第二プロローグ
水月が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
個室だ。
やけに広く感じる個室の、一つだけのベッドに自身が寝ていることを自覚して、それから水月は現状に疑問を持った。
何故か。
水月の口には、ゴルフで使うティーが咥えさせられ、その上にはゴルフボールが乗っている。
そして、これまた何故か。
彼の頭をまたぐように立っているケイオスが、三番アイアンを構えていた。
スキャンティが丸見えだったが、それはこの際、関係ない。
「……はひほひへふんは?」
律儀にもティーを咥えたまま、
「何をしてるんだ?」
と聞いた水月に、にっこり笑ってケイオスが答える。
「大丈夫大丈夫。ダフらないように気をつけるから」
さすがに、水月もティーを咥えるのを止めて反論する。
「気をつけるから、じゃねぇよ! ダフったら前歯全部持ってかれるだろうがっ!」
「いやいや、二回に一回はダフらないようになってきたから……」
「本気で言ってるなら次会うときは法廷だな」
「役君が被告人で、私が傍聴人だな」
水月の皮肉に、しかしケイオスも皮肉で答える。
ポイ、と、三番アイアンをてきとうに捨ててベッドから降りると、ケイオスはベッドの傍に置いてあったパイプ椅子に、どっかと座る。
「さぁて話を聞かせてもらおうか?」
「昔々あるところにじさまとばさまがおった。じさまは山へしばかりに……」
「しばくぞ。完全に崩壊したビルが五棟、死傷者は合わせて六十人弱……これが現在報告されている被害状況だ。なお、この数字は今後の報告により増えていくものと思われる。何のことかはわかるな?」
「…………」
あくまで笑顔で聞くケイオスに、水月は思わず黙る。
「やってくれたなコノヤロウ」
ケイオスは、水月の顔面にアイアンクローをかました。
「いでで、でででで、ででででで……」
「イクスカレッジは上に下にの大騒ぎだ。当然だな。空前絶後の人災だ。廃ビルの多い場所だったことで思ったより人的被害は少なかったが……そんなことは問題にならん。どうケリをつけるつもりだ役君?」
「笑って誤魔化す」
「死ね」
言いながらアイアンクローを解くケイオス。
「で、俺はどうなるんだ」
「……本来なら極刑ものだな。が、それではイクスカレッジの面目が立たない上に優秀な魔術師を失うことになる。上がストックしている架空の名義に責任を全てかぶせて処分、というところだろう」
ふん、と鼻をならして、足を組むケイオス。
「貴様は事件の被害者の一人として……」
と、そこまでケイオスが言ったところで、病室のドアが開いた。
外から入ってきたのは、アンネとラーラ。
驚いた様子の二人と目が合うと、水月は、
「……よっす」
てきとうに挨拶した。
同時に、
「水月ー!」
「先輩!」
アンネとラーラが、飛びついてきた。
いきなり二人に抱きつかれて、焦る水月。
「おお……おお?」
「馬鹿ー馬鹿ー馬鹿ー!」
「心配したんですから心配したんですから心配したんですから!」
泣きそうな声で、そんなことを言うアンネとラーラ。
水月は、たじろぐばかりだ。
「おいこらパイパンども……離れろうっとうしい!」
まとわりつくアンネとラーラの頭を掴んで、無理矢理引き剥がす水月。
「ふぇぇぇ……」
「うゅゅゅ……」
引き剥がした後、水月が改めてアンネとラーラの顔を確認すると、本気で二人とも泣く寸前だった。
「すっごい爆発がいっぱいあってビルがいっぱい崩れて……それで私、先輩が死んじゃうんじゃないかって……」
「その犯人こそ役君なのだがね……」
「言いたいことがあるなら後で聞こう」
ラーラの泣き言に、つっこむケイオスを、水月が牽制する。
それから、ふと気付いて、アンネを見やる。
「ところでアンネ……お前はよく無事だったな……」
「何言ってるのー。水月が悪の手先を撃退してくれたおかげだよー」
「……ああ、まあな」
言葉を濁す水月。
さすがに、
「お前を人質にして魔術結社の手先をもろとも葬ろうとした」
などとは言えなかった。
本当は、会わせる顔もないのだろうが、水月は葛城さくら以外の人間には、かなり厚顔になれたりする。
(結局プライムは殺せなかったうえに、あの後気絶しちまったからなぁ。アンネが無事だってことは一度引いたのか諦めたのか……)
まぁどっちでもいいか、と、そこでプライムに関する考察を打ち切る水月。
「で、無事なら無事でなんでまだイクスカレッジにいる? 俺が意識を失ってからどれだけ経ったかはしらんが……知己の迎え、もう来てるはずだろ?」
「うんー、来たよー」
コクリ、と、素直に頷くアンネ。
「なんかアサマカグヤって名乗る女の人が迎えに来たー」
その言葉に出てきた名前を聞いて、水月は納得したように頷いた。
「……浅間赫夜、か。いい人選だ」
「でもほらーやっぱり向こうに行っちゃう前に水月にはお礼言っときたいでしょー? だから起きるの待ってたのー」
「別にいい。それより早く行けよ。二度目はないぞ」
「あー、あそこに大和撫子風の美人が今まさに和服をはだけさせてこっちを挑発してるー」
「マジで!」
「うーそー」
不意打ち。
簡単にだまされてあさっての方を向く水月の頬に、アンネが軽いキスをした。
キスをし終えて、それから、
「助けてくれてありがとねー」
アンネはニコリと笑う。
「あーっ! 先輩に何をっ!」
「えへへー。早い者勝ちー」
非難するようなラーラに、勝ち誇るアンネ。
「わ、私もします! キスします!」
「せんでいい」
水月は、迫るラーラのおでこを押さえて、引き剥がす。
「なんでです! アンネちゃんだけずるいですっ!」
「へへーんー。私はこれから水月の実家にも挨拶に行くんだもんねー」
「ああうるせうるせうるせ。黙れ小娘ども」
アンネとラーラが、水月にまとわりついてギャーギャーと騒ぎ、ケイオスが傍からそれを笑っているところに、
「随分と楽しそうですね」
病室のドアの方から、第三者の声がかかった。
凛と響く、ボーイソプラノ。
水月とアンネとラーラとケイオスが、いっせいに振り向く。
そこには、細く黒い皮のつなぎを着た、美少年が立っていた。
「誰ー?」
「誰?」
「誰だ?」
首を傾げる女子三人に、
「サクラプライム……魔法メジャーのエージェントだ」
水月が答える。
つまり敵だ、と水月は言ったのだ。
女子三人の動揺が、室内に波紋のように広がった。
「水月ぃー……」
アンネが、不安そうに抱きついてくる。
そんな彼女を、引き剥がすことはせずに、水月はプライムへと向き直る。
不思議と、殺意はあふれなかった。
本当に大事なものは、既にさくらから受け取っている。
「よぉプライム、これからリベンジマッチか? 生きてたのはわかっちゃいたが少々遅い登場だったな。俺が気絶してる間にアンネをさらっちまえばよかったろうに」
「いえ、そんなつもりは毛頭……既にカイザーガットマン様が浅間の保護下に入っている以上、争いに意味は無いでしょう」
「まぁな」
「何より私がここに来たのはカイザーガットマン様を保護するためではありません」
「それはまた……じゃあ何の用だよ?」
「あなたですよ。水月様……」
言って、水月へと歩み寄るプライム。
そこに、
「駄目っ!」
ラーラが割って入った。
病床の水月を庇うように、両腕を広げて立ち塞がるラーラ。
「せ、先輩に手は出させないんだから……!」
「…………」
プライムは、ラーラの前で歩みを止めて、
「ふむ……」
と少し考えると、
「ふっ……!」
その場で、つむじ風になった。
急激に回転すると同時に、ラーラに足払いをかけ、体勢を崩したラーラの頭を掴んで、真横に押しやる。
突き飛ばされて、よろめいたラーラを、ケイオスが器用に受け止めた。
それからまたプライムは、水月に向かって歩みを再開する。
「水月様、幼い頃のことを覚えておいでですか?」
そんなことを聞くプライム。
聞いている間にもプライムは水月へと歩み寄り、そして水月に抱きついているアンネを、力づくで引き剥がす。
「うぇー?」
妙な悲鳴を上げながら、ポーン、と、放り投げられるアンネ。
これで水月とプライムを阻むものは……何もない。
「昔のこと? まぁさくらとのことなら大概覚えてるぞ」
「ええ、私もです」
答えて、プライムはベッドに飛び乗ると、水月の上で四つんばいになった。
まるで押し倒されているかのような構図だ、なんて水月は思った。
水月とプライムの顔がすぐ間近まで接近する。
お互いに見つめあった状態でプライムが続ける。
「葛城さくらとしての記憶は残っているのに、私はそれを今まで遠いところにしか感じていませんでした。まるで本を読むような客観的な記憶……」
「…………」
水月は答えない。
「でもあの時の、葛城さくらのために泣いている水月様を見たときの……あの溢れ出る感情に私はなんと名前をつければいいでしょう……?」
「…………」
「私たちは同じ日に生まれて……」
「さくらとな。お前じゃない」
「二人で一緒に育ち……」
「さくらとな。お前じゃない」
「一緒に笑って……一緒に泣いて……」
「さくらとな。お前じゃない」
「結婚の約束をしました……」
「さくらとな。お前じゃない」
「もう今更やもしれませんが……」
水月の皮肉をことごとく無視して、プライムの顔が水月へと近づき、
「お慕いもうしておりまする……」
そして、プライムは、水月の唇に、唇を重ねた。
「っ!」
男にキスされて、言葉を失う水月。
「あーっー!」
その光景を見て、驚愕の悲鳴を上げるアンネ。
「あーっ!」
同じく悲鳴を上げるラーラ。
「おお……!」
男同士のキスに、少し頬を赤らめるケイオス。
こうして、水月の初恋は終わった。
丁度時間と相成りました。
これにて「初恋はさくらの如く」……閉幕にございます。
如何でしたでしょうか?
お帰りの前に御少しだけ寄り道して感想をくだされば、これに勝る喜びはありません。




