第一エピローグ01
(情報端末は魔法と呼んでもいいんじゃないだろうか)
などと、情報端末のディスプレイを見つめながら、役水月はそう思う。
電気通信によるコミュニケーション、インターネット、記録、カメラ、メモ、ゲーム、音楽、GPS……エトセトラエトセトラ。
こんなものが過去にわたったら、クラークの第三法則そのものズバリである。
「まぁ……どうでもいいんだがな」
自虐的に、そう呟く水月の手元で、端末が、ピコピコと、電子音を鳴らす。
水月は、単純なパズルゲームのアプリで、暇を潰していた。
「む……」
水月の眉が、ゆがむ。
端末の画面に映るゲームアプリが、十つ目のステージの、途中で止まった。
「難しいな……」
そうひとりごちながら、カーソルを、上下左右に動かす水月。
パズルは、解けそうになかった。
水月は、早々に、パズルのクリアを諦めて、その後に情報端末を収め、
「ふわわ……」
のんきにあくびを一つ。
水月が座り込んでいる場所は、とあるカレッジの、とある講義棟の屋上。
原則として、生徒の立ち入りは厳禁なのだが、カレッジの生徒である役水月は、とくに罪悪感もなくそこにいた。
空は、青と白が七対三のいい天気で、床は、無機質なタイルが敷き詰められていて、オーガニックな映像と、ジオメトリックな映像が、水平に天地を分けている。
今頃、階下の講義室では、受けるべき講義が、おこなわれているだろうことをわかっていながら、それでも水月は、屋上にいた。
広義的な意味での、サボタージュだ。
「自主休講って言葉には、人心を惑わす何かがあるなぁ……」
雲を眺めながら、水月は、そんな独り言。
弱いとはいえない陽射しに、目を細めていたところ、水月の視界に、ハラリと帳のように影が落ちた。
座って上を見上げる自身と対称的に、立って自身を見下ろす人間が、ふりそそぐ日光をさえぎったのだ、と水月は理解する。
「チャオ、水月先輩♪」
清く透きとおった、メゾソプラノ。
黄色人種としては色白な水月のそれよりも、なお白い肌を持った一人の女生徒が、水月を見下ろしたままで微笑んでいた。
「ラーラ……」
水月が、少女の名をつぶやく。
ラーラと呼ばれたその少女は、名前を呼ばれたことによって、微笑みを少しだけ深くする。
ウェーブのかかった少女の髪は、薄茶色のボブカット。
愛嬌のある瞳が特徴の、典型的なイタリア美人だ。
カジュアルな私服も、よく似合っている。
少女本人に自覚があるのか知るよしもないが、陰ながらラーラを慕う男子生徒がチラホラいたっておかしくはない…………ラーラ=ヴェルミチェッリは、そんな少女だった。
「先輩ってば今日もおサボ? 無学は神の呪いで、知識は天にいたる翼ですよ? 人間は楽園の安寧とひきかえに知恵を得たんですから、学びうる教養を学ばないことは単純に損だと思いません?」
「うるせーな。人のこと言えた義理かってんだ」
「私も……えへへ……おサボなのです」
「あっそ」
「あー、何ですかその淡白な反応。傷ついちゃいますよぅもう」
「そんな薄い面の皮してねーよ、お前は」
おざなりに言いつくろいながら、水月は再度、端末を起動させて、ポチポチと操作する。
「先輩、何やってるんです?」
「ゲーム」
「何のです?」
「パズル」
「…………」
「…………」
沈黙が降りた。
ほぼそれと同じタイミングで、ラーラが水月の背中にのしかかるように、背中を預け…………つまり水月と、背中をあわせるかたちで、座り込んだ。
ラーラは、芝居じみた溜息をつく。
「あーあ、メランコリーにメランコリックですよ、私……。たしか日本では世間虚仮っていうんでしたっけ? なんだか無性~に無常~な気分です……。なんとかしてください先輩」
「知るか。あと重い」
「……ウェヌスも恥じいる花の美少女になんて暴言ををををを」
「憂鬱を解消する手段をご所望なら薬でも飲みやがれ。抗うつ剤からアッパー系まで探せばなんでもあるだろ、ココは」
「私は先輩に頼んでるんですが……」
「我々の知ったことではない。お前の問題だ」
「……葛城先生にも同じことを言えますか?」
「まさか、だな」
「不公平じゃないですか」
「真に博愛主義者でもないかぎり、どうしたって人間関係はパレート効率的になるんだ。神が世界を公平につくったのならルキフェルは反乱なんかしてねえだろうよ」
「パレート改善を要求します」
「要求は却下されました」
「要求が受け入れられない場合はストライキも起こす覚悟です」
「もう既に講義をストってるだろ」
「……ちゃんちゃん」
「…………」
「…………」
沈黙。
ヒュルリ、と、風が、屋上を撫でる。
しばらくして、ラーラがつぶやいた。
「私たちって何をしてるんでしょうね……」
「お前の言う、私たち、の母集団を定義してくれんことには質問に答えられん」
「このカレッジのことです」
「魔法魔術を専門とする研究および教育」
「そんな模範解答をききたかったわけじゃないんですけど……」
「だったら質問を明確にしろ」
「魔法検閲官仮説にのっとる以上、魔法の実利的側面を文明に反映させることは難しいんですよね? だったらこのカレッジのレゾンデートルってなんなのかなぁ、なんて思いまして」
「さてね。俺の関知するところじゃないが……あえて言うならロマンじゃないか?」
「……ロマン、ですか?」
「言葉が綺麗すぎるな。訂正しよう。遊び心、だ。ただ生きるだけなら別にヒトは人である必要はない。教養や娯楽じゃ腹はくちくならないし」
「……夢があるやらないやら」
「実利だけを求めるのならカンバスにペイントを塗るよりパンにジャムを塗るほうが有意義だろう。ダイヤモンドは装飾品にするより燃料にするほうが生産的だろう。んだでもそれじゃ世の中は楽しくないなってなもんでな」
「見事に捻くれてますね」
「お互い様お互い様」
言って、水月は、二度目のあくび。
「噺家殺すにゃ刃物は要らぬ。あくび三つで即死する」
なんて言葉があったな、そういえば、などと益体もないことを、ふと思いだして、水月は出そうになった三度目のあくびを、かみ殺す。
背後のラーラが、口を開いた。
「そういえば先輩先輩先輩、私ってばもうすぐ永遠の十七歳の誕生日なんですよ?」
「ふーん」
「あれぇ? 何ですかその反応は。もっと祝ってくださいよぅ」
「知らんがな」
「そう言われればそれまでなんですけど……なんかアレですね……。物悲しいですね……。そうだ! 私の誕生日はここで祝ってくださいよ。ケーキとか持ちこんで、講義をサボって、二人だけで秘密の誕生日会!」
「頑張れよ」
「あれぇ? 会話の流れがおかしくありません?」
「気が向いたら祝ってやるよ……」
「……え?」
会話の転換が急すぎた、とは水月自身も、自覚していた。
「だから誕生日の件。気が向いたら祝ってやるよ」
「ほ、ほんとですか! 嘘じゃないですよね? 男に二言はありませんもんね? 日本人は嘘ついたら針を千本ジョッキで一気呑みしなきゃいけないんですもんね?」
「なんか微妙に制裁の内容が生々しく改ざんされてる気が……」
「ケーキは……研究室の冷蔵庫にでも入れておいてですね、当日取り出すんです。それで見つからないように……って、あ、大事なこと忘れてました……」
「何?」
「コンスタン教授が先輩のこと探してましたよ。放課後に顔を出しなさいって……」
「…………」
沈黙がおりた。
「……怒ってた?」
恐る恐る聞く水月に、
「……渋面ではありました」
ラーラは、婉曲な返答をした。
「あーあ……めんどくせ」
けだるげに、そうぼやいた後、水月は立ち上がった。
「あれ? どこに行くんですか先輩?」
「教授んとこ」
「でも放課後って……」
「どうせ今もいるよ。社長椅子にふんぞり返って書類とにらめっこしてるはずだ」
水月は、疲れたような声で、そう言った。