第一エピローグ12
「うーまーいーぞー」
「むぐむぐ」
「ほう……これはなかなか」
女三人寄れば姦しい……という。
「ケーキー」
「はむはむ」
「焼き加減もいい」
読んで字の如く、女性同士が集まれば、騒がしくなる、ということだ。
「バウムークーヘンー」
「あぐあぐ」
「ケーキ一つとってもこうも違うものか」
水月の目の前に広がっていたのは、その言葉通りの光景だった。
その日の放課後。
昨日、ラーラに教えられて赴いた喫茶店ロマンスに、一日おかずに来店した水月であったが、今日の連れの数は、昨日の三倍にまで膨れ上がっていた。
昨日と同じテラスの、水月が座っている席の右手にはアンネが、左手にはケイオスが、対面にはラーラが、それぞれ座っている。
テーブルの上に並べられたケーキは、十五種。
ロマンスで売られているケーキ全種類だ。
占めて五千五百円也。
伝票は、水月の飲んでいるコーヒー……その受け皿を重しに潰されており、つまり誰がここの支払いをするのかは、火を見るより明らかであった。
曰く、「私ー、零細ですしー」
曰く、「報復です」
曰く、「金離れがいいのはいい男の証明だぞ役君」
つまるところ、かしまし娘どもは、一銭たりとも払う気がないらしかった。
そのくせコーヒーを嗜んでいる水月の前で、遠慮も配慮もなく、ケーキの束をちぎっては投げちぎっては投げといった勢いで、攻略しつつある。
(まぁ……どうでもいいんだけどな)
わりかし投げやりに、財布事情を思考の隅へと追いやると、水月は昼間にアンネの別人格マリーと交わした言葉を反芻していた。
「つまりね、無形魔法遺産に選ばれた人間は脳をえぐりとられて保存されるんだ。優秀な魔術師の持つ脳の形相を文字通り遺産にしてしまうんだよ。魔法メジャーが行なっている叡智の収集、その実態だね」
たしかにマリーは、そう言った。
自分は、魔法メジャーの追っ手から逃げている、ともマリーは言った。
そして事実、アンネは、ネズミに組織的に追われていた。
(李左車、井陘口の罠じゃねーか……)
逃げる場所を選べなかったのが、マリーの本音であろうが、ともあれ水月はあきれた。
しぶい顔をしてコーヒーをすする水月を、アンネが、目ざとく気付いて話しかけた。
「水月ー。ケーキ食べないのー?」
「……むしろ俺の金なんだけどな?」
「ともあれー」
「無視か。無視ですか」
「なんだか先輩が難しい顔してるって言いたいんじゃないんですか。アンネちゃんは」
「んなこたーわかっとる」
横から割って入ってきたラーラに、簡素に応じる水月。
「悩みがあるなら聞くぞ役君。イクスカレッジにおける治安維持の不透明性については確かに大きな問題だ」
「そんなもん悩んでるのは警察だけだ」
フリーの放課後だというのに『正義』と書かれた腕章をつけているケイオスに、律儀につっこむ水月。
(言うべきか。言わざるべきか。それが問題だ……)
なにせアンネはマリーのことを知らず、どころか自分が二重人格だとさえ知らない。
ということは、自分が魔術結社に狙われていることも、知らないということだった。
ただ、マリーの警告文を読んで「恐いお兄さんたちに襲われているから、何となく逃げている」というだけだ。
(……どうすっかなぁ)
コーヒーをすすりながら「ううむ」と水月が悩んでいると、
「やっぱり水月が難しい顔してるー」
アンネが、テーブルに身を乗り出して、水月の顔を覗き込んでいた。
キスまで、あと数センチ。
「離れろ。うっとうしい」
グイ、と、アンネの顔を押しのけ、それから水月は、アンネに話しかける。
「あー、ちょっといいか?」
「なにー?」
「結論から言って、お前は魔術結社に狙われている」
水月は、遠慮なく、事実を告げた。
「はえー?」
アンネがとぼけ、
「ぶっ!」
ケイオスが、紅茶を噴出した。
「ど、どういうことだ役君!」
血走った目で、真相を求めるケイオスを無視して、水月は続ける。
「アンネ、お前に警告文を書いてくれたあしながおじさんがいるだろ」
「うんー」
「今日の昼、俺はあしおじに会ったんだ」
「略すんですか……」
ラーラのつっこみは、華麗に無視。
「で、お前を守ってくれと言われた。多分昨日のチンピラどもは魔術結社の手先の手先だ」
「はー」
よくわかってなさそうな表情で、首を傾げるアンネ。
代わりとばかりに、ケイオスが身を乗り出した。
「ど、どういうことだ役君!」
「それはさっき聞いた」
「どこだ! どこが狙ってる! イルミナティか? シオン修道会か? ゴールデンドーンか?」
「そのやりとりも既に終えてる。ちなみに狙ってるのは魔法メジャー……らしいんだが」
「何故!」
「何でー?」
ケイオスとアンネの疑問が、重なる。
水月は、肩をすくめた。
「アンネの中に魔法的価値を見出したらしい。脳髄えぐりとって保存するんだとよ」
そう言って、マリーから聞いた、無形魔法遺産の実態を話す水月。
「それは嫌だー」
どこまでもマイペースなアンネと、
「何ーっ!」
当事者より、過剰に反応するケイオスと、
「脳髄って……ケーキがまずくなる話はやめましょうよ……」
フォークを咥えながら、顔をしかめるラーラ。
「でー?」
アンネが、結論を急ぐ。
「それを聞いた私は、結局どうすればいいのー?」
「いや……どうすればって話でもないんだが……あえて言うなら……御武運御健闘のほどお祈りいたします」
「見捨てられたー? もしかして私ー見捨てられてるー?」
「いや、それはお前の問題だから俺の口からはなんとも……」
「完全に見捨てる気満々だよねー!」
「正直お前を灰にして全部なかったことにしたくはあるんだが……」
「笑えないよー」
「お前を狙ってる奴には俺も用があるからな。保護はしてやるよ」
ケイオスが、水月の頬を、つねった。
「何故そんな大事を今まで黙っていたのだ! 完全に警察の管轄だろう!」
「いやぁどうだろうな……。魔法メジャーはイクスカレッジの重要なパトロンだぜ? ケイオス個人はともかく、警察機構はあてにならん」
「うっ……それは……」
言われて、どもるケイオスを無視して、水月は先を続ける。
「とまれ問題はそこじゃない」
「さっきからひどい言われようだー」
「とまれ問題はそこじゃない。その無形魔法遺産の実態が真実だとしたら、だ……。葛城さくらも脳髄をえぐられている可能性がある」
「ぶっ!」
ケイオス、二度目の紅茶噴出。
「葛城先生がかっ!」
「そ。叡智の収集とあしおじは言ってたけどな。実際のところどうなんだか」
「疑ってるんですね」
と、これはラーラの言。
「当たり前だろ。さくらが殺されてるなんて言われて、はいそうですか、なんて言えるかよ」
「でもー本当に死んでたらどうするのー?」
「そうさなぁ……」
ふーむ、と少し悩んだ後、水月は答えた。
「さくらを生き返らせる魔術でも望むさ」
「そういえば魔術で人って生き返るのー?」
「そう珍しい話ではないぞ」
と、これはケイオス。
「それは自分の命と引き換えにーとかー、体は生き返っても心は死んだままーとかー、七つの球を集めてーとかー」
「メディアに毒されすぎ」
と、これはラーラ。
とまれ、と水月が話を修正する。
「人の生死はブリアレーオの法則がかかる顕著な例だから難しくはあるが、機能停止した人体に再起動かけるだけだから……まぁ理論上不可能じゃない」
「けっこう軽いんだねー、人の命ー」
「しかし役君……もし葛城先生が魔法メジャーに保存されているとするなら、それは一年も前の話だろう。遺体は残っていないのではないか?」
「あ……」
ケイオスの指摘に、水月の表情が固まった。
クエスチョンマークを、頭上に生やすアンネ。
「水月ー」
ショートケーキを、フォークで崩しながら、アンネが聞いてくる。
「遺体があるのとないのとじゃ違うのー?」
「全然違う。人体蘇生は曲がりなりにも魔術でできるが人体復元は魔術じゃ無理だ。隙間の神効果には梵我誤差が発生するからな」
「……?」
「魔術には、術者の能力を超える複雑な演算を《何か》が補完する現象が確認されていて、これを現代魔術では隙間の神効果と呼んでいる。これがただこれだけのものなら魔術は万能なんだが、そうは問屋が卸さない。隙間の神効果は術者の目指す現象それそのものより、術者のイメージを優先する。よって魔術は、術者の認識を超える複雑さを持つ現象に対して、その再現性が失われる。これによってなる誤差を現代魔術では梵我誤差と呼んでいる」
「それでー?」
「つまり遺体すら無くなっている人間を生き返らせるってことはだ……当人の体を魔術で新しく創りだすってことだ。これは当人と同じ人間を複製することと同義だ。で、だ……影も形もなくなった当人そのものを一字一句の間違いなく完全無欠に演算できる人間ってのはいったいどこにいるんだ、ってことにならないか? 術者の脳内には当人の正しい設計図がないから欠損も脚色もない完全な当人そのものを創りだすことは不可能なわけだな」
「話が長いー」
「……殺すか」
「役君、それでは本末転倒だ」
ケイオスが、冷静に諌めた。




