壱引く壱は零じゃない06
「くくく……星がざわついているな」
少し離れた小路でのこと。
クノッヘンは一人、血の臭いに酔っていた。
「異教徒……ヘルムート=クノッヘンで合っているか?」
「くくくくく……」
クノッヘンは答えない。
だがどちらかと云えば相手にしていないが正しいだろう。
イタリア風のスーツにどこかひょろっとした体形。
そこに威力は感じられない。
「教義によって介入する」
「くくくくく……」
忍び笑いは崩れない。
「警告はしたぞ」
結界は張られていない。
人目が無いので検閲の必要がないのだ。
ジャキッと両手の指に仮想聖釘を補填する使徒。
「くくくくく……舐められた物だな。この我を前にして怯え逃げずとは」
「魔法メジャーのエージェント。何をしに来た。ローマの膝元へ」
「魔法遺産の適切な管理だよ君。何より経済の信用問題になるからね」
魔法メジャーのエージェントにして、遺産管理を請け負う魔法使い。
既に語るも、それがクノッヘンだ。
そしてこの場合は人材ももれなく遺産に入る。
リフレクトは、魔法メジャーが規定を破っても回収したい遺産であった。
「なに。ミッションを達成すれば去るよ」
「この世から去れ」
使徒の論理は徳が存在しえなかった。
容赦なく聖釘が放たれる。
キィンと清澄な音が響く。
高硬度な物体に同じ硬度の物体がぶつけられる音。
「何時の時代も変わらないね。そんなだから後れを取る」
クノッヘンは素手で聖釘を払い落としていた。
弾速の度合いは計算に入らないらしい。
殆ど反射で払いのけていた。
よく見れば手の平が白く染まっている。
「エージェント……クノッヘン……」
その威力を、把握していない。
キィン、ガキィン、と放たれた釘が払い落とされる。
人の皮膚では有り得ない。
では何か……という話になるのだが。
コツコツと革靴のタイルを踏みつける音。
歩く様な気安さで、小路の敵に歩み寄る彼。
「――――――――」
マジックトリガーを引く。
聖釘が生まれ、放たれ、弾かれる。
「さて我は何をしているだろう?」
嘲る様な笑み。
この場合は余裕の表れだ。
「――――――――」
今度はナイフ……十字架を使徒は構えた。
「くくく……。やる気かね?」
眉を跳ねさせて、上から目線。
付き合ってやると言わんばかりだ。
「喝!」
使徒が加速した。
単純な身体強化によるものだ。
この辺の身も蓋も無さが魔術師の天敵と言われるが所以だろう。
その上を自然に行く布都忍が「何なるや?」との話なだけで。
十字架は斬撃の弧を描いた。
水平に。
打ち払うクノッヘンの手に傷は無い。
不自然に白い庇護膜があった。
それがなんなのか……分からぬ内に、掌底が放たれる。
波紋にも似た衝撃。
水分で出来た身体を浸透する。
ついでに手の平から物質が切っ先鋭く飛び出した。
それは礼服に阻まれて、単純な当て打ちで吹っ飛ばすに留まる。
「骨法が一。虎爪衝命破」
彼の手の平から、骨が突き出ていた。
手の平からパイルバンカーのシステムで飛び出した骨が、礼装を貫けず、押し遣る様に使徒を吹っ飛ばす。
「竜鱗破山剣」
そのまま骨が形状を変えると、それは一本の剣になる。
竜鱗破山剣。
骨で出来た超硬度な剣である。
聖術師。
アークの『骨』にリンクしたインタフェース。
それがクノッヘンだった。
「くくく。我が骨法に負ける道理無し」
とは言えども例外には属さない魔法なので、普通に礼装の適応範囲だが。
竜鱗破山剣はサクリと小路の壁に爪痕を残す。
殆ど抵抗もなくレンガを切り裂く様は、あまりにかけ離れた斬撃性を想起させる。
実際斬鉄剣どころの騒ぎではない。
鋭利に研がれた刃は、それだけで打たれた鋼鉄すら物ともしないだろう。
「くくく……ああ……我が骨が疼く……。この竜鱗破山剣は血を欲す……っ」
突発的に瞬発力を叩き出す。
反応は迎撃と同時。
振り下ろされた破山剣を使徒が片手で受け止め、逆手で握った十字架がクノッヘンを襲う。
そちらは庇護膜となった骨が皮一枚で防いでいた。
「くくく……くけけけけけっ!」
まるで互角の戦い。
骨刀と礼装が膠着状態を演出している。
「雀羽」
呟いたのはクノッヘン。
彼の呟きに呼応して、背中の骨が飛び出す。
まるで「収納されていた」と表現できる展開。
骨で出来た翼の構造が広がる。
羽根も飛膜もないので翼としては機能しないも、刺々しい見た目は魔王すらたじろがせるだろう。
サクサクと小路に広がった骨の翼は民家の壁を切り裂く。
それが暴れ出せばどれほどの被害が出るか。
単純計算でも破滅は論じうるだろう。
「くかか! くけけけっ! 雀羽乱翼殺!」
翼の構造をしていた骨が、まるで慣性の法則を無視する様に軌道を変えた。
弾丸の如き速度で射出され、散弾を撃ち放ったが様に周囲を凌辱する。
当然粉塵が舞い、小路は崩れ、耳目を集める。
「此処までか……くくく……ローマも存外……だらしない……」
挑発としても行きすぎていた。
「――――――――」
カッとなる使徒。
けれどもその爪届かず。
互いに距離を開ける。
結界を張っていない現状では衆人環視は強力な建前だ。
魔法を使わない。
使えない。
そんな理屈。
警察も動いたが、ショットガンで散弾でもばらまいたのかとの痕跡に頭を抱えるばかり。
「ふむ」
しばし思案げなクノッヘン。
「くくく……我が捉えられているにしてはお粗末……舐められた物だ」
骨兵とでも呼ぶべき悪鬼羅刹は、此度に限ってはもう動かなかった。
魔法メジャーそのものが魔法の発展に注力している現状、どうしてもリフレクトは必要だ。
その如何をクノッヘンは知らないが、ローマに譲る気はサラサラなかった。
「サラリーマンのしがない性だな……くくく……」
エージェントなんてのは小間使いだ、と自嘲はしていた。
というか、そんな仕事に身をやつす魔法使いかっけー的な意味合いもあった。
「面白そうなのは……ヴェルミチェッリと布都か。直感だが……我が第六感が叫んでいる……夜のローマは一体どう啼くかな……」
くくくくく……と忍び笑いを残響させて夜の小路に身を染めるクノッヘン。
使徒と警察の連携でも包囲網に引っかからなかった。
というか信徒とのいざこざなぞ彼にしてみれば慣れた物。
新約旧約の違いはあれど、聖書という意味で合一している。
そんな教義に後れを取るとは一切思っていない彼だった。




