プロローグ2
「あなたは、結局何が目的なんだ」
もしここで、この奇妙な道化師が、適当に回答を濁した場合、私は今後一切、彼の存在を無視すると決めていた。
そして彼は答える。
「道化師に目的なんてありませんよ。
誰かの笑い者にされる事を良しとした。だからわたくしは道化師なのです」
その言葉を聞いて、この奇天烈な存在に対し、わずかに残っていた期待感は完全に消失した。
答える気のない者と対話するために必死になる必要はない。正に馬耳東風だ。
「なのですが。そんな答えじゃエクトル様は納得できないようですねぇ」
当たり前だ。
表情から返答を読み取った彼は、こちらに向き直ると、
バカにしてもいいですよ?と前置きをしてから言葉を吐いた。
「わたくしはハッピーエンドが見たいのです。
闇に覆われた世界を救う、絵に描いたような勇者の物語を」
嘘をついているとは思わなかった。
わざとらしく声を張り、時には滑稽な仕草で人を小馬鹿にする。
それがこの道化師に対するイメージの全てだった。
しかしこの時の態度からは、真摯に答えようとする姿勢が感じられた。
こちらの存在をしっかりと正面に見据えて、まっすぐ丁寧な声音で答えている。
だからこそ、逆に不満だった。
彼の語る目的からは、彼が『何のためにこの場所に姿を現したのか』がわからなかったのである。
「その答えもまた、私の求めていたものではありません」
「わたくしの求める極上の物語には勇者が必要不可欠です。
ですが絵に描いたような勇者など、どこを探しても見つかりません。
だから自分で描くことにしたのですよ。真っ白なキャンバスをたくさん用意してね」
真っ白なキャンバス——。
この言葉が何を意味するのか、すぐに理解ができた。
「なるほど、この状況はやはりあなたが原因で、他にも同じ様な被害者がいると」
「正解でございまぁ〜す!貴方達には勇者になっていただきたいのですよ」
「だったら魔王は倒さないと、ねっ!」
言い終わるが否や、姿勢を落とし足を払った。
道化師は笑いながら飛び退き、そのまま距離を取った。
「振られてしまいましたか。いいえ気にしておりせん」
これで十人目ですから——。
付け足すように呟く道化師との距離を詰め、拳を固く握り、
渾身の一撃を顔面に向けて振り抜いた。
しかし拳は虚空を切る。
回避のために姿勢を落とした道化師の足払いで、私はあっけなく地に倒れた。
最初に足払いを狙った私への意趣返しだとすると、なかなかに性格が悪い。
上から覗き込む彼から、どうぞと手を差し伸べられる。
満足しましたか?そう言われた気がした。
完敗だ。
それを認めるのも癪なので、差し伸べられた手を払うと、自らの力で立ち上がる。
道化師は再度、残念そうに肩をすくめた。
「ヒール役を演じるには些か大根役者ではございますが、
求められるのであれば魔王でも悪代官でも演じきりましょうよ。
エクトル様が勇者を目指してくれるのなら、それをするだけの価値はある」
「仕方なく記憶を奪った、とでも言いたげですね」
どんな理由があるにせよ、巻き込まれたこちらはたまったものではない。
にも関わらず、動機が未だはっきりしないのも腹が立つ。
そんな気持ちを見透かしたように道化師は答えた。
「今、全てを語ることはできません。が、いつか全てを知るでしょう。
そしてこれから、数々の試練が貴方達の行く末を翻弄する……」
察しの良さに気味が悪いと思いつつも、続けて彼の言葉に耳を傾ける。
「ここで質問の答えに戻ります。本日、わたくしがエクトル様の前に現れた目的です」
そういえば元々そういった話であった。
おうともさ、聞いてあげますよ。それはもう大層な目的なのだろう。
「試練を乗り越えるための力を、勇者たるに相応しい力を授けに参りました」
「力を授ける?」
なんて傲慢で、胡散臭い物言いだろうか。
この日一番の憤りを感じたと言ってもいい。
この男はそちらの都合で勝手に記憶を奪っておいて、試練を越えるための力をやろうと言い出したのだ。
「さぁさぁご覧ください、Mr.ジ・エンドの門外不出の大奇術を!」
しかも楽しそうにそんな事を言うものだから、余計に頭に来る。
いや、それを通り越してなんだか呆れてきた。
そんな私の考えなど意に介さないように左右の腕を大きく広げると、
道化師は声高らかに言の葉を紡ぎ出した。
「一の才は十を彩り百を采る」
道化師は両の掌を合わせ前に突き出した。
「汝、千を砕き万を塞ぐと云うならば」
彼の掌は淡い光に包まれる。
「是、億の災を越える覚悟で臨むべし」
次に、掌をゆっくり離しながら、光を横に伸ばすように腕を広げてゆく。
「その力、即ち『賽』を以て、時の加護を与えん」
すると光の中から、40 cm程度の銀色に輝く指揮棒が現れた。
全体的に優美な装飾が施されており、思わず息を呑むほどの意匠である。
宙に浮き上がったそれはゆっくりとこちらに近づく。
そして淡い光を放ちながら私の目の前で動きを止めた。
「銘は『羊飼いの指揮棒』でどうでしょうか?どうぞ受け取ってください」
とても羊飼いが持てるような代物とは思えない。謎のネーミングセンスだ。
しかし名前を自分でつけ直すのも面倒だ。あえて何も言わない事にする。
それよりも、勝手に謎のアイテムを受け取る流れになっている事が不満だった。
どんな代物なのかも、分かったものではない。
「あなたからタダで貰った力なんて怖くて受け取れません」
「『賽』はわたくしが与えるのではありませんよ。エクトル様、貴方の力です」
「私の力、ですか?」
「そうです、先ほどわたくしは便宜上の都合で『授ける』と言いましたが、実は元々その姿も、そしてこの『賽』もあなたの心が生み出した物なのです」
確かに、この指揮棒からは邪悪な気配など微塵も感じない。
むしろ懐かしさの様な物すら感じる。
「さぁさ、受け取りなさいな」
気がつけば、引き寄せられる様に手に取っていた。
まるで元々は私の一部であったかのように、しっくりと手に収まった。
結局のところ、上手く乗せられただけな気もするが。
「『賽』とは使用者の願望を具現化させた魔法道具の様な物です。
人によって火を操ったり、人の心を読んだりと効果は様々ですが、
エクトル様の『賽』も何か驚くような力が隠されている事でしょう」
それが本当なら、この道化師を真っ先に倒してしまいたい。
しかし使い方までは教えてくれないようだ。
道化師はくるりと、バレリーナのような動きで背を向ける。
「さて、残りの二人もそろそろ眼を覚ましそうだ。わたくしはこれで失礼致します」
すると彼の体は、足下から光の粒子になって、闇に溶けるように消えた。
「近くまた会いにきます。その時は貴方達の記憶について教えてさし上げましょう」
最後にそんな言葉を残して。
★
道化師が去ってから10分程度だろうか。
私は手元に残った『賽』と呼ばれる道具を眺めていた。
羊飼いの指揮棒、と言ったか。
大層な装飾が施されてはいるが、使い方がわからなければ、所詮はただの棒切れである。
どうせ道具をくれるのであれば、リーチの長い槍や、拳銃などの近代兵器が欲しかった。
いや、彼の言う『数々の試練』が何を指すのかわからない以上、必ず武器が役に立つとも言えないが。
あれからずっと、羊飼いの指揮棒の使い方を試行錯誤しているが、未だに進展はない。
振ってみるが変化はなく、嗅いでみるが無臭で、曲げても、投げても、舐めても、何も起きなかった。
お手上げだった。
元々貴方の物。彼はそう言ったが、正直な所、今になって押し付けられた感じが半端ない。
チュートリアルがないなら、取り説くらい置いていってほしいものだ。
私はMr.ジ・エンドと名乗った奇妙な道化師の事を思い浮かべていた。
諸悪の根源とはいえ、あんな胡散臭い道化師でもいなくなると少し心細い。
他に思い浮かべる記憶もなかったので、彼の言葉からヒントを探すことにした。
とりあえずその場に腰を下ろす。
道化師は言った。私の姿と『賽』は私の心が作り出した物であると。
指揮棒に燕尾服、つまり指揮者としての礼装だ。
(そもそも何故指揮者なのだろうか)
おそらく失われた記憶に起因するのであろうが、無い物からは推測できない。
逆に所持品から私の素性を推測してみよう。
この姿が私の心を象徴しているのであれば、ここに来る前の私は指揮者だったのかもしれない。
あるいは、何かを指揮する立場にあり、それを象徴しているだけなのかもしれないが。
可能性を広げれば、指揮者に強く憧れているだけ、という線も考えられる。
(だとすれば、このアイテム(指揮棒)は何かに指示を出すための物、かな?)
指揮者は何をする?指示を出す。操作する。
何を操る?音?羊飼いの指揮棒なら牧羊犬という事もありえるか。
つまり犬がいないと発動できない能力とか?
ピーキー過ぎる、却下。
私の心が生み出したのだから、私が必要としている能力なはずだ。
私は何を操作したい?
……わからない。
自分が何を必要としているのかわからない。
記憶がない。
記憶がなければ心に問いかけることも出来ない。
「だーーーーーーー腹が立つ!」
わからない事が多すぎて頭がパンクしそうだ。
この棒切れは、本当に何かの力を秘めているのだろうか。
あの道化師が人を小馬鹿にするために寄越した小道具かもしれない。
だって何もできないじゃないか。
そもそも操作できるような物なんてこの空間に何ひとつない。
「とりゃ!!」
立ち上がると、溜まりに溜まった鬱憤を爆発させるように虚空を蹴った。
勢い余って靴が飛ぶ。
(……これは)
飛んでいく靴を見て、何となく思いついた事があった。
(これでダメだったら一先ずコレを使うのは諦めよう)
もう片足の靴から踵を出す。
爪先に靴が引っ掛かった状態から、高く蹴り上げる。
靴は山なりの放物線を描いて宙を舞い、落下を始めた。
その瞬間、羊飼いの指揮棒を靴に向かって振り下ろす。
靴は、宙に浮いたまま……落下運動を停止した。
(もしかして!?この羊飼いの指揮棒は——)
★
その後、様々な検証を繰り返し、『賽』の能力を大凡把握する事に成功した。
おそらく時間はそれほどかかってはいないだろう。
その能力は、指定した領域内に存在する万物の情報を凍結させる事。
能力の及ぶ範囲は、最大出力で一辺3mの立方体程度の空間が限界だった。
同時に展開できるのは3カ所までで、4カ所目を凍結すると古い順からロックが解除されるようだった。
時間停止能力、と言うには範囲が限定的過ぎるため、こう呼ぶことにした。
——『情報固定能力』と。