第二エピローグ35
儀式の調整を議論し合い、幾つかの修正を加えた上で水月たちはセントラルタワーの屋上に来ていた。
ここでならイクスカレッジを一望できる。
なお都合も良い。
基本的に新古典思想である五大元素に対応する形で立てられたセントラルタワーである。
五つあるのなら五行にも応用が利く。
なお東西南北中央と配置してあるのも有利不利で云うならば有利だ。
セントラルタワーの中央棟の屋上にはコンスタン教授を含めた水月たち。
ことここまで来れば誰に止めることも不可能だろう。
屋上の風は涼やかで、春らしい陽気さと清涼さの矛盾を含んでいた。
カレンダーを新しくするに際してラーラが問うたことがある。
「ビッグバンを起こす前にビッグクランチを起こす必要があるんですか?」
水月の中の重力特異点は無尽蔵のエネルギーを生産する。
量子の幾何級数的発生……その実態だ。
であれば、
「別段世界を再構築するだけなら水月一人で事足りるのでは無いか?」
と。
至極その通りではある。
故に水月の返答も真っ当だった。
「基本的に世界創造は暗黒から始まるんだ」
世界創造神話。
現代魔術に於いては古典魔術の正当性を否定するナツァカパラドックスの一因だが、魔術師がパワーイメージを依り代とする以上、必要な概念でもある。
残念ながら修験道には存在しないため、水月としては現代論に奔るしかない。
「実は混沌の方が多いんだが……インテリジェントデザインなら初期設定で無から有を作った方が良いだろ。魔法もそれに習うしな」
何も無いところから有を作り出すのが魔法である。
禁術にしろ無の象徴ではあっても、あくまで有があってこそ引き算となるのだ。
仮に完全なる虚無から反量子を生成できるなら、量子宇宙と対を為す反量子宇宙の構築を執り行え、結果として有意義には違いない。
魔力と反魔力……量子と反量子はあくまでカードの表と裏に過ぎず、反量子宇宙では量子が逆に虚無の象徴となってしまう。
閑話休題。
「あれ? そうすると本当に天動説に?」
水月が重力特異点を解放してビッグバンを起こすなら、宇宙の中心座標は確かに水月の居場所とイコールで結べる。尤も、コレに関しては正確ではなかった。
「水面と波を思い浮かべるのが妥当だな」
水月はそう云った。
例えとしてはあまり適当ではない。
波はあくまで水あってこそ概念であるからだ。
とはいえ、ビッグバンを呼び水に宇宙という波紋が広がるという意味では理解の助け程度にはなる。
「要するに凪の水面に一石投じる。そこから生まれる波が宇宙として広がる。結果として波紋のように広がる宇宙の隅に地球が生まれ人類が繁栄した。俺がやろうとしていることは、その宇宙座標の水面に一石を投じる儀式だ」
波紋の広がりを宇宙の広がりと例えるなら、水月の言葉は落第点では無いだろう。
単に赤点スレスレなだけであって。
波紋と称するのが理解の助けにはなっても、本質は別だ。
超超超光速による宇宙の再現。
在る意味で光速どころか超光速すら生ぬるい宇宙の端から端を端的に再現する異常とも取れる世界運営。
そのために既に広がっている波を凪の状況に戻すというのだから畏れ入るが。
水月は屋上で背伸びした。
「ま、もったいぶってもしゃーないから始めるか」
「だねー」
アンネが言った。
スイッチ……要するに切り替わり。
「君もまた大胆なことを考える」
アッパラパーの瞳が、理性と知性とを宿した。
アンネマリー……そのアンネからマリーにスイッチしたのだ。
「話は聞いてたろう?」
「アンネの内でね。それで? 僕を説得しなくてよかったのかい? ここで僕が拒否すれば水泡に帰すが?」
「理解が得られることには大して疑ってねーよ」
「信頼……というには物騒な感情だね」
マリーの瞳は見定めるような視線を放っていた。
「だってお前が拒否って儀式がおじゃんになるなら俺は第二魔王と誹謗されずに済んでいるしな」
「道理だ」
マリーは苦笑した。
「もったいぶってもしょうがないことには同意だ。さっくり宇宙を破滅させよう」
特に理性が正義感に繋がることもないらしい。
宇宙の破滅に於いて躊躇いを感じない辺りはカイザーガットマンの懐の深さ故であろうか。
「一つ。約束してくれ。いや、結果が決まっていることに疑いは無いのだが……」
要するにマリーが強要する約束事を水月が言葉の上ではイエスと云わざるを得ないため(そうでなければ宇宙の破滅に繋がらない)確認と云うには決定的である。
「聞くだけ聞こう」
「再構築した世界でもよろしく」
「お前とならな」
本質的に何が言いたいか?
それを十二分に汲み取っての水月の返答だった。
「――SicutEratInPrincipio――」
始めに在りし如く。
かくあれかし。
天が消え、世界が闇に覆われる。
陽光も……あるいは星々の明滅も……この時点に於いて虚無の前には無力だった。
引き算と云うにはあまりに引きすぎる計算である。
太陽光すら無くなり、地球と……その周囲の空間を残して宇宙が消える。
あまりにもあっさりとした……それは宇宙の終焉。
演奏者が変わる。
次にタクトをとるのは水月だ。
「――木花開耶――」
暗黒故に水月にしか分かりようもないがセントラルタワーの東棟の屋上に花吹雪が具現した。
続ける。
「――迦楼羅焔――」
今度は南棟に炎が生まれた。
まったき闇の中において赤子の膂力ではあるが、たしかに照らす火の光。
「――千引之岩――」
中央棟に魔術障壁が展開される。
空間があるが故の空間隔絶。
「――前鬼戦斧――」
西棟に風の斬撃が颶風となって具現する。
嵐にも似た丁々発止が西棟の屋上で維持される。
「――後鬼霊水――」
北棟に水が流水となって具現した。
運動を損なわず、まるで蛇や龍のように荒れ狂う。
五行相剋。
陰陽道……引いては修験道に於いて世界を成り立たせる五つの気。
宇宙を解する古びた方程式。
だが魔術師とは、そんな手前勝手な理屈で宇宙を改竄する。
何も水月に限った話でもない。
五つの魔術を並列して維持するという……脳みその具合が心配になる絶技を見せておきながら……なお水月はさらに魔術を並列させる。
「――前鬼戦斧――」
介錯。
ラーラの細首が断じられた。
そしてその体内に収まっている聖杯を取り出すと、中央棟に展開した魔術障壁……千引之岩に恭しく捧げた。
先にも言った通りだ。
人の子宮が小宇宙を生むのなら……神の聖杯は大宇宙を生む。
あらゆる物を犠牲にしてきた。
あらゆる者を踏み躙ってきた。
が、規模の如何さえ問わないのなら……それは人の性だろう。
宇宙の運営より……太陽の暖かみより……人の優しさより……水月にとっての宇宙の運営であり……太陽の暖かみであり……人の優しさに敵う概念が存在する。
「光無き世界」
という意味ではマリーの禁術による宇宙の消滅の前後に於いて実のところ大差は無い。
故に光を得るために水月は謳った。
「――現世よ。示現せよ――」




