変わる日常05
「イクスカレッジの魔術師はどいつもこいつも半端ものって聞いたけど……なんだ、ちゃんとした魔術師もいるじゃない」
「俺は古典魔術師だけどな」
「私は新古典魔術師だ」
「そうなの? まぁどっちでもいいんだけど……」
そう言ってヴァンパイアは、
「――おいで、魔犬のバスカヴィル――」
呪文を唱えた。
ヴァンパイアの左手が熟した果実のようにボトリと落ちる。
落ちた左手はまるで腫瘍のように膨れ上がると、その体積を爆発的に増して人間と同じくらいの肉の塊となり、その肉塊は大きく黒い犬の姿へと変化した。
「GRRRRRRRRRR……!」
魔犬が唸る。
ヴァンパイアが直後に再生した左手を握っては開いて、笑う。
「あははぁ……この子はちょっと凶暴だわよ。なにせ私と違って無差別に人を襲うからね」
「GRRRRRRRRRR……!」
「じゃあそういうことで……」
ヴァンパイアの羽織っているマントがバサァッと広がると、それはまるで影絵のように変質して、蝙蝠の羽になる。
「私は用事があるからもう行くわ。あとは私の可愛い子犬とじゃれあっていて。アデュ」
そう言ってヴァンパイアは夜空に向かって羽を広げ、飛んだ。
「待て……!」
空を飛んだヴァンパイアを見上げたケイオスが、ヴァンパイアを逃すまいとバイクのエンジンをふかす。
水月がバスカヴィルの魔犬を指して言う。
「おい! あの魔犬はどうするつもりだ!? あいつより先に犬ころを片付けないといかんだろ! 放置しておくと大惨事っぽいぞアレ!」
「役君に任せる。私はヴァンパイアを追う。任せたぞ」
「うそん」
そう言って水月が呆れる先で、
「GRRRRRRRRRR……!」
バスカヴィルの魔犬が唸る。
狼より二回りは大きい魔犬は、どう安く見積もっても人を噛み殺せそうな勢いだった。
「うわあ……」
逃げ腰の水月。
「ではな!」
そう言ってケイオスはバイクでイクスカレッジを西へと走り去る。
それを見送って、それから魔犬と対峙する水月。
(来る……!)
「GAAAAAAAAAA!」
大きく吠えて魔犬が水月に向かって襲い掛かる。
水月は後方に跳んだ。
「――現世に示現せよ、千引之岩――」
襲い掛かってきた魔犬に対して魔術の障壁を当てる。
不可視の障壁が水月と魔犬を紙一枚のところで隔てる。
「GR……!」
魔犬が魔術障壁を理解したのかは水月の認識の及ぶところではなかったが、魔犬は水月の側面に回り込むと今度こそ噛み砕こうと襲い掛かった。
ぬらりと光る牙が、顎が、水月へと近づく。
「駄犬……」
つぶやいた水月が右足を跳ね上げた。
そこにどれだけの膂力がこめられたのか、まともに下顎を蹴り砕かれる魔犬。
「――現世に示現せよ、前鬼戦斧――」
魔術の斬撃。
「――前鬼戦斧、前鬼戦斧――」
三つの斬撃が、魔犬へと襲い掛かり、両断し分断する。
都合六つの肉塊となった魔犬の残骸を油断なく見据えながら、水月はバックステップで距離をとる。
けんけんとステップしながら、
「――現世に示現せよ――」
次の魔術のための魔力を召喚する水月。
そんな水月の視界の先で、六つに分断された肉塊の一つがグジュグジュと振動し、腫瘍のように爆発的に膨れ上がると元の黒い犬の姿に戻る。
(当然のようにアンデッド仕様なのな……)
内心うんざりとする水月。
(さて……どうするか。金剛夜叉が使えれば話は早いが、さすがに問題があるしなぁ)
二の手、三の手を考えながら、魔術を発動させる。
「――千引之岩――」
発生した不可視の障壁が襲い掛かった魔犬と水月とを分かつ。それも束の間、短時間で千引之岩を解消した水月は次の呪文を唱える。
「――後鬼霊水――」
高圧力で射出された多量の水が蛇のようにうねりながら魔犬を遠くへと押し流す。距離をかせいだ水月は、
「――現世に示現せよ、迦楼羅焔――」
魔犬に向かって炎弾を撃つ。
水に押し流されて態勢を整えきれていない魔犬に炎弾が着弾、爆発する。
「――現世に示現せよ、迦楼羅焔、迦楼羅焔、迦楼羅焔――」
爆発の中からさらに爆発が生まれ、熱風が水月の肌をなめる。
高熱でまわりの大気が歪み、煙が魔犬を覆い隠す。
「さて、全部当たってりゃどうにかなるか……?」
そんな楽観視も空しく、煙の中から無傷の魔犬が飛び出してきた。
風の速さで疾駆し、水月に向かって襲い掛かる。
魔犬が食いちぎったのは……しかし水月の残像。
当人は縮地を使って必要最低限の回避を行っていた。
追うように向きを変えさらに襲い掛かる魔犬を、またしても縮地を使って避ける水月。
まるで荒ぶる牛を翻弄する闘牛士のようだった。
「オン、マユラ、キランデイ、ソワカ……」
水月がポツリと呟いたそれは孔雀明王の真言。
「GAAAAAAAA!」
「――現世に示現せよ――」
魔力の入力の呪文を唱えながら、魔犬の牙を躱す水月。
「――迦楼羅焔――」
今度の迦楼羅焔は炎弾ではなかった。
大きな炎の翼を羽ばたかせた神鳥ガルーダが水月の魔力により生まれ出ずる。
これこそ本当の迦楼羅焔だった。
迦楼羅焔は空を翼で打ち、弾丸よりもさらに速く魔犬へと襲い掛かる。
同時に水月は、
「――千引之岩――」
自分の前方に魔術障壁を大きく張る。
着弾、直後に大爆発。
巨大な炎が産声を上げて空間へと広がる。
衝撃波が辺りのビルの窓ガラスを割り、炎がコンクリートやアスファルトを溶かす。
大惨事だ。
「あ~あ、俺知らね」
責任転嫁をする水月の目の前でだけは荒れ狂う炎は留まっている。
不可視の障壁が炎から水月を守っているのだった。
魔犬は煙を突っ切って水月に襲い掛かって……こなかった。
どころか、煙が風に紛れた後には、砕かれ溶けたアスファルトしか残っていなかった。
魔犬は迦楼羅焔の威力で跡形もなく吹き飛んだのだった。
「ま、こんなもんだろ」
そういって満足する水月。
ポケットから携帯電話を取り出すと、水月はケイオスに向けて発信する。
トゥルルルルとコールがかかり、留守番電話サービスの音声案内が流れる。
「出やがれねえんでやんの……」
あーアホらしと頭を掻いて、
「よし、帰ろう」
すがすがしく怠惰にきめこむ水月。
「しっかし研究室へも宿舎へも遠い場所だなぁ。こんな夜中じゃバス走ってないだろうし、……ていうか警察の避難勧告で車なんて走ってねえし。モノレールはここまで伸びてる気配もないし……。さてどうやって帰るか……」
ぶつぶつ言いながら、それでもとりあえず宿舎を目指して歩き出す水月。
「俺もバイク買おうかなぁ……」
水月の夜はこれで一応のところ終わる。




