賽は投げられた
取り戻した記憶は凄惨なものだった。
日常の崩壊、友人との離別、護れなかった者への後悔。
あの夏の始まり。圧倒的に不条理な力が、全てを理不尽に呑み込んだ。
だけど俺はこうして生きている。
記憶を失い、訳のわからない能力を手に入れて、確かにここにいる。
そう、ここにいる。
というか、ここはどこだ?
学校は、友人達はどうなった?
疑問はそれだけではない。
記憶を取り戻し、人間性を取り戻し、常識を計る物差しを手に入れた俺だからこその疑問。
『そういうものなのか』と流していた、あまりにも根本的な違和感。
今まで起きた出来事の異常性についてだ。
出たり消えたりする道化師も、空間内の情報を固定する能力も、転移も浮く石盤も空の色も何もかも。俺の知る世界の常規を逸脱している。
ここはまるで知らない世界だ。
どうして、どうやって俺はここに来た?
考えは一向にまとまらない。
それは他の11人も同じみたいだけれど。
「そんな、俺はあの時アレに捕まって……どうなったんだ」
「チッ。漸く記憶を取り戻したと思ったらぁ、とんでもない地雷を踏んだ気分よ」
「あの黒い波はいったい何なんだ」
「嘘だ嘘だ嘘だあああぁぁぁ!!ボクは最強の猫耳魔法少女なのにいいぃぃぃ!!!」
「まるで悪夢だな」
そうだ、この場の全員が混乱し……おい、なんか一人変な奴がいたぞ。
「いかがでしたでしょうか?記憶旅行はお気に召しましたか?」
円状に並び浮かぶ12枚の石盤の中心。足場のない空中で仮面の道化師は嬉々として問う。
誰もが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「さてさて、それでは改めて種明かしをしましょうか。ジャジャーーーン!!そうです!貴方達は皆、城下町北高等学校の2年4組に所属する生徒でした!!パチパチパチー!」
(!?)
驚きを隠せなかった。
俺はてっきり、黒虹雲の波に巻き込まれた人間がランダムでこの場所に飛ばされているのかとばかり思っていた。しかし道化師の言う事が真実なら、全員が同じ学校の同じ組に所属している顔見知りという事になる。
しかし、だとするとおかしい。
俺は記憶の全てを取り戻した訳ではないが、ここにいる全員に見覚えがない。
(いや、『全員に』ではないよな)
ここから一番遠い石盤の上にいるグリムレッド(4時)と呼ばれた少女については、距離のせいでうまく視認できないし、目隠し眼帯の男オルフェムス(1時)や、立ち位置の関係でうまく見えないレム(12時)、隣の石盤に立つフルフェイス甲冑騎士のベオウルフ(11時)等は素顔をしっかりと見てはいない。
それにしても他に誰一人として見覚えがないなどありえるだろうか。
そんな事を考えていたら、イケメン王子ことマウリッツ(8時)が疑問を言葉にした。
「ここはどこなんだ?もしかして死後の世界なのか?我等は死んだのか?」
「ここは無意識と前意識の狭間、外周次元。貴方達はとりあえず死んではいません」
質問を受け取った道化師は、黒虹雲がきっかけとなってこの空間への門が開いた事と、この空間がどういった場所なのかを、意味不明な理論を使って非常に分かりにくく説明した。
道化師の話を(自分なりに)要約するとこうなる。
意識を用いて人々が交流し作り上げる物質世界、それが俺達のいた世界。
逆に普段意識していない様々な情報が救い上げられる事なく沈んだ精神世界、それが俺達のいる世界。
意識の外側、無意識の海。つまり外周次元。
だからこの場所では無意識に自分にとって都合の良い姿形を取ってしまうのだとか。
無意識の姿。それは理想とする自分。あるいは、理想からかけ離れた本来の自分なのかもしれない。
言われてみれば心当たりはある。
ここに来てからすぐに見た自分の姿と記憶の中の自分の姿は微妙に違う。
今の自分は前より睫毛が長くなっていたし、筋肉の付きも多少良くなっている。
何より少しだけ姿が幼くなっている。まぁ元々子供っぽいところはあったし。
(ずっと少年のまま、遊んでいたかったのかねぇ)
記憶の中で二人の幼馴染みが笑う。なんだか無性に彼らに会いたくなった。
「と、言う事で貴方達は間違いなく顔見知りなのです。姿形は変わってもね」
道化師のその一言を聞いて、嬉しそうに破顔したアメコミヒーローがいた。
エルクラーク(6時)だ。
「成る程、では改めて自己紹介だな!おr」
「ストップ!馬鹿なのぉ?本当の名前なんて聞きたくないわぁ。だってそうでしょう?」
その言葉に待ったをかけたのは帝国系軍服女史ジョアンナ(2時)だ。
更に単眼帯の巨人オルフェムス(1時)が続く。
「ああ、本当に果たし合うならそうだろうな。人を傷つけるなら相手の事なんて知らない方がいいに決まっている」
場の空気が……明らかに変化した。
グリムレッド(4時)は猟銃の引き金に指をかけ、ベオウルフは剣の柄に手を添える。
エルクラークは拳を握り声を荒げた。
「馬鹿な!?君達はこの道化師の訳のわからない理屈に添って仲間同士で殺し合う気か!?」
その問いに答えた者は一人もいなかった。
YESと答えても、NOと答えても、誰かが敵に回る気がしたから。
その沈黙を破ったのはこの男、道化師Mr.ジ・エンドだった。
「ここから出られる者は他の誰でもない、たった一人の勇者のみ」
囁きにも似たその言葉に、俺は鼓動の高鳴りを感じる。
『出られる』と。この道化師は確かにそう行った。
ヒナタと景咲が待つ、未練と後悔を置き去りにした、あの終末の校舎にもう一度。
そのためなら俺は……。
一人だけ?誰かがそう呟いた。
「そうです、だからこその果たし合い。最後の1人になるまで戦うしかありませんよ?」
その言葉を聞き、我に返る。
同時に、酷く恐ろしい事を考えていた自分に気がつき戦慄した。
自らの望みのためとは言え、一瞬でも他者を陥れようと考えた。
しかも相手は赤の他人でも悪人でもない。知人であり友人かもしれない者達なのだ。
何も知らずに命を奪った相手が、後に記憶を取り戻してみれば実は大親友でした。なんて笑えない。
俺はもう二度と大切なものを失いたくない。
失敗はできない。絶対に。
「記憶はお渡し致しました。賽もすでに手にしているでしょう」
視線が一カ所に集る。
「残るはルールの確認だけでございます」
俺は息を呑んだ。
「眼下に建つ12軒の館が見えますでしょう?あれが決闘の舞台、『12時館』です。貴方達にはそのうちの一つを差し上げます。足下の石盤に対応した数字の館をご自身の陣地としてお使いください」
果たし合いの舞台は整えてあるらしい。
眼下には円柱型の洋館が輪を描くように並んでおり、館と館の間には連絡通路が架かっているようだ。並び建つ館の輪の内側は、美しい庭園になっており、その中心には時計塔がそびえ立っている。
上から全体を見ると、時計の形を模した一つの城塞のように見えた。
だからだろうか、美しさの中にどこか人を寄せ付けない冷たさを感じる。
他の者達も、その洋館が放つ異様な雰囲気に圧倒されているように見える。
その反応を見て満足したのか、道化師は話を先に進めた。
「改めて申し上げます。賭けていただくのは全ての記憶と己の存在そのもの。勝者には勇者の称号と、外周次元の外への鍵を」
ノリノリな道化師は、バレリーナのような動きで空中を舞うと、両腕を大きく広げて決めポーズ。
「皆様が踊る演目は、悲劇の記憶争奪戦!!」
空気を読まない道化師の動きに、呆れて思わず溜め息が出た。
だけど苦笑してばかりもいられなかった。
「それでは果たし合いの詳細を説明しましょう!!」
誰もが納得しないまま、それでも恐らく果たし合いは始まるのだから。
========================================
『勇者候補生による果たし合い規定』
1.外周次元は異空間である。脱出方法はひとつしかない。
2.この空間には記憶をなくした十二人の候補生が召喚された。
十二人の候補生は記憶を失う前の自分に近しい者達である。
3.十二人の候補生は元の世界とは別の容姿をしている事もある。
4.十二人の候補生はそれぞれ『賽』と『館』を与えられる。
5.12軒ある館のどこかに候補生の記憶の欠片が散らばっている。
記憶の欠片は一人につき4つまで存在する。
6.記憶の欠片をすべて集めなければこの空間から脱出できない。
この場合の「すべて」とは他者の記憶も含む。
7.記憶の欠片には力が宿っており、集めるとより強力な『賽』の能力を行使できる。
8.他の候補生が所持している記憶は、致命傷を与えることで強奪できる。
9.候補生の所持する一番大切な記憶は、候補生の正体がわからなければ奪えない。
正体とは元の世界での名前や容姿のことである。
10.記憶の欠片を所持している限り、攻撃により死亡しても自陣の館に復活する。
11.記憶の欠片を全て失った候補生は消滅する。二度と復活はしない。
12.ここに記載されたルールがこの空間の全てではない。
========================================
(危ねーーーー!!!本名で自己紹介とか自殺行為じゃん!!!!)
果たし合い規定の9番目を聞いた時、本名を言いかけたエルクラークは酷く動揺していた。
そして11番目を聞いた時にはもう顔面蒼白状態だ。
(こいつは天然地雷野郎だぜ、注意しよう)
エクトルの好感度が−1下がった!
☆
「本当に私達に殺し合いをさせたいようね。貴方の感性は狂っているわ」
ルールを聞き終わると赤頭巾の少女、グリムレッドは銃口を道化師に向けた。
「貴方の失敗は3つ」
少女のよく通る声がこの場を威圧する。
「1つ、私に賽を与えた事。
2つ、私に賽を使いこなすまでの時間を与えた事。
3つ、私に生理的な嫌悪感を与えた事」
どう考えても果たし合いが行われる流れだった。
それを打ち抜くように、言葉の弾丸が飛び出す。
俺は少女の勇気に心が震えた。
「煩わしいわ、死になさい。狼さん」
引き金に指がかかろうとしたその時、道化師は大きく拍手した。
不意に行われた意図のわからない行動に、少女の指の動きが止まる。
「ブラボー!引き金を引きますか?それもいいでしょう。賽はわたくしにも勿論有効です」
銃口を向けられた者の言葉とは思えなかった。
道化師はまったく慌てた様子がないまま、言葉を続ける。
「それで?その強大な力を、これから果たし合う敵の前で披露する事が、どんな意味をもつか」
——わかってますよね? 道化師は4時の方角にほくそ笑んだ。
戦う相手に自らの能力を把握される。それは大きなディスアドバンテージだ。
能力のわからない相手よりも、対策の立てやすい相手の方が狙われやすい。
赤頭巾の少女がここで引き金を引けば、その後の果たし合いで真っ先に脱落する事になるだろう。
もちろん、道化師を打ち倒す事で果たし合い自体が無効になる可能性もある。
だが、この道化師の余裕ある態度を見る限りでは、本当に賽が有効なのかも怪しい。
全員の視線が、グリムレッドの賽に集中した。
猟銃の銃口が僅かに下がる。彼女は眼に見えて迷っていた。
ここから表情までは見えないが、おそらく屈辱に顔を歪ませているだろう。
ここまできて躊躇するのか、とは言うまい。誰だって死ぬのは怖いのだ。
安易に賽は使えない。
だから道化師は愉快そうに眺める。4時の石盤の上に立つ小さな勇者を。
背後で。
10時の方角で。
賽が弧を描く事に気がつかないまま。
俺はこんな馬鹿げた果たし合いを認めたくなかった。ならばどうするか。
今ここで、主催者の思惑を阻止するしかない。
(二度と大切なものを失ってたまるか!導け!!羊飼いの指揮棒!!!)
賽は投げられた。