第一エピローグ15
「わーっー!」
「わっ!」
アンネとラーラの、首根っこを掴んだまま、逃げ出す水月。
「逃げるってどこにー?」
「知らん。とりあえず追っ手のとどかなそうなところに身を隠す。この際クラブでも何でもいいだろ」
併走するアンネの疑問に、そう答える水月。
「いいかアンネ。全ては時間との勝負だ」
「時間ー?」
「今、俺の知己が日本から迎えにきている最中だ。多分明日には着くだろうからお前はそれに連れられて知己の実家に向かえ」
「へー? んー? どういうことー?」
「魔法メジャーから狙われている以上捕捉される場所のどこに逃げても意味はない。が、知己の実家はとある山から通じる異空間にある。そこまで逃げることができればお前の勝ちだ」
「異空間って……そんなことできるのー!」
驚いたようにアンネ。
「量子が空間量を支えている以上、魔法で新規に空間を創ることが不可能じゃないのは理屈だろう。とまれアンネ、そこまで逃げ切れば追っ手もかわせる」
「はー、水月の知己の実家ねー」
実感がわかないのか、呆けたように、そう言うアンネ。
「ていうか何で異空間なんかに住んでるのー?」
アンネは、うさんくさそうに、水月を見やった。
ふん、と鼻をならす水月。
「魔術旧家じゃそう珍しいことじゃない。中国の魔術師たる仙人は桃源郷って異空間に隠遁してるって例もある。で……アンネ、後はそこで寝て暮らせ。知己は金持ちで使用人も無駄にいるから働かなくていいぞ」
「マジでー!」
最後の一言に、目を輝かせるアンネ。
「で……」
ラーラが、会話に割り込むように、言った。
「この後どうするんですか?」
「どうすっかね……」
辺りは、背の高い廃ビル等に囲まれて、日射は届かず、薄暗い空間だった。
表通りとは違う陰気な匂いが、周囲を包んでいる。
道行く人も散見できたが、誰も彼も、あまり友好的には見えない服装をしていた。
「裏路地か……」
警察力の届かぬ空間。
イクスカレッジの裏の顔。
ちらほらと、怪しげな店の看板も見えた。
「逃げる隠れるにはちょうどいい場所に出たな。クラブにでも一晩篭らせてもらって……それから知己の迎えを待てばいいだろ」
「それは困りますね」
答えたのは……アンネでもラーラでもなかった。
「っ!」
少しの驚愕とともに、振り向いた裏路地の通りの向こう。
水月たちを行く道を塞ぐように、黒衣仮面が立っていた。
「ひっ……!」
アンネとラーラが、怯えて、あとずさる。
黒衣仮面の視線から守るように、水月はアンネを体で隠し、
「ラーラ、アンネと一緒にさがってろ」
それから毅然として、黒衣仮面に話しかける。
「早いな……」
「ええ、移動用の魔術を少々。追いかけるのは簡単でした」
「ケイオスはどうした」
「寝かせてきました。私の目的はカイザーガットマン様を迎えること。その他のことには干渉する気はありませんし、無益な殺生もまた同じく。今もあの場所にいることでしょう」
「足止めのつもりが戦力分散の愚をおかしただけってか」
「あなたが私と争うつもりならそういうことになりますね。しかしこちらは争う気はありません。再三ですが説きましょう。カイザーガットマン様をお渡しください」
「断る、と言ったら?」
「その理由がないでしょう。あなたにとってカイザーガットマン様は袖すりあった程度の他人でしょうに。むしろ何をもって庇うのですか?」
「見捨てたら後味が悪いだろう」
「人道主義ですか。まぁそれもいいでしょう。どちらにせよ先ほどのあなた方の魔術のせいで騒ぎは起こったも同然。私は構いませんが……」
「――現世に示現せよ、後鬼霊水――」
またしても不意打ち。
黒衣仮面が、だらだらと喋っているところに、水月が魔術を叩き込む。
水月の手から水が迸り、それは強烈な弾丸となって、黒衣仮面へと飛んだ。
当たれば、人の意識を奪うほどの威力の弾丸は、
「――マガレ――」
しかし、軌道が逸れて、小路の向こうのビルの壁へと、食い込んだ。
コンクリートの壁を粉砕して、水の弾丸は止まる。
「っ?」
水月の狙いは、正確だった。
外すつもりのない一撃は、しかし微動だにされず、避けられた。
質量魔術じゃ駄目そうだ、と対策を講じて、次弾を放つ水月。
「――現世に示現せよ、前鬼戦斧――」
今度は、目に見えぬ斬撃が飛んだ。
しかし、
「――マガレ――」
やはり、軌道の逸れる結果となった。
ビルに、巨大な斬撃の爪痕が、できる。
「役行者の操った鬼神、前鬼後鬼にあやかった魔術……見事な精度です」
「そりゃどうも……」
簡潔に応酬する、水月と黒衣仮面。
水月は、両手を開いて握って開いて握ると、首の骨をコキコキと鳴らした。
「アンネ、ラーラと逃げてろ。ちょっと派手にやる」
「えー、でもー……」
「巻き添えを食らって死にたいってんなら別に止めはせんが……それが嫌なら仮面野郎の視界から消えた後でそこら辺の店に隠れとけ。俺が足止めする」
「うー、うんー……!」
そう頷いてから、よたよたとふらつきつつも、アンネとラーラは逃げに走った。
同時に、水月は呪文を唱えだす。
「――現世に示現せよ、木花開耶――」
水月の魔術が起こり、どこからか、桜の花びらが、ひらひらと現れる。
それは一つが二つ、二つが四つ、四つが八つ、八つが六十四つ、六十四つが三百八十四つと指数関数的に増えていき、花びらが辺り一面を埋め尽くした。
桜吹雪の如き風景を再現するのに、大した時間はかからなかった。
もう半径百メートル四方は、桜の花びらが咲き乱れ、咲き誇り、どこもかしこも花吹雪……といった様子だ。
それは幻想的で美しい魔術だったが、本質はそこにはない。
質量を、空間にばら撒くことで、視界を著しく遮ることが、水月の狙いだ。
事実、もう既に、十メートル先も見えないほど、花びらの密度は高まっていた。
ラーラの逃走を、補助するための魔術である。
その狙いに気付いたかどうかは、わからなかったが、黒衣仮面は、花吹雪の向こうで、感心したように呟いた。
「桜花の乱舞……あいもかわらず、あなたの魔術は美しいの一言ですね」
――あいもかわらず、との言葉が引っかかったが、水月は、とりあえず黒衣仮面と対峙することに、集中する。
「――現世に示現せよ、迦楼羅焔――」
黒衣仮面に向かって、炎の塊を飛ばす水月。
それは、桜の花を貪りながら直進し、
「――マガレ――」
やはりというべきか、軌道が逸れて、横のビルへとつっこみ、大爆発を起こした。
ビルは、狭い小路を、はさむように、建ち並んでいる。
当然、爆発の余波は、黒衣仮面にも向かった。
「っ……!」
多少、焦る様子の、黒衣仮面には構わず、
「――迦楼羅焔、迦楼羅焔、迦楼羅焔――」
水月は、魔術を連発した。
都合三つの炎の塊が、黒衣仮面へと襲い掛かり、やはり軌道が逸れて、ビルの側面で爆発する。
もくもくと上がる炎と煙が、黒衣仮面の姿を隠したが、やはり水月は構わず、次の魔術を起こす。
「――現世に示現せよ、千引之岩――」
同時に、水月の周囲各所に、不可視の障壁が、複数創られた。
「……縮地」
そうポツリと呟いた水月は、不可視の障壁と、ビルの側面を足場に、あっというまに黒衣仮面との間合いを詰める。
黒衣仮面の背後を取った水月の、見舞おうとしたかかと蹴りは、
「――カコメ――」
不可視の障壁に拒絶され、弾き飛ばされる。
「……っ!」
多少混乱しながらも、空中で器用に身を振って、無事体勢を整える水月。
(カコメだとっ!)
愕然としながらも、水月は間合いをとる。
次の瞬間、水月と黒衣仮面が、同時に呪文を紡ぐ。
「――現世に示現せよ、前鬼戦斧――」
「――吾は一言にて放つ、ワカテ――」
両者から発生した魔術の斬撃は、互いにぶつかり合って霧散する。
梵我誤差。
そして、それは水月にとって、驚愕に値する事実であった。
「どういうことだ!」
瞳孔が広がるほどの驚愕に身を委ね、水月は叫んだ。
「どうしてお前が葛城の呪文を使っているっ!」
――吾は一言にて放つ――
それは、言霊の神格たる、葛城山の一言主を、あらわす言の葉にして、葛城一族が多用する魔力の入力の呪文だ。
葛城一族の魔術師以外に、使う者なき呪文である。
それを、いかな理由からか、黒衣仮面は使ってみせた。
水月にとっては、信じられないことである。
「お前……さくらか! さくらなのか!」
「答える必要を感じません」
黒衣仮面は、どこまでもそっけない。
目の前にいるのは、初恋の君か、否か。
それは、黒衣と仮面に閉ざされて、水月が知ることはかなわなかった。
「――吾は一言にて放つ――」
「もしかしてお前、魔法メジャーの洗脳を受けて……!」
「――ウガテ――」
悲鳴にも似た、儚い希望を吐露する水月に向かって、容赦ない魔術の弾丸が撃たれた。
水月の腹部に、衝撃が炸裂し、
「がぁ……!」
酸素が、気道を逆流する。
そのまま倒れようとする水月の体を、いつのまにか距離をつめていた黒衣仮面が、掴んで止めた。
黒衣仮面が掴んだのは……首。
(しまっ……もろ頚動脈……!)
水月の本能は焦ったが、肉体と理性は、反応しなかった。
肉体は、先ほどの衝撃の余韻を、いまだ残し、理性は混乱極まっていた。
(マリーはさくらが死んだと……じゃあここにいるこいつは何で葛城一族の魔術を?)
葛城さくらの死の可能性。
黒衣仮面の正体。
それら二律背反する事実が、水月の思考を、混乱させていた。
その間にも、頚動脈を塞がれて、水月の意識は、段々と薄れていく。
桜の花の乱舞を背景に、覗き込むように水月を見る、黒衣仮面の仮面ごしの視線には、何の感情も浮いてはいなかった。
「ぐっ……がっ……」
言葉にならない誰何の声をあげて、水月の意識は、闇に沈んだ。




