ゲームの世界へ06
グニャリと空間が歪む音を聞いた気がした。
しかして水月は流されるままに身を委ね、暗黒にして漆黒の空間に落ちていくのだった。
落下が止まると水月は地に足をつける。
「地面はあるみたいだな」
そう言って爪先で地面を蹴る。
ただし地面も天空も漆黒で地平線は見えず、真っ暗な空間であることは否定しようもない事実だったが。
変化は急激だった。
暗黒の空間は光に照らされ純白の空間へとその在り様を変える。
真っ白にして真っ新な空間となった。
そして、
「…………」
警戒する水月の視界に「ザ・ワールド・イズ・マイ・ソング」という綴りが出た後、ローブを羽織った謎の人物が現れた。
謎の人物という表現は如何なものだったが、それが水月の率直な意見だった。
オカルトかぶれの人間がいかにも好みそうな……全身をローブで隠した魔法使いのような人物像である。
表情どころか顔もローブに隠されて感情を読み取ることさえできない。
しかし謎の人物に水月は敵意を感じなかった。
ここは既に異世界……ゲームの中だと知っている。
故に恐れる必要もない。
そして謎の人物が声を発した。
「ようこそ。ザ・ワールド・イズ・マイ・ソングの世界へ」
案外好意的な言葉だった。
「どうも」
と水月は真っ白な空間の中で視界に映るザ・ワールド・イズ・マイ・ソングのタイトルと謎の人物を眺めやりながらペコリと頭を下げる。
「信じられないかもしれないが今貴君はゲームの世界に取り込まれている」
「把握してるぞ」
「…………」
謎の人物の声が止まった。
そして言う。
「では留意点を二つだけ話す」
「どうぞ」
水月はどこまでも怯まない。
「一つ。『メニュー』と唱えればメニューのイメージコンソールを呼び出すことができる」
しばし思案した後、
「メニュー」
と声を出してみる。
同時に水月の視界にイメージによるコンソールが浮かんだ。
装備や技術やステータスや指南項目などを示すコンソールが現れたのである。
「そのコンソールは貴君の視界にしか映ってはいない。故に他人に見られることもない。そして貴君自身の手で触れ操作することもできる」
そんな謎の人物の声の通りに試してみる水月。
ステータスの画面を指で操作して開いてみる。
レベル1のステータスがそこにはあった。
ステータスそのものは単純だった。
ヒットポイントとマジックパワー……それから直接攻撃力に直接防御力に魔法攻撃力に魔法防御力……それだけだ。
スピードやラックは無いのか、と水月は思ったが無いものねだりをしてもしょうがないと言葉にはしなかった。
「それからもう一つ」
謎の人物は言葉を続ける。
「ファイヤーと口にすれば炎が生まれる」
「……?」
わけがわからず首を傾げる水月。
謎の人物の言葉の意味を噛みしめた後、
「ファイヤー」
と言葉を発する。
同時に水月の手の先に炎が生まれた。
「魔法……じゃない……魔術か?」
「然り」
謎の人物は頷く。
「ただし攻撃のための魔法ではない」
そもそも基準世界に則るならば魔法という言葉の使い方が間違っているのだが水月はあえて訂正しようとは思わなかった。
「ファイヤーは火をつけてモンスターから得られる肉を焼くための魔法だ」
「もっと詳しく」
「つまり調理のための魔法である」
「つまりこのゲームには食事が存在すると?」
「然り」
迷うことなく謎の人物は頷く。
そして謎の人物は水月に最後の言葉を投げかける
「以降の疑問はメニューの指南に乗っている。それを読むがよい。では幸運を祈る」
そうやってチュートリアルは終わるのだった。
まるでかすみがかったように……朝の光に溶ける霧のように謎の人物はうっすらと存在濃度を薄くするのだった。
「メニューにファイヤーね」
水月は確認するように言葉にする。
「少なくとも食事は出来るってことか」
そう呟くと、
「その通りだよ」
存在を徐々に希薄にさせている謎の人物が答えた。
「いいからお前はもう消えろよ」
そっけない水月。
「貴君の幸運を祈っている」
「はいはい」
ざっくばらんに首肯してやる。
「チュートリアルご苦労様」
「…………」
無言で謎の人物は消え去った。
そしてまた、
「…………」
水月は空間の転移を体験した。
グニャリと視界と空間とが歪む。
「次はどうなるんだ?」
チュートリアルは終わった。
なら次はどうなるか。
疑問を提議すると同時に水月にはわかっていた。
本格的にゲームの世界に混じるのだ。
水月が次の立った場所は真っ黒な空間でも真っ白な空間でもなく牧歌的な安穏さを持つ村の中心だった。




