開幕、記憶争奪戦
目が覚めると、そこは知らない場所だった。
知っている場所だったのかもしれないけれど。
記憶がないのだから、そうだとも言えない。
私はグリムレッド。赤い頭巾の女の子。
そんな少女の童話があるのは知っているけれど。行く先も、届ける物も、会いたい人も生憎いない。
だから誰でもない。ただのグリムレッド。
それでいい。
☆ side:4
それは数時間前の私だ。
目的も、生きる希望も、その礎となる価値観すら存在しない空の器。
今の、記憶を取り戻した私にとっては、想像するだけで寒気がする。
目の前に浮かぶ道化師は、また私から奪おうとしている。
十二人の果たし合い、記憶を餌にした脱出ゲーム、なるほどよく考えられている。
あくまで争い憎しみ合うのは私達であって、自分はそれを眺めているだけでいいのだから。
安全な所から、最高のショーを。
だけど、それは何か違うじゃない。
おかしいじゃない。
だって私達は元々はクラスメイトで、意見の衝突こそあれ、存在を否定し合う関係ではないのだ。
明確な敵は、この中でただ一人、あの変な仮面の道化師のはずだ。
だからせめて、私達と同じ土俵に立たせたかった。
道化師の思惑から外れることで、自分という存在は流されるだけではないと、証明したかった。
お前だって『標的』たり得るのだと。
銃口を道化師に向けた時、きっと他の11人も賽を取り、共に目の前の理不尽に、立ち向かってくれるのだろうと、そう思っていた。勝手に思い込んでいた。
甘かった。
能力を人前で見せることの危険性を、楽しそうに語る彼を、11人は見ていなかった。
皆が見ていたのは、私の賽。私の願望が作り上げた、たった一つの武器。
私の手の内だった。
(何故、誰も抗おうとしないの?力はあるはずなのに!)
記憶の一部を取り戻した時、そしてこの場にいる人達がクラスメイトと知った時、同じ不安を共有する仲間を得たと思った。しかし、同じ不安を共有するからといって=仲間という訳ではない。
得た物は仲間ではなく、孤独感だった。
銃を構える手の力が、気力が、抜けていくのを止められない。無力な私はただ、憎しみを込めた瞳を、道化師に向ける事しかできない。
そう、道化師に視線を向け、そこで気がついた。
さらにその奥、私の立つ浮遊石盤とは真逆の位置から。
空中を駆け抜ける、燕尾服の少年を見た。
道化師はそれに気がつかない。私に向けて嘲笑の眼差しを送っている背後で、真っ直ぐ走り近づいてくる影に。
私はその光景に、不覚にも涙した。
心の奥底から、止めどなく湧き上がる感動に、心臓が高鳴る。
(思いは繋がった、届いた!ありがとう、ありがとう!)
本当であれば賽による援護をしなければならない場面だけれど、彼の能力が未だ不透明な現状で、下手に攻撃し邪魔をしたくなかった。いや、違う。
認めてしまおう。私はその光景に、我を忘れて見とれていたのだ。
勇者はいた。
☆ side:10
一つ、道化師が背を向けている事。
二つ、この場の全員の意識がグリムレッドに向いている事。
三つ、賽の能力を使えば相手の元に辿り着ける事。
(あれ?これ、いけるんじゃね?)
そう思った瞬間、体は勝手に動いていた。
羊飼いの指揮棒の能力は『情報固定』である。
時間停止と言うには限定的で、空間操作と言えるほどの物でもない。
同時に固定できる情報は3つまで、固定範囲もたかが知れている。
が、足場の作成程度なら問題ない。
道化師は空中に浮いている。普通なら届かない場所だ。
なので、まず道を創ろうと思った。
固定範囲はどうしようか。
イメージしやすいのは、今乗っている浮遊石盤と同じくらいのサイズ。
その範囲内に存在する物とは何か。
空気中には水分があり、見えない塵があり、気体を構成する様々な粒子が混在している。
指揮棒を振ると、それらの位置関係や状態が固定され、不可視の足場が完成した。
「ちょっと怖いけど、最初の一歩から全力で進むのみ!」
右足を透明な足場に乗せた瞬間、指揮棒を振り、左足を乗せるための空間を固定する。
あとは繰り返しだ。賽を握る手は四拍子を刻み、両足は空を駆け抜ける。
同時に固定できる限界値を過ぎれば、古い順に足場は解除されて消える。
そのため、後戻りはもう出来ない。
(するつもりもないけどな!)
俺はこんな馬鹿げた果たし合いを認めたくなかった。ならばどうするか。
今ここで、主催者の思惑を阻止するしかない。
(二度と大切なものを失ってたまるか!導け!!羊飼いの指揮棒!!!)
俺の強行に、最初に気がついたのは、おそらく両隣の石盤に立つ二人。左側から響く、鎧の軋む音から、驚愕の意が伝わってきた。
次に気がついたのは、童話に登場する赤頭巾のような少女グリムレッド。
彼女は宙を走る俺を見て、何故か張りつめた緊張の糸を解く。
そんな彼女の様子を見ていた他の者達も、順番に状況を理解する。
各々が、この先の展開を見届けるため、道化師に視線を向ける。
彼がその視線の意味を、正しく受け取った時、状況はすでに手遅れだった。
俺は少し高めの位置に設定した、最後の足場から飛び降りる。
道化師はゆっくりと振り返り……。
ベコッッッッッッ!!!
こちらを覗き込む無機質な仮面に、本日最高の回し蹴りをお見舞いした。
直撃、だがこれで終わりではない。吹っ飛ばされた道化師の背後に、指揮棒を指し示す。
道化師は、固定された空気の壁に勢い良く突っ込み、全身を強打した。
俺は指揮棒を水平に凪ぎ、自分のための足場を固定すると、そこへ着地する。
だが、たった今ダメージを負った道化師は、バランスを崩し、今にも落下しそうだ。
彼がどういった理屈で浮かんでいるのかわからないが、今は好機だ。
追い打ちをかけるために指揮棒を振り上げようとした、その時。
道化師の仮面が斜めに割れ落ち、その奥に隠されていた素顔が現れた。
「ふーん、やっぱり。遠藤先生だったのねぇ」
軍服の麗人ジョアンナの言葉に、周囲が湧いた。
遠藤……先生?誰だ?俺の記憶に思い当たる人物は……まだいない。
「遠藤って、遠藤望!?副担任の!?ボク、ビックリだよ!」
「なるほど、Mr.ジ・エンドね、馬鹿みたい」
「……遠藤先生、私は思い出せない……けど」
勇者候補生一同の反応は様々だった。薄々気がついていた者、正体を知り驚く者、元の世界での彼を思い出せない者。俺自身は『思い出せない派』なのだが、相手が元教師だとわかれば、何だか攻撃しづらい。
「道化師は遠藤。つまりこれはドッキリって事かな!?実はここはシェルターの中で、あの黒い波から生き残った俺達を保護してくれた。果たし合い云々は悪戯心だった。ですよね?先生!!」
アメコミヒーローことエルクラーク氏は、相も変わらず着眼点がズレた事を言い出した。
どこの世界に記憶を奪い、シェルターまで使うドッキリがあるんだよ。
そこに、バランスを取り戻した道化師、こと遠藤が引き笑い気味に言う。
「ドッキリ?シェルター?馬鹿か」
確かに道化師の口から出た言葉だった。だが、今までの如く、人を小馬鹿にしたような態度ではない。
底冷えするような、無機質で重い空気を纏った言葉だった。
遠藤は深く溜め息を吐くと、視線だけをエルクラークに向け、言葉を続ける。
「外周次元に存在する自己を未だ受け入れられないのか?本当は理解しているのだろう?今の姿が、賽の能力が、自分の願望やトラウマを忠実に再現している事を……」
「なっ!?ち、違う俺は」
「君はヒーローになりたかったか?いや、なれなかったのか?どちらにせよ同じ事だ」
「やめろ、やめてくれ!」
「果たし合いは行う。私は観測者としての役割を果たす。これは決定事項だ。それに、このまま君達が元の世界に帰っても同じ事だろう。すぐにあの闇は、君達を飲み込み、全てを消滅させるのだからな」
エルクラークは頭を抱え、その場にうずくまった。
俺は何故か、隙だらけに見える遠藤を、攻撃することが出来なかった。
「君達は自分の無力さをもっと知るべきだ。そしてすぐ大人に頼ろうとするのもいただけない。私は遠藤望の殻を被った、空っぽの存在でしかない。だから何も教えない。勇者を目指し、自らの力で真実を勝ち取れ」
得体の知れないプレッシャーを感じる。
この空間では、私が絶対なのだ、と言わんばかりの、有無を言わせないプレッシャーだ。
これがこの男の本性なのだとしたら、今の俺では不意打ちを100回決めても勝てそうにない。
いや、きっともう。不意打ちは成功しないだろう。
「……えー、ゴホン!さあ、前置きが長くなりましたが早速『記憶争奪戦』を始めましょう!まぁゲームだと思って楽しんでくださいよ。そう、集めた記憶から正体を推測し、2年4組に所属するお仲間の名前を当てるだけの簡単なゲームです!」
などと思っていたら、いつもの道化師キャラに戻った遠藤が、陽気に語り始めた。
「おっと、いい忘れておりました」
わざとらしく、ポンッと手のひらを拳で叩く。
「一人だけ、例外が混じっております。『ジョーカー』にご注意を」
!?
大事な事をさらっと喋ったぞ!この道化師は!!
12人の中に一人だけクラスメイトではない者が存在するってことか?
そんな奴、どうやって正体を当てればいいんだ。
などと考えている内に、自らの体が、爪先から光の粒子となり、消えていく。
前回、転移した時と同じだ。
「大丈夫です!記憶を集めれば全ての謎は自ずとわかります!しっかり苦悩し、自分と向き合ってください!!それではアディオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜s」
フェイドアウトしていく道化師の声を聞きながら、再び、意識は途絶えた。
☆
(あぁ〜、いてて。それにしても驚きました。レベル1でわたくしに一撃入れるとは)
ここは中央時計塔、その頂上に位置する観測者の間。
何も存在しない、どこまでも続く真っ白な空間に、一人の男が転移した。
(面白い勇者が誕生しそうだなぁ。あの黒い人形を利用したのは正解でした)
道化師はどこからか取り出した、スペアの仮面を被り、白い光の中へと消えた。
なんとか序章終わり。