高校生がタバコを吸っただけの話
中3の頃、その時に本当に好きだった女の子に振られたときに初めて泥酔するまで酒を飲んだ。飲んだのはジントニックだった。家の父親がいつも買ってくる1ガロンのジンのボトルを少量拝借した。それから一時期酒を辞めたのだが、転機はまた失恋だった。いや、小説に影響されたのだろうか。
三秋縋という作家がいる。「三日間の幸福」で有名な彼だが、よく作中に酒とタバコと洋楽と洋画の名前が出てくる。絵にかいたような「かっこいい」の対象で、高校一年だった僕は直ぐ感化されてセブンスターとウイスキーを買った。買って暫く、「タバコは悪である」という現代教育が染みついていた僕は吸う勇気が出ず、セブンスターを机の下で眠らせていた。
セックスした女の子がいた。その子は片親で父親が帰ってくるのはいつも10時過ぎだったので色んな男が出入りしていたようだ。僕はそのうちの一人だった。
僕はショックを受けた。彼女がどうしようもなくキスとフェラチオが上手いことに。それでも、その時の僕は安い温もりに絆されて幸せな気持でいたのだが、その晩、彼女のツイッターを見ると、僕に対する一通りの罵倒(罵倒とまでは言えないが)が連ねられていた。酷く脆い僕はそれだけでアイデンティティが揺らいでしまう。他人から承認されることに自己を見出すような人間だったのだ、僕は。
僕は酒が弱い。でもその晩はウイスキーをストレートと水割りでショット3杯分くらい飲んだ。それだけで僕は足が覚束なくなってしまう。
そしてセブンスターを持って散歩に出た。自宅から2分ほど歩いて、タバコに火をつける。ジェットライターの使い方が分からず困惑する。スマホで検索しようとするが、画面をつけた途端、寒さだろうか、電源が落ちる。仕方なくいろいろと試行錯誤して、漸く使い方を理解する。
そして火をつけた。煙を吸い込む。煙を上手いことあまり吸わなかったのか、話によく聞く、噎せて、不味くて、という感覚はあまりない。旨いものはないが。ただ葉が蒸し焼ける香りと所謂タバコの匂いがしただけだった。何度か吸う。煙が自分の前で畝って立ち上る姿に少し恍惚とする。自分が、大人になった気がした。本当に安い人間だ。
タバコは吸わない方がいい、とは思わない。どこまで行っても自己責任だと思う。友達が吸っているのを見れば止めようと思うし、タバコを吸う女は嫌いだ。けれど、彼等に何か言う権利は無いだろう。
幸せなんていうのはどこまでも主観的で流動的だ。散歩がてらタバコを吸って、道端に勿忘草が咲いているのを見て幸せを感じる人間も居れば、誰かと愛し愛されることに幸せを感じる人間もいるだろう。その両者は入れ替わるし立ち替わる。結局幸せはその瞬間でしかないし、麻薬だ。だから人間はどこまでも幸せを求める。
言いたいことがよくわからなくなってきたところでもう書くのをやめようと思う。バレンタインの5年物の水割りを片手にした愚かな高校生の駄文だった。