太陽と砂漠の話 -砂漠の雨ー
ルゥロは宿屋の受付で退室届を出すと永遠のブルーローズを受付係に預けた。寝る前に透明の容器に水をたっぷり注ぎ、永遠のブルーローズを入れた。そこに外から見えないように布を被せておく。見た目より重量のある布に包まれた容器を受け取った受付係はピクリと眉が動く。客に悟られないようにか苦笑いしながら「いってらっしゃいませ」と言う。受付係の挨拶を受けながら(そんなにあれ、重かったか?)なんてことを考える。
深夜に干したものが乾くわけもなく、びしょ濡れの布を別の布でくるみ鞄に入れた。念のためと、セイテに渡された予備の布を纏い、外に出た。朝だというのにこの暑さだ。年中半袖で過ごせるルゥロとは無縁の温度に汗をかくのにそう時間はかからない。頭まで布を被ると向かう場所は一つ。ルゥロは暑さに耐えるために風をほのかに纏った。
ギリンの住む豪邸と呼ぶべき家までそう時間はかからなかった。お蔭で日差しに負ける前に豪邸に着くことが出来た。入り口には門番が二人いたが、ルゥロが無言でそこを通っても何も言わなかった。ギリンから命令が言っているのだろう。それにしても、とルゥロは思う。彼女の身分が一体どうなっているのか気になった。もちろん、普通ではない力のことも気になるが召使やさっきの門番といった存在にどうも驚いているらしい。相当身分が高いのか、それともただの趣味なのか、迷うところは多々あったが特にしないことにした。余談だが、この世界に王族はルゥロたちしかいない。
豪邸はその名の通り、派手であった。壁の装飾から絨毯から、入ってすぐなんて砂を落とすために豪華な布と風の特性を持つ使用人がいた。
案内する使用人はいないのか、ルゥロは勝手に豪邸の中を歩き回った。ギリンの部屋はどこだろうかとたまたま居合わせた使用人に聞こうとして気が付いた。彼の後ろにあからさまにわかる扉があった。そのわかりやすさに引き気味になりながらも扉を二・三回ノックする。
「ギリンさん、ルゥロです。話がありまして来ました」
「入れ」と短く聞こえた。ルゥロは言われるまま扉を押し開き、入室した。彼女は何冊も積み上げた本の後ろにいた。太陽の光も豪邸の中では無力だ。
「調べ物は終わったのか?」
「はい、それでギリンさんに聞きたいことがあります」
ルゥロが話を進めていると小さく笑い声が聞こえた。
視線を反らしていたルゥロは気になってギリンを見ると、彼女は笑いを堪えているようだった。「どうしたんです?」
「いやあな、ルゥロは目上にちゃんと敬語を使えるんだな。その身なりと身分からしてすごい差が…」
語尾なんて笑い声で消え去ってしまっていた。「よく言われます」もう慣れたと言わんばかりに小首を傾げる。
「…すまん、それで聞きたいことというのは?」
「単調直入に言います。この大オアシスを作っているのは貴女ですよね。遺跡に行って、確信しました。巨大な力を貴方はお持ちになっています」
真面目な表情が彼女の顔に張り付いた。重い空気が沈黙を呼ぶ。けれどそれはそう長くは持たなかった。ギリンの冷たい声が重複して聞こえた気がした。
「見たのか」
何を、とは聞かなくてもわかる。
「見てはいません」
「……」
また沈黙が訪れた。今度はそれをルゥロが破る。
「感じました、ここに入った時から感じた違和感の正体を遺跡で。きっと、それ相応の場所に行けば力の源があるのでしょう」
そうですよね、と言わなくても伝わっていたはずだ。ギリンはしてやられたと言わんばかりの溜息をつく。
「天下の王子様はお見通しなわけだ。そうだよ、この大オアシスは私が作ったのだ。元々遺跡が奥底に沈むほどのオアシスをここまでした。それで? それがどうしたのだ」
「他にもこの大オアシスのようなものを作ろうと思っていますか?」
意外なことだったのかギリンは軽く目を見開いた。そんな彼女の様子を視界に収めながら返答を待つ。
「そんなことはこれぽっちも考えていないな。あたしはこの大オアシスで十分満足している」
「それはよかったです。これ以上作られたら自然の均衡が保てなくなる。ただでさえ、砂漠がこの世界の三分の二も占めているんです。自然の均衡を破られては生きていけなくなるので安心しました」
言葉の通り、ルゥロは安堵の色を浮かべた。砂漠が三分の二を占めているだけでも問題なのに、砂漠に大オアシスが発生するという異常を見逃すことは出来ない。真剣な面持ちのまま、彼女は言った。
「確かにな、この砂漠だけでも異常だというのにその砂漠に大オアシスがあるのはより異常だ。言われなくとも、作りはしない。だが、このことは秘密にしてもらえるか?」
「このこと、とは」
「私の力のことだ。皮肉にもあんたはわかっているんだろ? この力の正体を。この力は金に目のくらんだ輩のいい金づるだ。」
「わかっています。このことは決して誰にも言いません。例え、家族にも」
「いい覚悟をしている」と彼女は言った。ギリンは緊張していたのか大きく息を吐くと椅子に腰を下ろした。余程心配していのだろう、昨日会ったときとは違う雰囲気が出ていることに気付いた。
「ところで、用は済んだのか?」
「はい、これから城に帰ろうと思います」
永遠のブルーローズは宿屋に預けていると伝える。また関門までの砂漠渡りが始まる。永遠のブルーローズは配達してもらおうかと悩んでいるところだった。そうだ、帰る前に手土産でも買って帰ろう。
一礼し、部屋から出ようと振り返ると「そう言えば」とギリンが思い出したように言った。
「先日、面白い話を聞いたんだが気になるか?」
何かあるのかと彼女のほうをみるとそんなことを言う。用があるから話しかけたんじゃないのかと内心呆れながら先を促してみると一人の少女の話が出てきた。
「この大オアシスは浮浪者や旅人がよく訪れるだろ? 街に出たとき、一人の浮浪者が人を集めてこんな話をしていた。「こんな異常事態を招いているのは一人の"不幸者"のせいだよ、みんな知ってる?」 気になって人だかりの後ろから聞いていたんだが、そいつの言っていたのがこの砂漠のことだ。異常を作り出した人間がいるのだと。耳を疑った私は話のあと、そいつに迫った、一体誰だ? 浮浪者は怖気づくどころが笑いながらこう言ったさ」
彼女の口から次の言葉が出るのを待った。
「"自らの手で弟を失った少女"」
「少女?」
「そうさ、この異常な砂漠を作り上げ、数えきれないほどの人間を殺めたのが当時十にも満たない少女なんだと。あたしは思わず笑った。どんな理由があろうともその子のせいであたしの家族は死んだ。ルゥロもよく知っている、砂漠ができたあとに起こった『餓死殺人』。餓死から逃れるために人を襲い、殺した憎んでも憎み切れないあの事件」
ルゥロは唇をかみしめた。ルゥロは当時のことを鮮明に覚えている。もう七年も前の話だ。突然砂漠と化した大陸に人々はどうすることも出来なかった。ルゥロの母、アテナが執った対策で何とか落ち着いたがひどいものだった。餓死する人、餓死しないために人を襲う人、実に様々な人間がそこに存在していた。目の当てられない状況だった。砂漠化を免れた土地は避難民を迎えるにはあまりにも小さすぎた。城に人が押し掛ける日々にアテナもゼウスもやつれていった。死んだ人など数えきれない。国のことを意識し始めたルゥロにとってもひどく心に残るものとなった。
あんな悲劇をもう起こしてはいけない。友人たちとこの砂漠を何とかしようと奔走して七年。やっと今、その手掛かりを捕まえた。
「おかしな奴だったから本当かどうかわからないが、どうする?」
「その少女に会いに行きます」
「言うと思ったよ。少女は幸いにも砂漠化を免れたアルバ村に住んでいるが、今は国立ユスティティア学園の寮に住んでいるようだ」
「ありがとうございます」早口で言うと踵を返して出て行った。一人残された部屋でギリンはルゥロが出て行った扉を見つめた。
「未来の王に幸運のあらんことを」
※豆知識
アルバ村
ウースタインの北に位置する砂漠化を免れた村。戦闘能力の高い種族が住処としている。