第一エピローグ19
(圏内っ!)
アンネを保護しようとしていたプライムに、水月は躊躇いなく襲い掛かる。
プライムは、アンネの保護から、水月の迎撃へと、意識を切り替えたのだろう……水月を睨んで、呪文を唱えた。
「――吾は一言にて放つ、エグレ――」
プライムが、新たな魔術を起こす。
それは、水月の知らない魔術だった。
プライムの方も、水月へと間合いを詰める。
水月は嫌な予感がして、プライムの平手を避け、足元に転がったコンクリートの欠片を、プライムへと蹴飛ばした。
それはプライムの平手に触れるや、触れた箇所だけが、えぐられたように消失した。
ほう、と感心の吐息をつく水月。
「両手の平に触れたものを消失させるのか?」
「正確には圧縮ですが……!」
言って、間合いを詰めるプライム。
(状況だけなら不利だね、どうも……)
うんざりとしながら、水月も地面を蹴って、間合いを詰める。
迎え撃つプライムの左手を、手首ごと逸らすと同時に、すくい上げるような右手を、真上に跳んで避ける水月。
一回転半ひねり。
背後へとまわりこんだ水月を、裏拳の要領で、プライムの左手が襲い掛かる。
それを肘ごと蹴り逸らし、ついでに逆の足で、プライムの延髄を、蹴り穿つ水月。
たたら踏んだプライムが体勢を整えて振り返るのと、水月が着地して踏み出すのは、同時だった。
間合いが零になる、より前に、水月が呪文を唱えてみせた。
「現世に示現せよ」
「……っ!」
「嘘だボケ」
魔術の行使の隙をつこうとして焦ったプライムの鳩尾に、水月のつま先が、突き刺さる。
魔術師同士の接近戦でしか使えないブラフだ。
くの字に折れ曲がる、プライムの懐に、
「……縮地」
ポツリ、と、呟いた水月が、一瞬で飛び込む。
突き出された水月の拳は、いっそ優しく、プライムの胸板へと接した。
プライムが、がむしゃらに両手をふるうより早く、速く、迅く、
「――金波羅華――」
水月の寸勁が、炸裂する。
古典魔術の中には、言葉ではなく仕草や動作といった、体の動きを魔術の儀式……すなわち魔力の演算とするものがある。
たとえば「脳の、想像を司る前頭前野ではなく、動作を司る運動野に、魔力の演算というアプリケーションを奔らせることができる」との仮定が成り立てば、魔力の入力と演算とを並行し、魔術において発生するタイムラグを、無くせるのではないか。
無論、なまなかなことではない。
だが、水月が行なったのは、まさにそれだった。
呪文という魔力の入力、寸勁という魔力の演算。
両方を、同時並行することで発動した魔術は、人体には到底出せようはずもない……砲撃にも似た単純な破壊エネルギーをプライムに伝え、波紋のように、その全身へと浸透させた。
弾かれたように、景気よく吹っ飛んだプライムが、受身も取れずに地面に落下し、二転三転する。
「……っ! げ……っ!」
悶えながら咳き込み、そして吐血するプライム。
無様に地へ這いつくばるプライムを、水月の感情のない瞳がじっと見つめる。
それは、プライムが、仮面越しに見せた瞳と、同種のものだ。
「つくづく浅い。つくづく甘い。勁が錬られてない。地に足がついていない。間接で力が阻害されている。初動も遅い。こちとら真剣の切り合いで刀が邪魔になった身だぜ? 防御不可なんてただの前提条件だっつーの」
吐き捨てるように言う水月。
「いったい……何が……っ!」
「ああ、さっきの魔術……金波羅華な。三十ミリの砲撃と同義だから本気で打てば人体なんて原形もとどめず挽肉になる。零距離専用の秘密兵器だから、さくらの記憶にも載ってねえよ」
「なんっ……なん……っ!」
「なんだそれ……ってか? 教えてやんない」
「――吾は……一言にて……放つ……ワカテ――」
「――現世に示現せよ、千引之岩――」
苦し紛れに放たれたプライムの斬撃は、水月の魔術障壁に防がれる。
「その分じゃ近接戦闘は無理。逃亡も無理。意識がある限り魔術は使えるだろうが決定打にはほど遠い。王手飛車取りってところか?」
崩れゆくビルに拡がる火の手……それらを眺めながら、皮肉を言う水月。
プライムは、さらに何度か吐血したあと、よろよろと立ち上がり、それから諦観したように呟く。
「……殺してくださって……かまいません」
「あら……まぁ……」
水月は、白々しくも、口元に手を当てる。
「しかしここで私を排除したとしても第二第三の……」
「どこの魔王だお前は」
「……第二第三のエージェントが必ずやカイザーガットマン様をお迎えにあがります。遅かれ早かれ結果は変わりません」
「そうは問屋が卸さない。俺はこれからお前を中心に金剛夜叉を炸裂させるからな」
「……は?」
一瞬にして、白けた空気が、場を支配した。
水月は、いまだもって感情の無い目で、崩れゆくビル群を眺めていたし、プライムは、水月の言葉の意味を、理解できていなかった。
しばし「ポカン」や「キョトン」などのオノマトペが響き、それから……プライムが、驚愕に目を見開いた。
「正気ですか! あなたは!」
「だから魔術師に正気かなんてもういい加減以下略」
「全てを貫く神なる雷! 魔王の大軍をも一撃で殲滅せしめたインドラの矢! そんなものをここで撃てば私は元よりあなたもカイザーガットマン様も……どころかイクスカレッジが跡形もなく消し飛びますよ!」
「まぁ発破させれば都市範囲くらいゆうに殲滅する魔術だからなぁ。さすがに俺もこんな近くで炸裂させるのは初めての挑戦だ」
「当たり前です! いったい何を……!」
「考えてるかって? わかるだろ? 俺のさくらが死んだんだぜ? 人類を皆殺しにしたって釣りがくるくらいだ。いわんや俺の一人や二人死んだから何だってんだよ? 後は野となれ大和撫子」
「虚無主義ですか!」
「違うけどそれでいいや。お前を殺すだけならさっきの金波羅華で終わらせてる。儀式が必要なんだよ。俺を慰める……な」
「狂ってますっ……!」
水月の狂気に、プライムは、怯えたように青ざめた。
水月は、しごく真面目に続ける。
「防御は無理。回避も無理。逃亡も無理。いわんやアンネを庇うなんてとてもとても。ただ……一つだけお前には選択肢が残ってるだろう?」
「何を……」
「葛城さくらの持つ、金剛夜叉と対をなす魔術。さくらが無形魔法遺産に選ばれた原因。お前も使えるんだろう?」
「……っ!」
プライムが、また一段と、青ざめた。
「それを使えばいい。お前は助かりアンネも回収、イクスカレッジも無事ですむし、邪魔な俺は消える。いい事尽くめでどっとはらい、だ」
「……使えるわけがないでしょう!」
「だったらここで俺もろともアンネもろとも一緒くたに燃え尽きるんだな?」
「…………」
プライムは、答えなかった。
水月が突きつけた天秤の両端が、あまりにも重過ぎるのだ。
本来、どちらにも、傾いてはならない可能性。
「ま、俺はどっちでもいいんだけど……決めるなら早くしろよ。お前が回復するのを待つほど俺はお人よしじゃない」
言って、
「――現世に示現せよ――」
水月は、想像のうちに、ありったけの魔力を召喚する。
辺り一帯が、五感に覚えぬ、原初の物理量で溢れる。
ほぼ同時に、プライムの目に、鋭利な意思が宿った。
プライムも、また壊れかけた体をおして、トランス状態に移行する。
「――吾は一言にて放つ――」
人には感知できぬ存在の根源が、プライムの周囲を取り巻く。
二人は、敵に向かって両手を突き出して、そして唱える。
「――金剛夜叉――」
「――オワレ――」
二人の想が現となる。
水月の両手の先に魔力が収束し、それは苛烈な熱を持つ。
プライムの両手の先に魔力が収束し、重力が一点に堕ちこむ。
水月の両手の先に形作られているのは、小さな太陽にも似た炎熱の球体。
プライムの両手の先に形作られているのは、小さな黒陽にも似た漆黒の空間。
炎熱の球体は、周囲の魔力を取り込み、熱に変え、指数関数的にその温度を上げていく。
漆黒の空間は、周囲の魔力を取り込み、重力に変え、指数関数的にその落下加速度を上げていく。
炎熱の球体は、人をも飲み込めるほどにまで大きく成長し、その熱たるや、既にして数百万度のプラズマとなって燦然と輝いている…………まるで太陽だ。
漆黒の空間は、人をも飲み込めるほどにまで大きく成長し、その重力たるや、既にして光の脱出できない無明の闇となって黒く暗く澱んでいる…………まさにブラックホールだ。
星の躍動と、星の終焉。
役水月と葛城さくらの、対に具えた、二つの魔術。
天体の縮図を具現した、陽と陰の太極図。
そして、一人は躊躇いなく、一人は決然たる統制をもって、それぞれの魔術を敵に向けて撃った。
街一つを消し飛ばす光と、星一つを呑みかねない闇の、それぞれのエネルギー塊は、お互い弾丸のごとき速さで放たれ、接触し、そして闇が易々と光を飲み込んだ。
ブラックホールは、太陽を、事象の地平面の内側へと落とし込み、そしてその延長線上にいる水月までもを、呑み込もうと襲い掛かる。
水月は、避けようともしなかった。
何物をも引きずりこむ、光学的に観測不可能な闇を前に、ただ一回だけ……深呼吸。
「ああ……これでいい」
そして水月はブラックホールに呑み込まれて、死んだ。




