第一エピローグ02
エキストラ・リベラル・アーツ・カレッジ。
当カレッジを知る人間には、イクスカレッジという略称が浸透している。
カレッジといっても、言葉通りの面積ではなく、一つの都市としての規模を誇る。
そして何より挙げるべき特徴は「魔法魔術を専門とする研究および教育のための機関」という馬鹿げた設計思想によって成り立っていることであろう。
北大西洋のほぼ中央に建設された海上都市として機能し、国際化領域に属している。
(……絶海の隔離施設にして核実験場だぁな、ようするに)
と、役水月はみもふたもなく切りすてるのだった。
基本的に、魔術師は、文明の表舞台には立たず、隠遁を好む。
交流があるとしても、それは魔術結社や魔術旧家といった、閉鎖的コミューンに限られる。
ひるがえってみるに、イクスカレッジは、国際法に認知されているため、魔術師のコミューンとしては異例中の異例だ。
その性質上、カレッジ内での関係者のうち、魔術師と呼べる人間はほんの一握りだが、それも含めて稀有な映像だと言わざるをえない。
(しかし魔術を指してリベラルアーツとはね……皮肉もここまでくると頭がさがるな。知恵の樹の実しかり、バベルの塔しかり、イカロスの翼しかり、『無学は神の呪いであり知識は天にいたる翼である』か……シェイクスピアって奴はつくづく賢人だねぇ)
そんな歪んだ敬意が、何に対してのものなのかは、水月自身にもわからない。
ともあれ、
「役水月先生……」
ポツリ、と、視界内の人物に名前を呼ばれ、水月は、イクスカレッジという構造に対する考察をやめた。
「何でしょうか、コンスタン教授……」
水月は淡白に言葉を返して、それから目だけで、自身の置かれている環境を見渡す。
そこは、厳かにも豪奢な一室だった。
十六畳ほどの部屋……その左右両端には、資料をパンパンに詰めた本棚が並び、床はアラベスク模様が広がり、天井には豪華な照明がぶらさがっている。
そして水月の視線の先では、いかにも高級そうな机に肘をついて、水月を見つめかえす老齢の女性がいた。
オーロール=コンスタン。
イクスカレッジの教授兼魔術師……コンスタン教授のことを知らない者は、カレッジ内にはいない。
コンスタン教授が、新古典魔術の基盤を築いた魔術師『アルフォンス=ルイ=コンスタン』と同じ名をもつことが、はたして偶然か否か……それはカレッジ内のゴシップでもあった。
コンスタン教授が、口を開く。
「役先生、あなたを呼んだのは他でもありません」
「最近の役先生の素行不良には目に余るものがあるからです」
「…………」
コンスタン教授が、言おうとしていたのであろう言葉の、後半のくだりを、水月は代弁した。
さらに、水月は言葉を続ける。
「ああ、僕は何て愚かな子羊だったのでしょうか。先人の助言にも耳を貸さず、怠惰な毎日を送るなんて。これから不肖役水月は心を入れ替え、夏の夜には蛍の光を、冬の夜には窓の雪を、それぞれ光源にしてまでもの熱意をもって勉学に励まんがことをここに宣言します。以上」
「役先生のその弁明を一字一句の間違いなく聞くのは既に四度目です」
「そうでしたっけ?」
「一年ほど前からでしたか。役先生の素行不良が目立つようになったのは……」
「…………」
嫌味な前置きだ、と水月は、心の中で、舌をだす。
「確かな魔法技術を持ち、なお目覚しい学業を修めていた一年前の役先生は今どこへ?」
「さあ? 俺は規範という名の洗脳に犯された愚かな現代人とは一線を画すクロコダイルダンディですから」
茶化す水月。
コンスタン教授は、溜息をついた。
「役行者……役小角様の直系である役水月先生のこの怠慢を、私はどう釈明すればいいのでしょうか?」
「別にそう身構える話じゃないでしょう。小角のじじいは世間一般のことには興味がありませんから……。それはイクスカレッジや、子孫の俺でさえ例外じゃありません」
「ですから役先生、あなたをイクスカレッジに引き抜くことができたわけですが……」
皮肉ですね、と苦笑するコンスタン教授。
水月は、ピクリとも笑えなかった。
「役先生……魔術師の目指すところは何ですか?」
「究極の形相ですね」
それが、コンスタン教授の、皮肉への布石と知っていながら、水月は模範回答を答えた。
「そう。その通りです。全知全能……梵我一如……アルスマグナ……カバラ……アーカーシャクローニック……ラプラスの悪魔……ワールドバックアップ……そしてアーク。呼び名は変われど魔術師の目指すところは究極、これにつきます。あなたはそこを目指していますか?」
「いいえ」
にべもなく断言する水月。
コンスタン教授、三度目の溜息。
「あなたと対をなした葛城さくら先生は、無形魔法遺産にまで登録されて、今現在イクスカレッジの羨望を集めているというのに……」
やれやれ、と言った具合に、首をふるコンスタン教授の言葉を、
「あのう……」
水月はおずおずと差し押さえて、それから挙手をした。
「ちょっと質問があるんですが……」
「何でしょう」
「ならぬ堪忍の線引きってどこだと思います?」
「……失礼、役先生。言葉が過ぎました」
「はぁ。何に対して謝ってるのかわかりませんが、どうも……」
白々しく、とぼける水月。
しかし心中で、水月は、自分自身に、舌打ちをしていた。
――葛城さくら。
その名前を聞くだけで、どうしよもない衝動に駆られる自分を、水月は抑えきれずにいた。
コンスタン教授が、つとめて冷静に、口を開く。
「しかし役一族と葛城一族は主従の関係でしょう。本来ならば役一族の血こそ優秀を証明せねばならないのでは?」
「一言主が役行者に使役されていたからといって、葛城一族が役一族の配下にあり、また素養の面において劣るというのは謬見でしょう」
「伝統、と日本では言いましたか」
「しがらみとも言いますけどね」
「しかし役先生の怠慢の弁明にはならないでしょう」
「ところで全然関係ない話なんですが、造反有理って言葉をご存知ですか?」
「……葛城先生の件はどうしようもないでしょう」
「いきなり話がとびましたねぇ」
心にもないことを、水月は言う。
「葛城先生の魔術は無形魔法遺産です。立場上規則上ともに魔法メジャーに保護されなければなりません」
「要するに引き抜きでしょうが。野球選手かっつーの」
「あなたたち古典魔術師の持つ能力は既に個人の損得で扱えるものではないのですから、ある程度は致しかたないでしょう」
「だからさくらに合わせて俺も本社への異動を申請したでしょうが。なんで却下されたんです?」
「人材とて資本。まして完成された魔術師ともなれば希少すぎてその需要は低くありません」
「まぁ魔術師もある種の職人ですし、人材不足の波には逆らえんでしょ。技術の一般化による生活基準の底上げが文明の発展につながっている以上、生産性がない上にその道に一生を捧げなきゃならん伝統工芸や伝統芸能が廃れるのはしょうがないことだと思いますがね」
「それゆえにイクスカレッジが役先生を手放すなどありえない選択肢です」
「だったらさくらも引き留めろよ。携帯電話の普及したこの時代に月に一度の文通だけって、そこまで隔離するほどのものですか? 無形魔法遺産とやらは」
「パトロンに逆らえないのは百も承知のはずでしょう。それにイクスカレッジから魔法遺産を輩出する機会を逃すわけにはいきません」
「んなそっちの都合それこそ知ったこっちゃねえですよ。はいそうですかと割り切れるほど丸くねえんで。用件はそれだけですか?」
「もう一つあります」
まだあるのか、と、心中愚痴る水月にかまわず、コンスタン教授は、呪文を唱えだした。
「――AlefTav……TheMagician――」
魔術を行使するための儀式だ。
一般的に『マジックトリガー』と、此処では呼ばれている。
コンスタン教授が、呪文を唱え終えると同時に、机の上に転がっていた万年筆が、ひとりでにフワリと浮き上がった。
万年筆は、意思を持ったかのように、机上の白紙に向かうと、サラサラと、流麗な文字を書き出した。
それは、あまりに奇異な光景であったが、水月もコンスタン教授も、驚いた様子は見せなかった。
それこそが、コンスタン教授の行使した魔術だ、と、わかっていたからだ。
「便利な魔術っすね」
「私の仕事は机上にありますからね」
そう言い合う間にも、万年筆は文章を書き進め、そして書き終わると、力を失ったかのように、宙から落下した。
カツン、と、音をたてて。机を転がる万年筆。
それを見届けてから、コンスタン教授は、再度呪文を唱えた。
「――AlefTav……Strength――」
次に動き出したのは、先ほど文章を記された、用紙だった。
風にさらわれたかのように、フワリ、と、浮かぶと、水月の目の前まで、音も無く飛んでいく。
水月は、要領よく用紙を受け取って、それから読み上げる。
「警察機構への推薦状……。いりませんよ、こんなもの」
「役先生の技術を正当に行使できる良い環境だと思うのですが」
「俺の技術は人を殺傷するためのもんであって警察に需要はありませんよ。魔術師ってのはニアリーイコールで求道者も同然でしょう。人を殺害したいなら包丁でも持てばいい。人を無力化したいならスタンガンでも持てばいい。戦闘の、とりわけ制圧の範囲を魔術師に頼る必然性が見当たらんでしょう」
「戦術級の戦闘技術を誇る役先生がそれを言いますか……」
「俺の場合は御家と師匠の都合の産物ですからに」
水月は、苦笑せざるをえなかった。
「ともあれ治安維持なんて性分じゃありませんので謹んでお断りします。憎けりゃ殺す、それが人間ってもんでしょう」
言って、水月は、クツクツと笑った。
「役先生、あなたは人を相手とせず天を相手とすべきではないでしょうか?」
問うコンスタン教授の瞳に、睨みかえしてから、水月は、推薦状の紙をクシャリと握りつぶして、放り投げた。
そして、
「――現世に示現せよ、迦楼羅焔――」
水月は、呪文を唱えた。
水月の魔術が起こり、宙の紙が燃えて、灰になる。
それから、くるりとコンスタン教授に、背を向け、
「知ったこっちゃござんせん」
そう吐き捨てて、水月は、研究室を後にした。