場しかありませんから」
ミリアス司令官は少し悲しげな顔をする。
そしてゆっくりと敬礼した。
「よろしい! 3ヶ月後には訓練も終わる。君の戦果報告を楽しみにしているよ」
「ありがとうございます!!」
俺は大きな声で返す。
側で舟を漕いでいたラシュアは、ようやく目を覚ました。
◆◇◆◇◆
「はい。切符!」
ラシュアは俺に乗り合い馬車の切符を渡した。
その顔は横を向き、俺から目をそらす。
さらに頬を膨らませていた。
どうやらまだ研究所の件について怒っているらしい。
執念深いというか。恨みがましいというか。
やれやれ……。
「まだ怒っているのか?」
「当たり前だよ。カタメさん、悪くないのに……。被害者だったのに」
反論しようと思ったが、やめた。
この議論は研究所を辞してから、もう10回近くになる。
ラシュアはとにかく頑固で、どう諭しても俺を許すことはなかった。
まあ、俺にはどうでもいいことだが。
「狡いよ。2人で決めちゃって……ぐすっ」
ついには泣き始める。
ほとんど第三者であるラシュアがここまで感情移入できることに感心してしまう。
「ふん。さすがのお前も……。女の扱いには手を焼くようだな」
多くの人間が乗合馬車の列に並ぶ中、不意に声が聞こえた。
聞き覚えのある声に、俺は振り返ったが、そこに件の人物はいない。
空耳か、あるいは……。
「ラセルくん、どうしたの? あんまり離れると、迷子になるよ。手を繋いであげようか?」
「いらん。子ども扱いするな」
俺は再び己の戦場へと向かって歩き出すのだった。