プロローグ
「国破れてサンバイザー♪ たけき者も遂にボリビア♪ 夢幻の牛丼特盛り♪ 虚を涵してメカニコング♪ 鐘が鳴るなり堀井雄二♪」
などと奇天烈な歌を歌いながら役水月はイクスカレッジの夜道を歩いていた。
手に提げたコンビニ袋にはおにぎりが二つとサンドイッチが一つ入っている。
弓張月に見守られながら、決して暗くはない道を歩く水月。
カレッジの講義などとうに終わり、帰途につく。
瞬間、
「……っ!」
水月の表情がこわばった。
異常の気配。
「血の匂い……か……?」
そんなことを水月は呟く。
どこからか微かに匂う血の香りを感知した水月は、帰路に逆らって行く道を変えた。
血の匂いのする方向へと一歩、また一歩と歩を進める。
血の匂いは、その濃度を増すばかりだ。
「たれぞ怪我でもしてるのかや……っと」
おどけた風にひとりごちながらビルとビルの隙間……照明の届かない暗がりへと進んでいく。
水月に気負いはない。
あるのは血の匂いの元である“何か”を探ることだけだ。
しかも興味本位とくる。
辺りが暗くなるにつれていよいよ血の匂いが強くなり、そしてついに血液そのものが視界に入る。
ビルとビルに挟まれた小路、その曲がり角から血溜りの一部が見えた。
血液はより高い場所から低い場所へと這うように、その範囲を広げていた。
「っ」
それだけで“血の元”の出血量がどれほどのものか察した水月は、早足に歩き、そして曲がり角を覗き込んだ。
そこには二人の人間がいた。
月光しか当てにならないその場所で、しかし水月ははっきりと視認する。
一人はOL風の女性だった。
肩から胸にかけてをばっさりと斬られたのだろう傷口が痛々しい。
横に倒れてピクリとも動かず、ただ血溜りをつくっていた。
死んでいるのは一目瞭然だ。
水月は、血の匂いの主か、と冷静に分析した。
そしてもう一人は少年だった。
年頃は水月と同じくらいだろう。
黒い髪はセミロング。
黄色い肌のおそらくは日本人。
男だというのに女性の着物を着ていてどこか妖艶な雰囲気を醸し出していた。
何より目を引くのは少年の持っているものだった。
刀だ。
おそらくは倒れている女性のものだろう血がべっとりとついた日本刀を持っていた。
少年はじとっとした目で女性の死体を見下ろしていた。
どう考えても殺人現場だが、水月は特に感慨もなくその情景を覗き続けた。
ふと、
「ねえ」
刀を持った少年が言葉を発した。
「そこにいる人、出てきなよ」
視線は死体に向けたまま、そんなことを言う少年。
気づかれていたことに多少なりとも驚きながら、水月は少年に向かって姿を晒した。
ピチャリと血溜りが水月の足元で跳ねる。
少年はどんよりとした瞳を水月に向けて、それから軽く頭を下げた。
「こんばんは」
水月も頭を下げる。
「こんばんは。何をしてるんだ?」
そんな水月の質問に、
「うーん?」
と少しうなってから、
「殺人?」
と少し自信なさげに答える少年。
「あやふやそうだな」
「んー……だって、ねえ?」
くつと少年は笑う。
「じゃあ人が死ぬって何なのかなぁ……なんて」
「お前が今殺したじゃないか」
「そういうことじゃなくて、さ。酸化反応から熱を取り出せるのは化学の常識だけど、それなら人が死ぬことと火が消えることってどう違うのかなぁとか」
「…………」
「火は生きているとは言えないよね。でも確かに人は酸化反応で生きている。この二つを分ける境目の定義ってのはなんなんだろうね」
「……さてな」
「別に酸化反応にこだわる必要もないんだ。たとえば物質と生命の特徴を併せ持つウィルスという存在について考えると、その辺の石ころと自分との間にどれだけの差があるのか疑わしく感じたりしないかい?」
「まぁ一理ある」
「でがしょ? パソコンの電源落とすのと人が死ぬのとに、どれだけ僕らは明確化できているんだろうって話になるよね」
「それで世を儚んで殺人か」
「そんなところ」
言って少年は殺人など気にしたふうもなく可愛らしく照れ笑いをした。
そして続ける。
「酵母なんかは栄養さえ供給できれば死なないでしょ? つまり死というのは生命が進化した上で獲得した能力の一つなんだ。なんでなんだろうね。なんで死ぬこと後付する必要があったんだろう」
「…………」
「死ってなんなんだろうね?」
はふ、と水月はため息をついて、
「死に意味を求めるのは人間だけらしいぜ」
そんなことを言った。
「ん?」
「さっきお前が言っただろう。その辺に転がる石になんの意味がある? だから死にさえ意味は……本質的にはない」
「…………」
「ただな。もし心が震えることを感動と呼ぶのなら、大切な人の死ってのは何にも勝るエンターテイメントといえるかもしれないな」
「エンターテイメント……ね……」
「俺も少し前に大切な人を失くしたからわかる。あれほど心が震えることはもうないだろうってな」
「感動したの?」
「ああ、した」
きっぱりと、水月は頷いた。
葛城さくらの記憶とともに。
「でも、そうだね。エンターテイメント……悪くない考えだ。さしずめ殺人を繰り返す僕はエンターテイナーなのかな?」
「あくまで一面的に見れば、な」
水月が補足する。
「……そっか」
と少年はポツリと呟いて、それから、いきなりと言う他ないタイミングで水月に襲い掛かった。
上段から振り下ろされた日本刀が両断したのは水月の残像。
「……っと!」
反射的に縮地を使った水月が危うげにバックステップする。
「あれ……?」
日本刀を振り切った少年は不思議そうに首をかしげた。
「制圏は見切ったはずなのにな……」
理解不能といった様子で水月を見る少年。
「もしかして神速?」
「うちは仙人の家系だから縮地って呼んでるけどな」
「そっか、縮地か……。神速持ちに会ったのは久しぶりだな」
「御互いにな」
皮肉げに口の端をつり上げて水月。
少年が誰何する。
「名前を聞いてもいい?」
「役水月」
「役……? もしかして役一族?」
「そ」
「そっか。こんなカレッジくんだりにあの役一族がいるなんてね。召喚されたくち?」
「まぁ……そんなとこだ」
「へぇー……ふーん……」
「お前は?」
「ん?」
「お前の名前は?」
「そうだね。名乗らないのも失礼だね。こんばんは。僕の名前は渡辺椿。お見知りおきを」
「渡辺?」
「渡辺」
水月の疑問にオウム返す少年改め椿。
「あー、あー、あー」
水月はこめかみを人差し指で抑えた。
「もしかして先祖にツナって奴がいないか?」
「いるいる」
言ってはにかむ椿。
「じゃあもしかしてその刀は……」
「髭切……の影打」
「……やっぱりか」
水月は嘆息した。
「鬼切りが鬼に堕ちてどうする」
「鬼……かなぁ?」
「殺人鬼だって鬼の内だ。」
「あ、本当だ」
今気づいたとばかりに納得する椿。
「でもそっか……殺人鬼か。なんだか感慨深いなぁ」
「そんなことで感心されても……」
とても人を殺したとは思えない純粋な椿の言葉に、反応に困る水月。
これ以上とりあっても無駄だと水月は割り切った。
「じゃあ俺は帰るから。お前も殺人はほどほどにしとけよ」
「僕を見逃すの?」
「まぁありていに言えばそういうことになるか」
「変な人……」
「お前にだけは言われたくない」
そうして水月は帰路についた。
殺人現場をそのままに。




