エピローグ1
事実は小説よりも奇なり。
こんな言葉がある。
果たしてそうだろうか?
漫画やゲームの世界の方が、絶対に不思議な出来事で満ちあふれている。
そう思っていた。
しかし、最近なにやら世間が騒がしい。
ネットやテレビでは連日立て続けに目撃されているウマ、違った。
『UMA』つまり未確認生命体の情報で騒がれているし、原理はさっぱりだが、空に黒いモヤが浮かび上がり、景色が歪む新種の自然現象が発生した、などという情報もニュースでよく見る。
『黒虹雲』と銘打たれたその現象を見た者は神隠しに遭う、なんて都市伝説まででてきた。
「しかも街では幼女を追いかけ回す黒い影の噂や、俺が大事にとっておいたベーグルを妹が勝手に食べてしまう事案が発生している。ああ嘆かわしい世の中」
「前者はただの変出者、後者はお前の血縁者だろ」
「嘆かわしいのは私よ、一緒に登校しようと迎えにきた幼なじみに開口一番愚痴ですか」
20XX年5月15日(月曜日)。
我が家の玄関を出ると学生服に身を包んだ二人の男女が立っていた。
俺はよく見知った二人のうち男の方に顔を向ける。
「……おはよ、軽薄」
「誰が軽薄だ、景咲だ!けーいーさーくっ」
チャラそうに見るが意外に義理人情に熱い男、宇留野景咲。一番仲のいい男友達だ。
俺は慣れたやり取りを流しその隣に立つポニーテールの少女に向き直った。
「ヒナ太郎も、おはよ」
「相変わらず普通に名前呼べないのね、でもおはよ」
剣崎ヒナタ。実家が道場の剣道娘。
名前の通り人好きのする日向のような笑顔が特徴でクラスのムードメーカーだ。 もっとも、今は少し不機嫌そうに口先を尖らせている。
「護のせいで最近クラスの友達にまでヒナ太郎って呼ばれるようになったんだけど」
「なるほど、今回の依頼はその護という男に痛い目を見てもらおう、と?」
「お前だよ、守一護。ってか何のキャラだよ」
そして俺は守一護。城下町北高校の二年生。
景咲とヒナタとは小学校からの付き合いで、家が近く同じ高校の同じクラスに所属しているため、今朝のように一緒に登校することが多い。
家から目的地までは近い。
くだらない会話をしながら歩いて15分もすれば学校に到着する。
一人で登校するには長く、三人で話しながら歩くには少し短い。そんな距離だ。
☆
「そんえば、今日は涙ちゃんは置いてっていいのか」
と言ったのは景咲。
通学路を歩き始めて5分くらいたった頃の事である。
守一涙は俺の妹だ。同じ学園の中等部に在籍しているため、一緒に通学する事もある。
だが兄のベーグルを勝手に食べる妹なぞ心底どうでもいい。
改行する頃には忘れているだろう。
さて何の話をしていたのか、そう、世の中の不思議についてだ。
この世界には俺が知らないだけで、見た事も聞いた事も無い驚くような出来事がたくさん転がっているのだろう。
しかし、守一護の知る世界は余りに狭い。
それは幼なじみと歩く通学路で、
それは無個性が量産されたような学園生活で、
それはチェーン店のドリンクバーの中に溶けていく放課後で、
UMAも、超常現象も、都市伝説も関係のないフラットな日常。
それもいいだろう。だけど、やっぱり、触れてみたいのだ。
見た事も聞いた事も無い、驚くような出来事に。
「———事実は小説よりも奇なり、か」
ふと、空を見上げる。暗く重い空だ。傘はない。
「どしたぁ護、空なんか見上げて」
「なぁ、景咲……あれ、西の空に浮かんでるの、もしかして黒虹雲じゃ」
「光化学スモッグだな」
「ぁ……うん」
そんなやり取りを見たヒナタは、俺の内心を見透かすようにクスクスと笑うのであった。
☆
学校に到着すると景咲は「んが、っべー」と壊れたプリンターのような奇声を発し走り出した。
ああ、景咲は日直だったっけか。
休み明けですっかり忘れていたが校内に入り思い出した、といった感じだ。
大した仕事ではない。一人でも片付く雑用だが、景咲の場合日直の相方が少し面倒だ。
委員長、恩田聖女
キラキラした名前だが俺が勝手にそう呼んでいる訳ではない。
命名されたのだ、親に。
しかも本人は至って普通の三つ編み黒髪眼鏡っ娘である。
完全に名前負け状態だ。
彼女の幼少期はまったくもってこれっぽっちも知らないが、さぞ名前で苦労した事だろう。
だって聖女と書いて『ジャンヌ』だ。からかわれないはずがない。
そんな心ない連中の誹謗中傷に真っ向から対峙してきた。
からかわれている者を見つければ人事とは思えず擁護した。
かくして彼女は正義感の強い硬派な人間となった。
図らずしも、ジャンヌダルクのような子に育ったのである。
ここまでが恩田聖女の、たった今、俺が勝手に考えた設定である。
妄想です。ごめんなさい。
つまり恩田聖女は規則にうるさい委員長キャラだから景咲そうな軽薄とは——
違った、軽薄そうに見える軽薄とは相性が悪いのだ。
ん?何か違う、まあいい。
ちなみにクラス替え初日の自己紹介で聖女と名乗ったが教師に訂正され、顔を真っ赤にして震えていた。
ちょっとかわいい所もある聖女ちゃんだった。
ヒナタとは昇降口で別れた。
「じゃ、あたしこっちだから」
「何処へ行くヒナ太郎!俺達は同じクラスじゃないか!!」
「くっ、トイレだ!言わせんな!!もうっ」
もちろん、わかってて聞いた。ヒナタもそれはわかっている。
誰にでも通じるジョークではないが、ヒナタなら別だ。
景咲とヒナタは俺が軽口で付き合える数少ない親友なのだ。
走り去るヒナタの背中に「いってら〜」と手を振り教室に向かった。
『2−4』の札が見える。
別名、特色クラスと呼ばれる教室のドアを潜った。
見知った何人かにあいさつをして窓側の後列に着席し一息つく。
くじで勝ち取った特等席からはクラスの全体が見渡せる。
シンプルな時計、朝のホームルームまであと10分。
空色の花瓶、チューリップが揺れている。
壁にかかった時間割表、月曜の1限目は現国だったか。
黒板の前では恩田聖女と宇留野景咲が授業で使う備品の準備をしている。
席についてすぐ机に顔を埋め寝ている奴もいる。
元気よく開いたドアからはヒナタが入ってきた。
挨拶もそこそこに女友達と会話の花を咲かせている。
楽しそうな笑い声を聞きながら窓の外を見た。
校門に向かって走っている生徒がいる。知っている顔もちらほら見える。
(おう、走れ走れ、ふはははは)
自分は余裕で着席している中、必死に走っている人を見るとちょっとした優越感に浸れるな。
おっといかんいかん、性格の悪い考え方だ。
見下ろすのではなく、見上げる人間になろう。
チャレンジ精神を忘れちゃダメだ。ビッグスターに、俺はなる!なんてね。
ふと……
視線を上げる。
灰色の空に、まるで黒いインクをこぼしたような染みが広がっていく。
いや、違う。
そんな優しい表現は許されない、もっと怖気の奔る漆黒が不規則にわらわらと蠢き広がっていく。
何だアレは。
見ているだけなのに、体中に無数の蟲が這い回るような不快感を感じる。
いつの間にか、瞬きを忘れて凝視していた。
瞬間だった。瞬きを思い出し、目蓋が閉じられ、そして開かれた刹那の間で。
窓から見える、街の、風景が——
反
転
し
た。
空に黒いモヤが浮かび上がり景色が歪む新種の自然現象が発見された。
『黒虹雲』と銘打たれたその現象を見た者は……どうなったのだったか。