第一エピローグ04
「…………」
「…………」
二人の間に、妙な沈黙の帳が落ちた。
水月は、これ幸いにと、コーヒーを味わいながら、静寂を楽しむ。
甘味処ロマンスのテラス席は、歩道に面して造られており、多くの通行人を眺めることができるようになっている。
その歩道を挟んで、対面に、ダアト図書館がそびえていた。
(立地も内装も眺めも申し分なし……。いいところを教えてもらったな……)
口には出さずラーラに感謝し、道行くイクスカレッジの学生や研究者達を眺めて、コーヒーを飲む水月。
そんな水月の視界に、一人の少女が映った。
(なんだ……?)
喫茶店のテラスから見える範囲の歩道を、息も切れ切れに走る女の子だ。
身長は、百四十センチ前後だろう。
かなり幼い。
褐色の肌に白いロングヘアーで、顔立ちは人形細工のように丁寧に作られており、大きな瞳と可愛らしい小鼻が、少女の愛らしさに花を添えていた。
しかし服装は見るも無残なボロ布で、「もったいないな」と水月は不埒なことを考えて、「それどころではない」とその思考を捨てる。
本当に、それどころではなかった。
必死に走る少女の瞳には、はっきりと焦燥と恐怖が見て取れた。
まるで、恐ろしい何者かに、襲われてでもいるかのようだ。
水月は、空を見る。
天気は快晴。
道行く人達の表情に、不安は無く、今日もイクスカレッジは平和。
地平らかに天成る、と言ったところだ。
だというのに、少女の逃げ走る態度は、必死さにあふれ、その表情は、嘆くように崩れている。
少女だけが、平和な情景から切り離されたかのような違和感があった。
少女は、その必死さのまま、甘味処ロマンスのテラスの柵を乗り越えて、キョロキョロと周りを見渡し、それから水月と目が合うと、水月に向かって走り寄ってきた。
少女が、水月のジャケットの袖を引っ張って……言う。
「助けてくださいー!」
「嫌」
少女が、驚愕に、口をパクパクさせた。
「えーとー……えー……?」
「今ティータイム中だから無理」
心からそう言って、水月は、ケーキを一口。
少女は焦ったように――事実焦っているのだろう――水月のジャケットを、引っ張りたおす。
「そんなこと言ってる場合じゃないんですよー! 薄幸で可憐な美少女の身に大きな問題がふりかかってるんですー!」
「保安の問題なら警察を頼れ。金回りの問題なら弁護士を頼れ。健康の問題なら医者を頼れ。社会の問題ならテロリストを頼れ。適材適所。馬は馬方。芸は道によって賢し、ってな」
「私の身が危ないんですー!」
「なら警察だ。携帯電話を貸してやろう。たしか……イクスカレッジの警察の緊急通報用電話番号は……」
「社会機構が何をしてくれるっていうんですかー!」
「納税者の安全を守ってくれるぞ? ちゃんと税金納めてるか? 納めてないんなら、しょうがないと思って諦めるか、犬に噛まれたと思って諦めるか、悪い男に引っかかったと思って諦めろ」
「最終的に全部諦めてるじゃないですかー!」
「そうですね」
淡白に答える水月。
ラーラが、おずおずと言った様子で、水月に提案する。
「あの、水月先輩……せめて話だけでも聞いてあげれば……」
「やだよ。どうせマフィアの家を狙ってピンポンダッシュかなんかしたんだろ? 巻き込まれるだけ損だぜ」
「イクスカレッジにマフィアはいませんよ……」
ラーラがそう呟き、
「水月とかいう人ー! 恐い人に追われてるんですー!」
少女が、そう嘆いた。
水月は、納得したように、一つ頷いた。
「ほら、やっぱり警察の問題だ。いいか、強姦されたらちゃんと告訴するんだぞ。親告罪の場合があるからな」
「シャレになってないからー! なってないからー!」
水月は、泣きそうな声で、そう喚く少女を「どうしたものか」と客観的に認識し、とりあえずコーヒーをすすった。
少女とのやりとりのせいで、すっかり集めてしまったテラス席の客の注目に辟易していると、視界の端にとある人影が映った。
それは、若い青年だった。
髪を染め、服を着崩し、
「私はチンピラです」
と訴えているかのような格好をした青年が、先ほどの少女と同じように、甘味処ロマンスのテラスの柵を乗り越えて、それから凶悪そうな目つきで、少女をにらんだ。
「手間ぁかけさせやがって……」
件の「恐い人」なのだろう……チンピラは息を切らしたような呼吸で、そう呟くと、一歩だけ少女へと近づいた。
「ひっ……!」
少女も倣って、一歩下がる。
少女の表情に、張り付いているのは、怯えだ。
少女は、水月を盾にするかのように、その背後へとまわった。
「助けて正義の味方ミヅキングー。少女の笑顔を取り戻せー」
「勝手言いやがる……」
犬歯を光らせて、少女を威嚇する水月を置いてけぼりに、
「もう逃がさんぜクソガキ……」
チンピラが、舞台を進行させる。
水月は、深く深く溜息をついてから、チンピラをビシッとフォークで指した。
「おいキツネ君。お前もいい加減にしろ。盛り上がってるとこ悪いんだがヒーローショーなら他所でやれ」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が降りた。
ラーラと少女とチンピラと、それから状況を見守っていた第三者も、唖然として水月を見た。
「あ……?」
チンピラが、こめかみに血管を浮かべて、水月を睨む。
「今なんつったテメェ?」
「おいキツネ君。お前もいい加減にしろ。盛り上がってるとこ悪いんだがヒーローショーなら他所でやれ」
言葉の確認をとったチンピラに、一字一句間違いなく繰り返してやる水月。
チンピラの怒気が、さらに深くなる。
「誰が……キツネだと?」
「あまいブドウをすっぱいと言ったところで、お前が魔術師になれる道理かい、キツネ君?」
イクスカレッジにおいてキツネとは、魔術師になることを諦め、素行不良にはしった者を指す、スラングだ。
「別に俺がとやかく言う筋合いはありゃせんが……せめて巻き込むな。つまり、盛り上がってるとこ悪いんだがヒーローショーなら他所でやれ、ってわけ」
言葉を丸くおさめて、水月は、コーヒーを飲む。
チンピラの放つ怒気は、もはや暴発寸前だ。
「調子にのるなよ黄色いサルが。クソガキの前にテメェから殺すぞ」
「目的を忘れてくれるなよキツネ君。お前の目的は少女Aだろう」
そう水月が、指した先で、
「えー、殺生なー」
少女が、そう嘆く。
チンピラが、水月にすごむ。
「テメェがさっきから邪魔してるんだろうが……! 殺されたくなけりゃクソガキを差し出すなりなんなりしてみせろや……!」
「当店はセルフサービスとなっておりまーす。御客さまが御望みのものは御自ら御勝手に御持ちかえれボケ」
コーヒーを飲みながら、あくまで平坦に言う、水月。
その一言で、堪忍袋の緒が切れたのだろう。
チンピラが、怒声を張りあげながら、水月に殴りかかった。
水月は、やはりあくまで平坦に、持っていたカップを振って、チンピラの顔にコーヒーをかけた。
「……ぁ……っ!」
熱と、それからコーヒーが目にしみたのだろう痛みで、言葉もなく悶絶するチンピラ。
そんなチンピラに構わず、事態を見守っていた観衆の中から、ウェイトレスを指名して、
「すいません。ブルーマウンテンおかわり」
やっぱり、あくまで平坦に、水月は、コーヒーを注文した。
あわてたように、無言で三度頷いて、ウェイトレスは、店内へ入っていった。
顔を両手で押さえながら、チンピラがうめく。
「て……てめっ……!」
そんな何かを言おうとしたのだろう…………チンピラの言葉を無視して、
「ていっ」
水月は容赦なく、チンピラの腹部に、ヤクザキックを見舞った。
そこにどれだけの力が込められていたのか、チンピラは後方へ二転三転して、テラス席のテーブルの一つにぶつかり、ぐったりと横になった。
水月は、涼しい顔で席に着き、それから件の少女が、この場にいないことに気づく。
「あれ? ラーラ、あのガキはどこいった?」
「とっくに逃げましたよ。水月先輩が助けないみたいなこと言うから……」
「結果的に助けてやったのに礼の一つも無しかよ」
勝手なことを言う水月と、ハッとした表情になるラーラ。
「もしかしてさっきまでの挑発は、キツネの注意をあの子から逸らして助けるためのものだったんですか?」
「いや、なりゆき」
きっぱりと言い切って、水月は、ケーキを咀嚼しながら、チンピラの方を見る。
チンピラは、よろよろと立ち上がり、水月を睨んで呻いた。
「……やってくれたなテメェ。これで仕事がおじゃんだクソッタレ……!」
「仕事……お前、キツネなうえにネズミか……」
イクスカレッジにおいてネズミとは、金をもらって汚い仕事を請け負う者を指すスラングだ。
「仕事に貴賎がないとはいえ、ちったぁ選べよネズ公」
「殺す!」
チンピラは、懐からナイフを取り出すと、水月に襲い掛かった。
水月が呪文を唱える。
「――現世に示現せよ、千引之岩――」
愚直に振り下ろされたチンピラのナイフは……何時のまにか如何ようにか発生した、透明な壁に阻まれて、水月まで届かなかった。
同時に、水月は、チンピラのみぞおちに右手を当てて、次の呪文を唱えた。
「――後鬼霊水――」
水月の右手から、いくばくかの水が発生し、それはチンピラのみぞおち目掛けて、高速で射出された。
高圧の水の弾丸によって、チンピラの体が、数メートル吹っ飛ばされる。
水月は、ケーキを食べ終えて、やっぱり平坦に言った。
「単なる巻き込まれ損じゃねえか」