壱引く壱は零じゃない03
「自己言及のパラドクス?」
「そう。矛盾だ」
ガラスの部屋の中で、アールは頷いた。
「例えば『この文章は嘘である』という既述があるとする。であれば文章は嘘だろうか?」
「嘘じゃない……の?」
灰色の瞳を困惑に揺らす。
「であれば嘘であることが嘘であるから、この文章は真だね」
「あう……じゃあ真なの?」
「そしたらつまり文章は嘘であることが真なのだから、この文章は嘘になる」
「にゃむ……難しいよ」
「然程でもないよ。どちらにせよ矛盾が生じるということさ。要するに」
アールは肩をすくめた。
「聖書では、クレタ人の預言者が『クレタ人はいつも嘘つき』との記述もある。つまりクレタ人が嘘つきならクレタ人の予言者も嘘ついているわけで、クレタ人は嘘つきじゃないという矛盾の生産。クレタ人が正直者ならばクレタ人の予言者も正直者であるはずなのに、嘘の言葉を残している。とまぁそんなわけだよ」
「うぅぅうぅ?」
「自分を含め否定するとややこしいことになるって話だね」
「わからないでは……ないけど」
「禅問答とでも思えば良いよ」
実際にそんな側面は有る。
「これを簡潔に応用すると『僕は今嘘をついている』と言うことで矛盾が生じるわけだ」
「にゃるほど」
「ワニのパラドクスっていうのもあるね」
「にゃあ?」
アールがクスッと笑う。
「ワニが子どもを食い殺そうとする。穏やかじゃないけどね」
「物騒だね?」
「で、ワニが母親に『自分の行動を予測……正答すれば子ども食わない』と提案する」
「足下見られてない?」
「で、母親がこう言うわけだよ」
――貴方は我が子を食うでしょう。
「そんな感じでね。当たり前と言えば当たり前。今から食おうとしているんだから」
「めでたしめでたし………………じゃないね」
「パラドクスだしね」
アールの苦笑。
「どうなると思う?」
「ワニが子どもを食う気なら……正答したことになって子どもを食べられない……よね……?」
「食う気が万が一無かったら?」
「正答じゃないから食ってもいい。あれ? でもそうすると食っても良い事になるけど食おうとすると正答することになって……あうぅぅ……?」
「あまり難しく考えることでもないんだけど。単なるパズルの様な物だよ」
「自己言及のパラドクス……」
「矛盾なんて結構簡単に生み出せるって教訓だね。教訓じゃないけども」
ガラスの中でクスクスと笑っている。
アールの少年めいた笑顔は、何故かナマリには眩しく映る。
ただそれだけでお日様の暖かさを知れる様な。
「他にもあるの?」
「自己言及を用いない意味でなら郵便はがきのパラドクスもあるね」
「郵便はがき……」
「はがき……というかカードで良いね。見たことくらい在るだろう?」
「ちょこっと」
「この表に『このはがきの反対側に書かれた文章は真である』って書かれていて、裏には『このはがきの反対側に書かれた文章は偽である』と書かれているとする。これは自己言及じゃないけど矛盾を生じるんだよ」
「にゃんで?」
「冷静に考えれば分かるよ」
「えと。表が真なら、裏も真となる。裏が真なら表は偽で……なるほど。真であるはずなのに偽となる……でいいのかにゃ?」
「正答正答」
パチパチとアールは褒めそやした。
「仮に表が偽なら?」
「裏の文章は偽になって、ああ、なるほど。つまり裏が偽なら表は真になるのかな~?」
「正答正答」
また拍手。
「うーん。言葉って難しい」
「あまり有意義な意味もないけどね」
「アールは何処で知ってるの?」
「元からこの程度は」
――ホムンクルスだしね。
そう付け加える。
「凄いんだね」
「あまり意味は無いけどね」
そこは言論せざるを得ない。
ガラスケースの中から出られないなら、どんな知識も空想だ。
「でも凄いよ」
「お褒め与り恐悦至極」
「外には出られないの?」
「どうだろうね? 今後次第じゃないかな? 僕はマテリアだし」
「まてりあ?」
「何でもないよ。別段、話して面白いことでもないし」
「そなんだ」
「なんです」
苦笑を浮かべるアール。
ナマリも朗らかには笑えなかった。
魔法陣と円筒のガラス。
ソコはソレで手一杯だ。
「そういうナマリはヒマなのかな?」
「どうだろ? あまりアールに会いに行けないし」
「だから会える時間が希少と言うことさ」
「ポエミーだね」
「ロマンを語るのが僕の仕事だからね」
いけしゃあしゃあと嘘を述べ奉る。
「教会協会が逸らなければいいけど……」
「きょうかいきょうかい?」
「ちょっとした一元化だよ。思想のね」
「一元化……」
「結局誰も自分のフラスコ……頸木からは逃れられないってことで一つ」
だからこそ人は知識を求めるのかも知れず。
故に自分は生まれたのではないか。
そんなことを思ってしまうアールだった。
「アールも?」
「僕も……君もだよ」
「ふわぇうゅぅ……」
パラドクスに気が滅入っているらしい。
プシューと頭から湯気が立ちのぼる。
ナマリはいっぱいいっぱいらしい。
灰色の瞳がグルグルと回っている。
「難しい話ではなかったはずだけど……」
「うん。理解はした。けれどそんなことを考えるとプシューってなる」
「それもナマリだね」
「えへへ……」
灰色に喜色が乗った。




