六.他人の足を引っ張らない
マイナスのないプラスなどありえない。
帝からの信頼を得た劉備は、朝野の人々からも『劉皇叔』と敬称されるほどに権力を持ち始めていた。
―――が、もちろん、これを快く思わない一部の人間もいる。
曹操の配下の者たちである。
自分の所属する組織の頂点の人間が、この世の全ての者たちの頂点であって欲しいというのは、配下の者として抱く当然の感情であった。
「―――曹丞相。面白くございませぬ。」
劉備警戒派の代表として、荀彧が面通りして曹操に言った。
「劉備は近頃、帝にゴマをすり、帝からのご信頼を得始めております。」
「これは、ゆゆゆゆゆゆゆゆしき事態にございます。」
「今すぐに事を成せば、後の大害を防げましょう。・・・ご決断を。」
『病気は早期発見を。』
参謀たる荀彧の言を聞いた曹操であったが、彼は打ち払って、
「私と玄徳は、もはや兄弟といっても良いほどの間柄。良弟が良兄に何の害を与えようか?」
と、全く取り合わなかった。
しかし、荀彧はめげない。ここでめげては参謀たる役割を果たせないのだ。
「名ばかり参謀とは言わせない!」と、彼は続けて主君に言った。
「丞相のお心はそうでしょうが、つらつらと劉備を評するに、彼はまさに一世の英雄にちがいありません。いつまでも丞相の下で、高給パシリ生活に甘んじるようなタイプの人間ではないでしょう。」
「今の友を明日の強敵とせぬためにも、用心を重ねて頂きたくお願い申し上げます。」
述べた後、参謀は軽く頭を下げた。
度重なる参謀の忠言であったが、それでもなお曹操は笑い消して、
「好きと交わること三十年。悪きとも交わること三十年。」
「善だけでは人の価値は見えぬ。悪の面も見てこその人物評だ。」
「今の君の人物評にはそれがある。その点は見事だ。しかし、その評を君は生かしきれていない。」
「『好友悪友』。その捉え方は自らの“心の持ち方”にあろう。」
と、意にかけなかった。
そして彼と劉備との交わりは、日を追うごとに親密さが増していき、朝を出る時も車を共にし、宴楽するにも、席を一つにしたのであった。