外伝Ⅵ カタメの男⑨
ん? あなた様??
何か俺の顔に覚えがあるような言い草だが、俺にはゲルドに覚えはない。
しかし、明らかにゲルドは動揺していた。
「いや、まさかな……。あの方はこんなところにいるとは思えぬ」
「あの方? さっきから何を言っている?」
それともボケたのか? この爺ィ。
俺が首を捻っていると、カタメが前に出る。
「ゲルド! 貴様、許さんぞ!!」
ゲルドに対して激昂する。
対するゲルドの反応は実に淡白だ。俺の顔を見た時とは違って、まるで塵虫でも見つけたかのように、目を細める。
「許さないのはこちらの方だよ、ネルワルト。うちの大事な金づるばかりを殺しおって……」
金づる?
なるほど。軍関係者の半分以上が外部の人間だったので気になっていたが、ゲルドは1187研究室に密かに投資していたパトロンたちを狙っていたのか。
おそらくここの研究室を脱出する時にでも、そういった資料を入手していたに違いない。
「わしにあーせーこーせーとうるさい連中だったが、いい金づるだった。1187研究室の良い隠れ蓑だったのに、お前のせいでミリアスに知られたではないか」
軍の出資者が1187研究室のことを隠匿していたために、ミリアス司令官ですらその資料を閲覧できなかった。
だが、カタメが殺したことによって、明るみになったわけだ。
ざまぁだな。
「というか、貴族の屋敷でミリアスを狙う必要はなかったんじゃないのか?」
「ん? オレはミリアス司令官に興味はない。漏れてきた情報では、ミリアスとゲルドが参加すると聞いていた」
おいおい。それは俺が知らない情報だ。
あの狸司令官め。
ゲルドの情報をわざと伏せていたな。
俺が1187研究室のことをしれば、研究室がぶっ潰されると思ったのだろうか。
まあ、その予想通りのことが起こっているから、何とも言えないがな。
「ねぇねぇ。ちょっと! ラセルくん。そろそろ私の存在に気付いてよ」
横を見ると、ラシュアが半泣きになりながら俺の方を見つめていた。
「なんだ、お前いたのか?」
「なんだはないでしょ! 怖かったんだから!!」
お前、仮にも軍人だろ?
「まあ、良い」
ゲルドはほくそ笑む。
テーブルにおいた注射器を持ち出し、怪しげな溶解液をスポイルする。
適量を吸い取ると、指先でトントンと叩いた。
「こうなっては、わしも死罪になるしかない。死の体験できることは、わしにとって喜びじゃが、その前にわしもまだ味わってないものがある」
「貴様、何をするつもりだ?」
「ダメだよ、ラセルくん! それを打たせちゃダメ!!」
「何をする? 決まっておろう。力だ。圧倒的力を手に入れるんじゃよ」
ゲルドは注射器を自分の首筋に打つ。迷うことなく押し込むと溶液が体内に入っていった。
ダラリ、と腕が垂れ下がり、溶液のなくなった注射器が地面に落ちて割れる。
ゲルドは何か小さく呻くだけ。
失敗かと思ったが、そうでなかった。
「ふ……。う……うう……。うぉおおおおおおおおおおおお!!」
ゲルドは絶叫した。
白い湯気を吐きながら、ゲルドの身体が爆発的に膨らんでいった。
一瞬にしてカタメの背丈より大きな体格に、悪魔的ともいえる筋肉、爪は刃のように鋭利に光り、足の爪は猛禽のように曲がって床を噛んでいる。
髪の毛は抜け、瞳からくろ目がなくなり、口に牙が生えていた。
もはやゲルド・ワッド・ポリジャーという研究員の姿はない。
俺たちの前に立ちはだかったのは、単なる化け物だった。
「ふはははははは! 素晴らしい! こんなに気持ちいいのは久しぶりだ! あははは……。わしはなんともったいないことをしていたのだ。こんな素晴らしい力を、他の者に分け与えていたなんてな」
「ゲルド……。貴様……」
「ネルワルト。お前も同じ気持ちだったのか? 実にうらやましい! その手で,軍関係者とはいえ無辜の人間を殺した気分はどうだった」
「黙れ!! 貴様、ここで倒す」
カタメは怒りに流されるまま、ゲルドに突っ込んでいった。
手に【硬度上昇】【鋭利】の魔法をかける。そして、【筋量強化】を唱えると、【加速】をかけて、力の限り拳を振るった。
ギィン!!
冷たい音を立てて、あっさりと弾き返される。
普通なら分厚い鋼板ですらあっさり断ち切れる魔法のレパートリーだ。
しかし、ゲルドの身体は簡単にカタメの攻撃を弾いてしまった。
「カタメ、どけ」
俺は手を掲げる。
すでにその手の平には、赤い紅蓮の炎が宿っていた。
【竜皇大火】!
名の通り、竜のブレスを思わせる大量の炎が研究室に渦巻く。
直撃を食らったゲルドが立っていられるはずもなかった。
しかし……。
「かっかっかっかっ!」
炎の中から高笑いが聞こえた。
「上級魔法すら涼風とはな……。なった! わしはなったぞ。最強に、世界最強になったのだ!」
「さて、それはどうかな」
「何?」
ゲルドが気付いた時には、俺はゲルドの肩に乗っていた。
持っていたのは、先ほどゲルドが打った注射器である。すでに例の溶液が注射器の中に貯まっていた。
それをゲルドの舌に突き刺す。
いくら外殻が硬かろうとも、舌までは硬くならなかったらしい。
そもそも舌まで硬くなっていたら、まともに喋られないだろうがな。
「ぎざば!!」
ゲルドは反射的に俺を振り払う。
少しダメージを負ってしまったが、問題ない。俺はひらりと空中で回転し、着地した。
逆にゲルドは「げげげげ」と声を上げながら、身悶えている。必死に吐き出そうとしているが、直接体内に押し込んだので、吐き出すことは困難だろう。
「ぎざま゛! なう゛ぃをじだ」?」
「なーに。お前が嬉しそうに注射を打っていたのでな。注射が好きそうだったので、俺が代わりにもう1本打ってやろうと思っただけだ」
「なっっっっっっ!」
ゲルドは絶句する。
だが、惚けている暇はない。
次々と身体にいれた食事や、水が吐き出される。中には食べ物かあやしい骨まで入っていた。
異臭が立ちこめる中で、カタメは尋ねた。
「小僧、一体何をした?」
「難しいことはしてない。注射を打っただけだ」
「おじいちゃんに何が起こってるの?」
ラシュアも息を飲む。
「簡単だ。薬物過剰。薬の飲み過ぎだ」
ゲルドは狂人のような性格でありながら、非常に丁寧に注射器に淹れる溶液の容量を守っていた。
つまり、薬物を入れすぎると、何かしらの危険なことが起こるということだ。
察するに、細胞異常が起きたことによるなんらかの病気が発症したのだろう。
そもそもこういう合成生物は、毒や菌に弱かったりする。
生まれたばかりなので、免疫ができてないのだ。
そんな身体に、薬を再投与すれば、反発が起きて当然である。
ゲルドは身体が膨らみ、萎む。それを繰り返し続けた。
すでに身体が耐えられなくなっている。口や鼻、瞳からも血を流していた。
「ぎざばぁぁぁぁああああ!」
ゲルドは叫ぶ。
だが、それが老人の断末魔の悲鳴となった。
身体が維持できず、ついには泡スライムのようにとろとろになって、身体に染みこんでいく。
残ったのは、強烈な腐臭であった。