蛇足Ⅱ
プライムは、焦っていた。
プライムは、『オワレ』を起こすとき、最終的にブラックホールが蒸発して消えていくように、条件付けをしている。
当然だ。
直径二メートルほどのブラックホールを創って、そのまま放置すれば、地球などまるっと飲み込みながら、さらに成長をとげるだろう。
ただの災害だ。
……が、
(蒸発……しない……っ!)
核爆発にも等しいプラズマ火球を飲み込み、敵である水月自身も飲み込んで、そこで収束するはずだったブラックホールは、そのまま留まり続けた。
何故、とプライムが焦るのも、無理はない。
梵我誤差により、現象それそのものより、術者のイメージを優先…………結果として、黒い球面に触れなければ無害とはいえ、ものがブラックホールだ。
術者の手を離れれば、どうなるかわかったものではない。
そして、それを収めることのできる手段を、プライムは持っていない。
動揺するのも、無理なからぬことだった。
思考が加速、混乱し混沌としていたプライムの視界の先で、黒い球体に亀裂が入った。
(……っ!)
声もなく驚愕するプライム。
一方的に、情報を吸い込み続けるだけのブラックホールには、絶対にありえないことだ。
しかしそれは、ブラックホールには明確な亀裂が入り、その間隙から光が漏れ出ていた。
光学的に観測できない、漆黒の球面から、帯のように白い光が射す。
何だ、と思う暇もない。
その亀裂は、まるで蜘蛛の巣のように縦横乱れて広がりながら、ブラックホールを覆う。
びっしりと、漆黒の球面にひびが入り、その亀裂からは、例外なく、射すような光が漏れ出ていた。
そして、ブラックホールが弾けた。
まるでレンジにかけた卵が、内側から爆発するように、ブラックホールが亀裂に沿って割れ、膨大な光が辺り一帯を包む。
白い光が、プライムばかりか、イクスカレッジをも包み込み、そしてそれが収まると、ブラックホールが消失した空間に、一人の少年が立っていた。
その少年は、プライムのよく知る人物だった。
「役……水月……!」
プライムには、もう何が何やらわからない。
ブラックホールに飲み込まれた人間が、ブラックホールを割って出てきたのだ。
物理学の、どころか常識の埒外である。
ブラックホールに飲み込まれても死にそうにない魔術師の二人や三人ほどは、プライムにも覚えがあったが、彼らとて一度飲まれた超重力場から出てこられたりはしないだろう、とそこまで考えてから、さらに思考が混乱する。
つまり、役水月は、それだけのことを、しでかしたのだ。
水月が呟く。
「う……うう……」
その目から、涙が零れ落ちたのを、プライムはたしかに見た。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫が、辺りに響き渡った。
水月が、空に向かって、慟哭をあげた。
同時に、水月の体を、金色のオーラが包み込む。
水月の全身から放たれているような金色のオーラは、威圧するように熱風を生み、威嚇するように各所で放電する。
その現象は、まぎれもなく魔術。
(無尽蔵に魔力を召喚している……! トランス状態を安定できていないのですか……!)
それはつまり、正気と狂気の混同。
現実と空想の混同。
トランスが、リアリティを、汚染しているのだ。
(光……熱……風……電気……変換するエネルギーが単純なうえにとりとめがない……いったいこれは!)
イメージに即して発動するはずの魔術が、混濁とした思考を再現したらどうなるか。
その一例が、目の前にあった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
水月の絶叫が、響き続ける。
それは光り輝く絶望の描写であったが、プライムには理解できない。
そして水月が、プライム目掛けて地を蹴った。
弾丸の如き速度で間合いを塗りつぶす水月に、プライムが反応できたのは、偶然以外の何物でもない。
「――吾は一言にて放つ、カコメ!――」
プライムの発した不可視の魔術障壁と、水月の発する金色のオーラが衝突して、せめぎ合う。
何者をも弾き飛ばす、魔術障壁に触れながら、しかし水月は踏みとどまった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
どころか、あまつさえ、一歩、プライムへと踏み出す。
膨大な斥力を、わずかながら金色のオーラが、押し返しているようだった。
「ひっ……!」
少しずつ、しかし確実に近づいてくる目の前の敵に、プライムは恐れをなす。
泣きながら、絶叫を上げて襲い掛かってくる水月が、まるで人を喰らう鬼のように思えたからだ。
そして、
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
プライムの魔術障壁が、ついに水月によって、突き破られる。
水月が、決定的な一歩を、プライムへと踏み出すと同時に叫んだ。
「さくらああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
それは初恋の嘆き。
人体の限界を超えた、最大最速の一歩は、水月の足から腰、背骨、右肩、右腕を通って、右手へと集約される。
水月は、真っ直ぐプライムに向かって、つっこんだ。
そして、
「世界で!」
そして、
「一番!」
そして、
「愛して……た……」
恥ずかしいまでの告白が、尻すぼみに消えていき、水月の拳が、いっそ優しくプライムの胸板へと接した。




