変わる日常02
ケイオスが反応した。
「む、ヴェルミチェッリ君は話がわかるね」
「はい。でも私としましてはプラみづの方が」
「いや、しかし主従の家柄の関係としてやはり役君が攻めでなければ成り立たないかと」
「いえいえ、逆にいつも主導権を握ってる水月先輩がベッドでは受けになるギャップがいいと……」
「お前ら、本気で殺すぞ……」
並々ならぬ殺気をラーラとケイオスにぶつける水月。
ひっとたじろぐラーラ。
ケイオスは泰然としていた。
「いいのかい? 次にまた問題を起こすと君の首に設置してあるギロチンを落とされることになるぞ」
「そんなこと俺が気にすると思うか?」
「実は君の首の上にギロチンを備え付けて役一族に技術の提供を嘆願したらしいんだが……」
「それは普通脅迫と言うのではないですか?」
額に縦線を引きながらラーラ。
「まぁ建前でのことだ。で、煮るなり焼くなりと返されたらしい」
「だろうなぁ。そもそもうちのじじいがじじいだから、いろんな意味で俺は人質にならんぜ」
「で、しょうがないからギロチンはそのまま首輪代わりにしようということに」
「別に紐切ってくれてもいいんだが……」
「馬鹿言え。損害分を埋める前に死なれたらそれこそ割に合わん。先刻の件は君の唯一の逆鱗であって、今後ないだろうということで決着を見たんだからな」
「そらが蒼井なぁ……」
「現実逃避をするな役君」
『Ppppp! Ppppp! Ppppp!』
諭すケイオスの、ポケットの携帯電話が歌いだした。
「む、なんだ?」
着信するケイオス。
「私だ。どうした?」
十秒後、電話先から何かしらの言葉を受け取ったのだろうケイオスが、激情に駆られたような表情になる。
水月が不思議そうに聞く。
「どうした? なんかあったか?」
「昨今イクスカレッジで起きている斬殺事件を知ってるか」
「それは、まあ……」
水月が同意し、
「切り裂きジャックの再来とか言われていますね」
ラーラがフォローする。
「また犠牲者が出たらしい。これで六人目だ」
「もしかして今度の犠牲者ってOL風の女性じゃないか?」
「何故わかる?」
「昨日の夜、殺人現場にでくわしたからなぁ……」
ケイオスが水月に頭突きした。
のけぞる水月。
「いってぇな! 何すんだこのやろう!」
「このやろうはこっちのセリフだ! 何故通報しなかった!」
「俺には関係ない案件だろうが!」
「貴様という奴は……! ちっ! 言ってもしょうがあるまい!」
ケイオスは口惜しそうに舌打ちをして、おそらく現場へであろう、走り去った。
水月が嘆息をつく。
「あわただしい奴だな」
「いや、先輩……通報しましょうよ」
ラーラが呆れたように言った。
「イクスカレッジ内でもかなり問題になってる案件なんですから。そろそろ捕まえないと私たちだってやばいんですよ?」
「つってもなぁ。警察に捕まえられるかどうか……」
「? どういうことです……?」
「あいつ完全に見切を扱ってたから。向かった警察の数だけ死体が積みあがるぜ。あの様子じゃ心眼も神速も使えるだろうなぁ……」
「見切? 心眼? 神速?」
「わかりやすく言うなら……そうだなぁ……見切ってのは次瞬挙動半径予想、心眼ってのは非視覚的空間補填、神速は対心眼見切打破法……かな?」
「わかりにくさうなぎのぼりです」
「うーん……例えば魔術には隙間の神効果ってのがあるだろ。術者の持ちえない情報が魔術の発現に際して勝手に補完される現象。あれほど顕著ではないにしろ、人間の脳も似たようなことが出来てな。持ってる情報から関連事項の欠けている情報を大まかに埋める機能があるんだよ。そんな人体の神秘を武術で無駄使いする伝統芸能があってな……空間次元でやるのを心眼、時間次元でやるのを見切、それによっておこる膠着の打破手段を神速とそれぞれ呼んでいるんだ」
「だからわかんないですって」
「Aという人間が生まれてこのかた見たことのないaという映像にフィルターをかけてbという映像を作るだろ? フィルターにもよるが、そのbをAに見せると何故かAはaがどういう映像だったかをあるていど想像できるんだ。モノクロ映像を記憶で再生すると色までついてくるだろ? あるいはすっげえ解像度の低い盗撮映像を見ても興奮できる感覚っつったらわかるか? つまり劣化した情報を脳の中で鮮明な情報に補完できるんだ。無論それはaプライムとでも呼ぶべき近似的な別情報になっちまうけどな」
言いながらオフィスチェアを半回転させてラーラに背を向ける水月。
「で、それを踏まえて……」
ラーラが水月の背中めがけて消しゴムを投げた。
「心眼ってのは非視覚的感覚から得た情報で視覚では得られない映像を補う技術のこと」
水月は背後から飛んできた消しゴムを見ないままで掴みとめた。
「とまぁ心眼を使えるとこんなことができるわけよ。日常生活じゃあんまり役に立たんけど」
水月の投げ返した消しゴムがラーラの額に当たる。
「あうっ」
「で、見切ってのは相手の能力や姿勢から次の瞬間に動くことのできる行動をより具体的に予想すること。同じ能力をもった二人がそれぞれクラウチングスタートの体勢とビーチフラッグスのスタートの体勢で短距離走をやらせたら勝敗は明らかだろ? その判断を極端に鋭敏化させるとな、他人が次の瞬間どの位置まで移動できてどういう挙動をとれるのかがそいつを中心とした空間的なアトラクタで捉えられるようになるんだわ。この空間を制圏あるいは間合っつってな。敵の間合を見切るから見切っつーんだ」
「……はあ」
「新陰流には無形の位って奥義があるだろ。あれなんか制圏を応用した技術の典型だな。構えないことで自分の制圏を全方位に最大展開して敵の攻撃に関する対処の手段をより多く確保するための技術だよ。逆に示現流の蜻蛉なんかは手段を袈裟斬りだけに限定することで自分の制圏を前方に注ぎ込む不退転の構えだな」
「……ほう」
「で、神速の話になるんだが……心眼を持ってりゃ音速以下の不意打ちには対処できるし、見切を持ってりゃ相手の攻撃もあらかた予想できちゃうしで、仮にそんな達人が二人相対したら膠着状態に陥るだろう? 先に手を出したほうの負け、的な? かと言って日が暮れるまで睨みあうわけにもいかんしね。で、この膠着状態を打破するための手段が神速なんだよ」
「というと?」
「敵が捉えているはずの自分の制圏……その制圏内でどれだけ動こうとも敵の予想を超えることはない。とすればその制圏を超えて動く速さが必要となる。制圏を逸脱するほどの瞬発的高速体術……それが神速」
「先輩がたまに見せてくれる縮地ってやつですか?」
「そ」
簡潔に返して、水月は自分の机の上からマグカップをとると、その中にインスタントコーヒーを入れて、電気ポットからお湯をそそいだ。
できた簡易コーヒーをちびちびと飲む水月。
ラーラはというと自らの席について水月を不満げに見つめた。
「でもそんなやばい奴がいるなら、それこそ放っておけないんじゃ……」
「一日一人殺したって一年で三百六十五人だ。自殺者や事故にあって死ぬ人間より断然少ないだろ」
「無茶苦茶な理論ですね」
「少なくとも俺は殺される心配はないから気楽なもんだよ」
「私、抵抗できる自信がないんですけど」
「お前だけじゃないさ。ま、警察のお手並み拝見だな」
そう言い捨てて水月はコーヒーをすすった。




