山城無双
桜も大分散り、空の青も深みを増して来た今日この頃。新一年生は未だ新たな生活に不安を抱えながらも毎日を新鮮な気持ちで過ごし、三年生は大学受験や就職について動き始める。彼等を応援するかのように校庭の花壇に新芽が顔を出していた。
そんな春麗らかなある日。なんだかんだ言って平和な山城高校に事件が起こった。正愛と大心に対して他校の男子生徒が大人数で山城高校へ乗り込んで来たのだ。
「お前が長谷川正愛か」
校庭で正愛と相手のリーダーらしき男が向かい合い、睨み合う。正愛はスラックスのポケットに手を突っ込み、右足に重心をかけてダルそうに立っている。大心は正愛から一歩下がって同じくダルそうに相手側を全体的に眺めた。その傍らでは京介・めぐ・千花が野次馬よろしく座り込んで事の成り行きを見守っている。
「何の用。つか誰」
正愛には穏便に済ませようと言う考えはない。それどころか、ここ最近の知りもしない女子生徒とのデート三昧な毎日で溜まったストレスを発散しようと意気込んでいる。見知らぬ相手だとか、何故この状況になっているのかなど最早どうでも良かった。
「オレは、」
「あー、やっぱいいわ。どーせ忘れっから」
誰かと聞いた正愛に対して名乗ろうとした彼の言葉は、聞いたくせに全くもって覚える気のない本人によって遮られ、そしてそのまま怒りを煽った。相手は眉間に深い皺を作って、グッと正愛を睨み付ける。
「てめぇナメてんじゃねぇぞ!!」
「そんだけ人数連れて来といて何言ってんだてめぇ!」
ザッと見ても相手は20人程は居そうだ。良くもまぁこんなに集めたもんだと大心は感心すらしていた。
ケンカをするに当たり、数が多ければ有利と言うわけではないが、2対20はさすがに人数の差があり過ぎる気がしなくもない。負ける事はないだろうが、いつもよりは遥かに疲れそうだと成り行きを見守っている京介は思った。
「まぁ、理由くらい聞いてやれば?」
「は?ンなもん何だっていいだろ」
「だってホラ、また桜子さんの手下かもしれないし」
「…チッ」
“桜子”と言う名前を聞いた途端、先ほどよりも微かに正愛の戦闘意欲が落ち着いた。代わりに眉間に深い皺を作って頭を掻く。
京介は聞き覚えのある名前に首を傾げた。確か“桜子”と言う人は正愛と大心が悪魔の様な女だと言っていた人だ。彼女の手下とはどう言う事なのか。京介はカーディガンのポケットに入れて持って来ていたパックジュースにストローを刺しながら、自分の隣に並ぶめぐと千花に聞こうと口を開いた。
「“桜子”さんて誰っすか?」
「は?桜子さんは桜子さんだよ」
「だから誰っすか?」
「何お前マジで知らないの?」
「はい」
京介の返事に、めぐは衝撃を受けた表情で固まり、千花は口元を手で隠し数回瞬きをした。京介はそんな二人の反応に首を傾げ、桜子の正体が明かされるのを待っている。
「桜子さんはな、うちの学校の卒業生で、成績優秀スポーツ万能。そんで全校生徒と全職員を下僕にしてた伝説のギャルだ」
「え、何すかそれ」
思ってもみなかった生態に驚きつつ、「中二病なヲタクさんですか?」と問えば、めぐの素早いアッパーが京介の顎にヒットした。痛む顎をさすりながらめぐを見れば、まるで鬼の形相で京介を睨んでいる。そんなつもりは無い。本当にそんなつもりは微塵も無く、ただ自然と出た疑問だったが、どうやら“桜子”はバカにしてはいけない相手のようだ、と京介は悟った。
大心が相手に何の用で来たのかと聞く。正愛はただ黙って自分を睨み付ける相手と視線を交えている。
「お前等オレの女に手ぇ出してくれたらしいなぁ?あんコラァ」
正愛と大心は揃って眉間に皺を作った。しばらく二人は相手の男を睨み付けるように見つめ、そしてお互いに視線を向ける。先に口を開いたのは正愛だった。
「コイツの女って誰」
「知らねぇよ」
「お前ちゃんとフリーの確認してんのかよ」
「してるわ。兄貴と一緒にすんな」
声のトーンを落とし、周りに会話が聞こえないようにして話す。賭けをした次の日からの事を思い返しても皆目検討も付かない。正愛がチラリと相手を見遣ると、早くしろとばかりに全員が二人を睨み付けている。20人から睨み付けられるとさすがに迫力があった。しかし全くもって身に覚えのない二人は、これはもう本人に聞いた方が早いと相手に向き直った。
「お前の女が誰か全然わかんねぇわ」
「はぁ!?」
「具体的な特徴とか、オレ等が何したのかとか教えてくんない?」
悪びれる様子もなくシレッと言う二人に、相手の男は「バカにしてんのか!!」「ナメてんじゃねぇぞ!!」と叫んだ。彼の仲間も一緒になって何かを叫んでいる。何人かが金属バットや鉄パイプを持っていて、威嚇するように地面を打ち付けた。
「つーか、オレはちゃんと男いんのかって確認してから遊びに誘ってるわけ。居るって答えた女は一人も居ねぇんだ。つまりお前の女がオレ等と遊びたくて嘘吐いたって事だろうが!!ァア゛!?」
今まで静かにしていた大心が突然怒鳴ったので相手側は驚いて口を噤んだ。大心は普段からあまり声を荒げる事がないので、傍観している京介達も驚いて間の抜けた表情になった。正愛だけは自分の後方から来た大声にも慣れた様子で相手を睨み続けている。
大心はまるで自分のせいにされているようで納得がいかず、的確な言葉で相手を威圧する。しかし大人数で他校へ乗り込んでくるだけあって、相手は引こうとはしなかった。
「るせぇ!!女に責任なすりつけようとするなんてクズだな!!」
「いいからとりあえず女の特徴教えろよ」
直ぐに大心はいつもの冷静さを取り戻し、被害者ぶって目の前の男達を嗾けて来た女子生徒を聞き出そうとする。バカじゃなければ自分の彼女を大心に教える事はしないだろうが、生憎相手はバカだったようで、彼女の特徴をツラツラと話し始めた。
二年生、小さい、目が大きい、茶髪、ショートカット、とにかく可愛い、など大体の生徒に当てはまる様な特徴を聞いてもイマイチ分からない。
「わかった!」
そう声を上げたのは傍観している千花だった。思わぬ所から上がった声に校庭に居る全員の視線が千花に集まる。
千花は正愛と大心に自分の声が間違いなく届く様にと、口元に両手をやり、下腹部に力を入れた。
「クラウンで千花と会った時にお茶してた子!正愛の隣に座ってた子だよ!」
言い終わると、フンッと鼻を鳴らして満足そうな、やり切った様な、例えるならいじめっ子を撃退した子供の様な顔で、正愛と大心にグッと親指を立てて見せた。
「あー、あの喫茶店のな」
「もう名前も忘れたけど、あの子か」
千花に言われて薄れた記憶を辿れば、確かに先日、小洒落た喫茶店に連れて行った女子生徒は先程の特徴に当てはまった。相手も喫茶店に行ったと言う所で数回頷いたので間違いないようだ。
あまりに興味が無く、誘った大心も失敗だったと反省する程だった為に名前も覚えていない。しかし男は居ないと言っていたのは確かで、大心は盛大に舌打ちをした。
「千花」
「はぁい?」
正愛が相手を睨み付けたまま千花に声をかける。普段から騒ぐ事が多い正愛は大声を出す事に慣れているので、千花のように意識しなくとも声を張る事は容易だった。
「お前あの女探して連れてこい」
「え~…」
千花は校舎を見た。窓からは沢山の生徒達が好奇の目で校庭を見ている。あの中から探し出すのはなかなか骨が折れそうだ。もしかしたら今日は彼氏が乗り込んで来るのを知っていて休んでいるかもしれない。
千花は校舎から正愛に視線を戻した。
「オレ等はコイツ等ぶっ飛ばすから、カッコいいタイミングで連れて来いよ」
「カッコいいタイミングっていつ?」
準備運動よろしく首を回しながら言う正愛の表情は、ふざけた言葉とは対照的に目が鋭く、口元は弧を描いた好戦的なものになっていて、纏う空気もピリピリと張り詰めている。大心も表情こそいつもと変わりないが、空気は正愛と同じだ。それだけで相手側は戦闘体制を取ったが、傍観している三人の空気は春麗らかな日に相応しい、のほほんとしたものだった。
正愛に言われた“カッコいいタイミング”がいつなのか分からない千花は可愛らしく首を傾げた。
「ちゃんとカッコいいタイミングで連れて来れたら、あの喫茶店でクリームソーダ奢ってやる」
大心はチラリと千花を見て言った。
“クリームソーダ”と言う言葉に千花は一瞬で目を輝かせ、素早く立ち上がると、「約束だからね!」と言って校舎へ向かって駆け出した。その背中を見送りながら、「ほんと単純だな…」と呟いたのはめぐだ。
「っしゃあ!!かかって来いクソヤロゥ!!」
正愛の叫ぶ様な言葉を口切りに、2対20の大乱闘が幕を開けた。いや、大乱闘と言うより無双と言った方が良いかもしれない。
あっと言う間に正愛と大心は相手側に取り囲まれ、一瞬でも目を離すと姿を見失ってしまいそうになっている。それでも殴りかかって来る相手を返り討ちにし、鉄パイプを振りかざす相手からそれを奪い取り、殴り殴られ蹴り蹴られ。ヤンキー漫画よろしく激しくやり合っている。
校舎からは男子生徒の声援と、女子生徒の悲鳴が入り混じって響いている。
「ヤンキー映画観てるみたいっすね」
「これが映画なら内容クソ薄いけどな」
京介とめぐは応援するわけでもなく、ただただ目の前の無双を見ている。見ていると言うより、ただ視線を向けていると言った方が正しいかもしれない。そのくらい二人は平然としている。
「で、結局桜子さんて誰すか?」
「ああ、正愛の姉ちゃんだよ」
「ね!?ええ!?正愛先輩って姉ちゃん居たんすか!?」
普段から声が大きい京介はその三倍は大きな声で叫んだ。しかし絶賛無双中の正愛と大心にはもちろん聞こえていない。無双を見ていた視線を顔ごとめぐに向ける。
正愛に憧れ、纏わり付き、後輩として、仲間として付き合い始めてから一年。京介は正愛に姉が居る事を今初めて聞いた。
思えば京介は今まで正愛に家族構成を聞いた事も、家に遊びに行った事もない。家族構成など聞いたところで特に役には立たないし、勝手に一人っ子だと思い込んでいた。家に行かなくとも学校やAZ'で会えるので必要なかったのだ。
「因みに弟も一人居るよ」
「おと!?ええ!?」
姉に続いて弟の存在まで知る事になった京介は、次は兄か妹が出て来るのではと身構える。しかしめぐは兄弟はそれだけだと告げ、「つーか声デケェよ」と静かに言った。
「お姉さんは今いくつなんすか?」
「今年25かな。歌舞伎町でキャバ嬢やってるよ。今年で辞めるっつってたけど」
「大人っ」
思っていたより正愛と歳が離れている事に驚きつつ、京介はいつかの正愛と大心のビビリ様を思い出した。自分の姉を悪魔に例えていたが、キャバ嬢ならば小悪魔の間違いだったのかと考える。高校二年の京介はまだキャバクラと言うパラダイスへは行けないので、キャバ嬢と言う者がどんな者なのかは分からないが、雑誌や周りから聞く限りでは悪魔ではなく小悪魔だ。
「弟は中二。正愛からは想像も出来ないスーパー天才」
「へぇ…」
弟の方も想像より歳が下で京介は驚いた。
視線を無双へ戻すと、相手の半分程が至る所から血を流して地面と抱き合っていた。正愛と大心を見れば二人も至る所から血を流している。さすがに無傷とはいかない様だが、相手が全滅するのも数分後だろうと京介とめぐ、そして校舎から見ている生徒達は思った。
気になるのは千花だ。あと数分で相手が全滅だろうこの状況で、千花は正愛の言った“カッコいいタイミング”で例の女子生徒を探して連れて来る事が出来るのだろうか。
「千花さん間に合いますかね」
「無理だろ。アイツ等ぶっ飛ばすの早過ぎんもん」
「確かに」
二人が強過ぎるのか、相手が弱過ぎるのか。きっとどちらもだ。残るは五人。瞬殺で決まる。残念ながら千花のクリームソーダはお預けになりそうだ。校舎からは結構な人数の教師が小走りで向かって来ている。
「終わる頃を見計らって来る教師なんてロクでもねぇっすよね」
「正愛と大心を謹慎処分にしてぇんだろ」
「オレも休もー。あ、千花さん」
テコテコと小走りな教師達の後ろに、女子生徒を二人連れた千花が何かを振り回しながら全力疾走している。どうやら振り回している物で女子生徒のケツを叩いているようだ。あっと言う間に教師達を追い抜いた千花が持っていたのはビニール傘だった。
「おかえり千花。頑張ったじゃん」
「ちょうど帰ろうとしてたのを捕まえた」
「え、千花さんバチギレてません?」
いつもの甘ったれたような話し方ではない千花に聞けば、千花はビニール傘で勢いよく、物凄い強さで地面を叩いた。バチンッと言う音に連れて来られた女子生徒達は肩を跳ね上げる。どうやら此処に来るまでの間に相当な目に遭ったようだ。
「だってうち等の事ナメてんだもん。ムカついたから左足の小指折ってやった」
千花が女子生徒を探しに校舎へ行くと、ちょうど二人が逃げるように帰ろうとしていたので、タイミングの良さにルンルンしながら二人に声をかけた。すると二人は肩を跳ね上げ、一瞬焦ったように視線を泳がせたが、ニコニコと笑みを浮かべている千花を見て正愛や大心、そしてめぐや京介の事までバカにして来たのだ。最初は言葉で応戦したが一向に言葉を慎まない二人に頭に来てしまい、彼女達の左足の小指を折り、ビニール傘でケツを叩きながら連れて来た。と話した千花に京介は背筋が冷えた。
「おう、お前等」
声のした方を振り返る。屍の中に正愛と大心が傷だらけの血まみれで立っていた。
二人の視線は千花が連れて来た女子生徒達に向けられている。視線をそのままに、正愛は乱れた髪を搔き上げながら、大心は乱れた制服を直しながら二人の前に立った。
「ダセェ事してんじゃねぇよ」
今や地面と抱き合ってしまっている男の彼女だと言う女子生徒を睨み付け、女子に向かって言っているとは思えない程のドスを効かせて正愛が言った。恐怖のあまりに女子生徒は正愛から視線を外す事すら出来ないでいる。そんな彼女に向かって、今度は大心が口を開いた。
「オレ等は女だからって容赦しねぇよ」
ビクッと女子生徒二人の肩が跳ねる。正愛と大心がグッと拳を握ったのと同時に、教師が二人と女子生徒との間に割って入ってきた。
「何やってるんだお前達は!来なさい!」
往生際悪くハゲた頭を残り少ない毛で隠すバーコードヘアな学年主任が正愛の肩を抱き、いつの時代の体育教師だと言う様なスポーツ刈りヘアの数学教師が大心の肩を抱いて校長室へと二人を連行してしまった。
「貴方達は教室へ戻りなさい!」
ソバージュをかけたバブリーなヘアの英語教師はそれだけ言うと、他の教師達を連れてプリプリと校舎へ戻った。
これから正愛と大心を取り囲んで散々説教した後、自宅謹慎を言い渡すのだろう。
しばらく教師達の後ろ姿を睨み付けていた千花とめぐが女子生徒二人に向き直る。二人はまた肩を跳ね上げた。京介は屍になっている男の元へと向かう。
「アンタ男いんの隠して正愛と遊んだんだよな?」
「は、はい…」
めぐの威圧感溢れる問いに震える声で答えた女子生徒の腕を掴むと、千花はその腕を引いて京介の元まで大股で歩く。女子生徒は左足を引きずっている。
「おめぇもだよ」
「っ、」
めぐがもう一人の女子生徒の脹脛をひと蹴りして、一緒に京介の元まで歩かせる。
京介は男を反転させると胸倉を掴み、グンッと上体を引き上げた。
「ほら。嘘ついて正愛と大心と遊んだ事、ちゃんと彼氏に言って」
「…あ、」
「ビビってんじゃねーよ。お前のせいでこうなってんだよ」
全身傷だらけになり、顔面は血だらけになっている痛々しい彼氏の姿に、女子生徒は正愛と大心に改めて恐怖を感じた。しかし京介の言うようにこうなったのは全て彼女の嘘から始まった事だ。この場に居る誰も憐れみなど持たない。
少しして、女子生徒は涙を流しながら自分が嘘を吐いた事を男に話した。
「ごめんなさいっ…」
「この…クソ、ヤロウが…」
男は気を失ってしまった。
大心は胸倉を掴んでいた手を離し、男の側で泣き崩れる女子生徒とそんな彼女を慰める様に寄り添う女子生徒を冷めた目で見下ろす。
「ケンカ売んなら相手は選べよクソが」
「その彼は病院連れて行った方がいいよ」
「下手に動かすとやべぇから救急車呼びな」
揃って「じゃ」と言うと、三人は屋上へ向かうべく校舎へと歩き出した。
男の側で泣き崩れていた女子生徒は慌てて携帯から救急に電話をかけ、もう一人の女子生徒は他に重体者は居ないかと、倒れている男達を見て回った。
「自宅謹慎か〜。何日っすかね」
「二週間くれぇじゃねーの」
「って言うか正愛、自宅謹慎なんて桜子さんにフルボッコにされるんじゃない?」
ヘラヘラ〜と笑って言った千花の言葉に、めぐは「あ。」と短く声を上げ、数時間後に姉によってフルボッコにされるであろう正愛と、確実に巻き添えを食らうであろう大心を憐れんだのだった。




