第一エピローグ18
軌道を逸れた炎の鳥は、建ち並ぶビルの一つへとぶつかり、そのビルの上半分を、丸ごと爆砕した。
炎熱が壁を飲み込み、衝撃が柱を砕き、轟音が悲鳴をかき消す。
先ほどまでの水月の魔術とは、段違いの威力……ミサイルもかくやの破壊容積だ。
「全力で迦楼羅焔を撃つなんて……気でも触れましたか……!」
そんな、迦楼羅焔を知っているプライムの記憶さえ、今の水月には、いちいち癪に障る。
笑いの衝動が枯れた後には、冷えた心だけが残った。
水月は言った。
「……お前は、殺す」
「ええ、私もあなたを排除してから安全にカイザーガットマン様をお運びすることが最良かと思っていました。今のあなたは危険すぎる……」
プライムも、また静かに応じる。
そして、
「――現世に示現せよ、後鬼霊水、秋水――」
「――吾は一言にて放つ、マガレ――」
二人の魔術が、同時に発動する。
水月の腕に、まとわりつくように発生した水は、超常的な圧力をかけられ、糸のように細く射出される。
それは、プライムに接触する直前に、軌道を逸らし、周りのビルに細い穴を穿つ。
そのまま水のレーザーが、左右にぶれると、スッパリとビルを両断した。
一つのビルが、鈍い音を立てて、崩れていく。
が、二人は、一向に気にしなかった。
今度は、プライムが仕掛ける。
「――ウガテ――」
プライムが、服のどこかからか銃弾を取り出すと同時に、その銃弾は、急激な加速で、マッハを越えて水月へ襲い掛かり、
「――千引之岩――」
水月が張った不可視の障壁によって、あらぬ方向へはじかれる。
逸れた弾丸が、やはり周りのビルに着弾して、一部を粉砕しつつ貫通する。
「――前鬼戦斧――」
「――ワカテ――」
二人の放った巨大な斬撃が、相殺しあって烈風を生む。
(敵の手札はわかってる。が、敵がさくらの記憶を持っている以上こっちの手札も晒したも同然……。さて、どうする……)
頭を捻った後、水月はビルの屋上の端っこで寝ているアンネを、ちらりと見やった。
(ちょいと外道だが……これだな……)
心の中で頷くと、水月は右手を、アンネに向かって振る。
同時に、
「――現世に示現せよ、前鬼戦斧――」
魔術を起こす。
水月の手元から発生した巨大な斬撃は、プライムではなくアンネの、そのすぐ手前を切り裂いた。
ビルの屋上の隅、アンネを乗せた屋上の一角が、切断面に沿って崩れる。
「っ!」
一瞬動揺した後、落下するアンネを拾おうと、プライムが宙へ飛び出した。
アンネを抱きながら落下するプライムを追いかけて、水月もまた、宙に身を躍らせた。
水月は落下するプライムを見下ろし、プライムは跳躍した水月を見上げる。
二人は、同時に、呪文の詠唱を始める。
「――現世に示現せよ、後鬼霊水、秋霖――」
魔力の入力と演算。
水月の周囲に発生した大量の水が、無数のレーザーとなって、プライムとアンネめがけて、雨霰と襲いかかる。
それは、
「――吾は一言にて放つ、カコメ――」
プライムの周囲に張られた、不可視の障壁によって弾かれる。
次瞬、水月は、
「――迦楼羅焔、迦楼羅焔、迦楼羅焔――」
炎の神鳥を三だけ、プライムの落下地点へ向けて、放った。
「――ナガセ――」
プライムも、また次なる魔術を起こす。
プライムの周囲に颶風が吹き荒れると、それは三つの神鳥を受け流し、プライムとアンネを、やさしく地面へと下ろす。
風に流された迦楼羅焔が、周囲のビルの根元を爆砕する。
水月は崩れるビルと千引之岩とを蹴って、華麗に地面に降り立った。
プライムは、押しつぶそうとするビルを、真っ二つに両断して、その切れ目から安全圏へ抜け出した。
ビルの崩れが落ち着いたコンクリートの荒れ野で、二人が対峙する。
プライムが、信じられないものを見る目で、水月を見ていた。
「……正気ですか?」
「自信はないな」
プライムの言葉の真意はわからなかったが、とりあえず素直に答える水月。
「私にカイザーガットマン様を助けさせ、私たちを殺すに十分な魔術を撃ち込んだ。カイザーガットマン様ごと私を始末するつもりだったんですか?」
糾弾にも近いプライムの言に、
「ああ」
水月はさっぱりと答えた。
何を当たり前のことを、とでも言いたげな口調だ。
「アンネもろともってのが一番効率よくお前を殺せそうだったからな」
「あなたは……狂っています……!」
「だから魔術師に正気か狂気かなんて不毛だろう?」
はん、と水月は皮肉げに笑う。
「俺のさくらが死んだんだぜ? その意味がお前にわかるか? 人類を皆殺しにしたって釣りがくるくらいだ。いわんやアンネの一人や二人死んだから何だってんだよ?」
人は、自分を他人に仮託したとき、最も残酷になれる。
さくらに自己を仮託した水月は、どこまでも本気だった。
そんな水月の絶望を振り払うように、プライムは力強く説いた。
「葛城さくら様は死んでなどいません。その形相は永遠に保存され、すなわち葛城さくら様もまた永遠になったのです。そしてカイザーガットマン様もまたこれからその名誉を授かることになるのです。無形魔法遺産に名を連ねる栄誉に」
「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな……」
「あなたもアークを求める魔術師ならばこれがどれほど誉れ高いことか、わからないはずもないでしょう!」
「は……アーク……アークね……」
ははは、と、渇いた笑いが、また零れる。
プライムは、言葉を続けた。
「この世に真なる無秩序など存在しません。何かが生まれいずるということは即ち演算可能な形相に従ってそれを編み上げることです。これは人工物にかぎらず自然の……宇宙の全てがそういう仕様です。それが一見無秩序に見えるというのなら、それは人類の認識がまだ追いついていないだけのこと。げんに人類は複雑系という手法で自然のアルゴリズムの一部を解明しています。すなわちこの世の全ての存在は、その有象無象に限らず全て設計図にも似た何かしらの統制をもって定義されているのです。それは質料に依存していながら質料と乖離した形相と呼ばれる構築式。宇宙の全ての質料が形相という構築式を持つのならば、我々魔術師はテセウスの船の問題についてこう答えましょう。いかな時間軸上のものであろうとそれらは全てテセウスの船である、と」
「アリストテレスの提唱した原因か……」
それは一つの考え方である。
形相は、質料への依存なくして成立しえないが、質料の如何には頓着しない。
「その延長線上に存在する仮想存在……」
「はい。隙間の神効果によって、魔術における術者の演算能力の欠陥を補填する《何か》が提唱されます。その思考実験の延長線上に浮かび上がる《宇宙の全ての形相を管理する記憶装置にして入力装置にして演算装置》という仮想存在……名をアーク。なればこそ全知は確かに存在します。この宇宙の有象無象の全ては演算できるのです……!」
「そしてさくらやアンネマリーはそのアークに到る鍵……か……」
「はい。全ての質料は大なり小なりアークとリンクしています。そして自我は意図的にそのアークにアクセスする力を持っています。人より巨大な力を持つ人は、それだけアークに近いということでしょう」
「あくまで可能性の話だろ」
「ですが、挑むに足る高み」
決然たる意思で、プライムは、言い切った。
水月は、皮肉げに笑うのみだ。
「そんな方法は、ないかもしれない」
「しかし今までの手法がアークに辿りつけないとも間違いとも判断するには人類には研鑽が足りません。天動説しかり、地球平面説しかり、人類は永い誤認の果てに正解へと辿りつきました。そしてそのために多くの犠牲と研鑽を重ねます。魔術師もまた今の手法がアークに辿りつけるか否か研鑽し、否であれば正しき道を新たに見出すでしょう」
「過去の栄光が未来の栄光を約束したりはしない」
「しかしおびただしい研鑽と失敗と無念こそが正解へのきっかけだと人類は歴史に学んでいます。であればこれを止めることはないでしょう。これは真理でなくとも真理ほどに光り輝く考えです」
「言葉は美しいが、それがさくらを殺す理由になるのか!」
「なります」
躊躇なく、プライムは、言い切った。
「開き直るつもりはありませんが犠牲とは進歩の燃料です。美化するつもりはありませんが葛城さくら様の遺産化は私たちに必要なことでした。葛城さくら様の犠牲は我々に望まれたことであり必要な過程です」
「…………」
「我々は人道主義への考慮と線引きを五百年前に終えています。葛城さくら様の犠牲はその範疇ではなかった。ただそれだけのことでしょう?」
どこまでも誠実に説いてくる目の前の少年が、水月はどうしようもなく憎らしかった。
「あなたも魔術師ならわかっているはずです。全ての存在は人工自然を問わず創りだせるが故に創りだされる。そして創れるならば形相という名の設計図が存在し、複製することもまた可能。極論を言ってしまえば宇宙の全ての現象は再現できる。いえ……逆に、宇宙には再現できる現象しか存在しえない、と言った方が正しい。この世に真に唯一無二であるものなど存在せず……それは葛城さくら様とて同じこと」
「そんなことのためにお前たちは俺の初恋を……!」
「ええ、奪いました。あなたの恋慕も思い出も、どころか葛城さくら様と出会った事実さえも全ては再現可能な一つの現象にすぎません。我々はそんなことを考慮したりはしない」
「なら俺がてめえらの都合を考慮するいわれもねえな」
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。あなたはそこで蹲ってしまうのですね……」
言って、二人は、同時に呪文を唱える。
「――現世に示現せよ、後鬼霊水、秋霖――」
「――吾は一言にて放つ、カコメ――」
水月は、圧縮した水のレーザーをプライムに向けて、無数に撃ち出した。
一つ一つが、ビルさえ抵抗なく断ち切る威力の斬撃は、しかしプライムの不可視の障壁によって、例外なく四散する。
(これだ。全周囲を魔術障壁で囲んで質量エネルギー問わず漏れなく拒絶する。厄介極まりないな……)
近距離戦闘に持ち込ませず…………遠距離戦闘で完封する、葛城さくらの最たる魔術だ。
(が、無敵ってわけじゃない。じゃないと随時解く理由がないからな。……はてさて)
ならば、と、
「――現世に示現せよ――」
次の魔術を起こす水月。
「――迦楼羅焔、迦楼羅焔、迦楼羅焔――」
巨大な炎の鳥が、都合、三つ羽ばたく。
一羽が、プライムへと直進し、二羽が左右から挟撃する。
(周囲の酸素を先に奪ってしまえば魔術障壁も解かざるをえなかったりして……!)
三羽は、魔術障壁に接触する直前に、大爆発を起こした。
一つ一つをとっても、ビルをも粉砕する爆発だ。
当然、周囲は炎にまかれ、酸素は急激に奪われ、あたりの気温は急激に上昇する。
「――現世に示現せよ、後鬼霊水――」
水月は、新しく呪文を唱えながら、その炎熱地獄の中に、とびこんだ。
炎と煙をつっきり、プライムを視界に捉える。
プライムは、風で炎を避けながら、上空へ逃れようとしているところだった。
二人の目が合う。
まさか、水月が爆炎の中をつっこんでくる……とは思っていなかったのか、プライムの顔は引きつっていた。
水月は、生み出した大量の水を用い、自身を押し流すことで、炎を逃れながら接近したのだ。
ついでとばかりに、水の濁流が、プライムとアンネを捕らえると、そのまま巻き込んで、三人を爆発の圏外へと押し流す。
先に体勢を整えたのは、水月。




