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 雑木林を抜けてたどり着いたのは、舗装もされていない一本道だった。左右どちらを見ても、田んぼばかりが広がっている。

「ねえ、今度はどこにいくの?」

「とりあえず街の方だな。そんで次の自殺スポットでも探す」

 なんとなく気の向くままに、雲が流れる方向に歩き出した。しかしいくら歩いても景色が変わらない。振り返ると、シャツから滴る汗が長く線を引いていた。

「このままじゃ、干からびて死んじまう」

「丁度いいじゃん」

「俺はそんな死に方嫌だ」

「文句ばっかり言って。そんなんだから死ねないんだよ」

「……」

「無視はやめてよ」

「体力使うからあんまり喋らすな。だいたい、お前はお喋り過ぎる。死人に口無しじゃねえのか?」

「それ、死体の間違いなんじゃない?」

「あーそうかよ」

 確かにチカと言いキリカちゃんと言い、俺の出会った幽霊はよく喋るやつばかりだ。誰だ、幽霊は陰気なものなんて言い出したのは。

「それにしても、何にも無いね」

「ああ」

 チカは両手を広げて少し走り、くるりと一回転した。スカートが際どい所まで翻り、文字通り透き通る白い太ももを晒す。とりあえず心の中で拝んでおいた。

「さっきの山もそうだけど、ずいぶん楽しそうだな」

「あれ? わかる?」

「悲しい奴が笑顔でターンなんか決めるか。いったい何が楽しいんだ?」

「えへへ、ひ・み・つ」

「あーそうかよ」

「そんなこと言わないで聞いてよ~!」

 なんてめんどくさい。

「興味湧かねえ」

「あたしの太ももには興味津々のくせに」

「ぶっ!」

 チカがスカートを摘まんでヒラヒラと揺らす。

 さっき見てたの、バレてたのか!?

 チカのじと目が痛い。

「……なんで楽しそうなんだ?」

「そんなに気になるなら教えてあげよっかな」

「よく言うよ……」

「なんか言った?」

「いや何も」

「よろしい」

 何様だ。

「実はね、あたしこういう山っ! て感じの所に来るのって初めてなんだ」

「小学校の遠足とかは?」

「あたしの小学校は動物園や水族館だったの。林間学校もあったんだけど、前日にはしゃぎ過ぎて体調崩しちゃって」

 リュックの中身を何度も出し入れするチカの姿が、簡単に想像できた。

 俺は逆に、風邪をひこうと水風呂に浸かったりしていた。一緒に弁当を囲む相手もなく、木陰に隠れて食べるのが辛かったからだ。

「こんな所に来られたんだから、死んだのも悪くないかも」

「そりゃいい。すっきり成仏できるな」

「だから秀則も早く死んでよ」

「はいはい」

 俺だってこんな炎天下を宛ても無く歩き続けるくらいなら、さっさと死んでしまいたい。

 それからどれくらい歩いただろう。いい加減に暑さで倒れそうになってきたとき、前方に白いワゴンが見えた。

「あー、羨ましい」

「ヒッチハイクでもすれば?」

「あの世までお願いしますってか」

 道が狭いから、草の生い茂る中まで端に寄る。しかし、ワゴンは俺とすれ違うことなく、すぐ手前で止まった。運転手が窓を開けて顔を出す。

「すみません、ちょっと道を聞きたいんですけど」

 ワゴンが似合わない、小綺麗な男だった。ビカビカと輝く外車から出てきたなら、さぞ絵になりそうだ。

「あー、俺この辺の人間じゃねえよ」

「え、そうなんですか? 困ったな……」

 男以外にも、ワゴンには三人乗っていた。眼鏡をかけた少年。ショートカットの女。ガタイのいい青年。全員が言葉も交わさず、暗い顔をしている。後部座席には、練炭と印刷されたダンボール箱と七輪があるが、それで焼くべきものが何も積まれていない。

 まさかこいつら……。

「もしかしたら知ってるかもしれないし、行き先だけでも言ってみてくれ」

「そうですね。えっと、××公園なんですけど」

 やっぱり。

 男が口にした場所は聞いたことがあった。そこも先輩が話していた自殺スポットのひとつだ。結構広い公園で、よくアウトドア初心者がキャンプをしに行くらしい。それに混じって、テントの中で練炭自殺をする奴がいると言っていた。

「そこ、大体でいいなら知ってる」

「本当ですか? いやあ、助かります。それで、どう行ったらいいんですか?」

「ただじゃ教えられねえ」

「はい?」

「俺も乗せてってくれよ」

「え、いや、そんな……」

「お前ら、自殺志願者だろ?」

 男の顔が一瞬で凍り付く。無関心だった他の奴らも俺に目を向けてきた。

「っ!」

 男がアクセル踏んで逃げようとする。せっかく次の自殺スポットへの足ができそうなのだ、逃がす訳にはいかない。ワゴンが走り出す前に、運転席のドアを開けて男にしがみついた。

「わっ! やめて、離してください!」

「なら乗せてくれ」

 ワゴンが動き出し、速度を増していく。あっという間に足が浮き上がった。

「わー! わー!」

「待て、ちょっと待て! 死んじまう!」

「死んでください!」

「なんてこと言いやがる! いいから一回止めてくれ!」

「止まったら殺される!」

「人を殺人鬼みたく言うな! いいか、俺は」

 ずり落ちそうな体を引っ張り上げる。

「俺はお前らと同じ、自殺志願者だ!」

「――は?」

 四人がひっくり返った声を出す。

「だから止めろ、いいから止めろ! っていうか前を見ろーっ!」

 ワゴンは左に曲がり過ぎて、田んぼに突っ込みそうになっていた。男が慌ててハンドルを切り、ワゴンは数回蛇行してようやく止まった。腕の力を抜き、地面に崩れ落ちる。砂利の感触が安心を与えてくれる。地面、万歳。

 激しく跳ね回る胸を押さえて、荒い呼吸を繰り返す。

「秀則! 大丈夫!?」

俺を呼ぶ声に振り返れば、チカが駆け寄ってきていた。幽霊のくせに、こいつが飛んでいるのを見たことがない。立派な二本の足がついてるからか?

 チカに頷いて見せ、それから男に向き直った。眉を八の字にして俺を見下ろしている。

「今の話……」

「あー、本当だ。今朝から死のうとしてるんだが、どうにも失敗ばっかりでな。次の死場所を探してたんだ。頼む、俺も一緒に死なせてくれ」

 額に砂利が付くくらい頭を下げる。この際、恥なんてものはどうでもいい。それよりもとにかく、早くエアコンの利いた車内に逃げ込みたかった。

「えっと……」

 男は他の三人と少し話す。

 安心を与えてくれた砂利も、長く膝を着いていると痛みと熱さの苦行だ。

「頭を上げてください」

 折り曲げていた腰を伸ばすとき、関節が鳴った。

「みんなにも聞いてみたら、別に乗せても構わないそうです」

「それじゃあ!」

「はい。道も聞きたいんで、どうぞ助手席に」

「ありがとう!」

 膝に手をついて立ち上がり、助手席に回り込んだ。座席に座りシートベルトを締める。エアコンの風が汗まみれの体を冷やしていく。

 あー、

「きっもちい~!」

 俺の言葉を奪って、チカも車に乗る。それはいい。しかし、

「おい、どうして俺の膝に座る」

「いいじゃん、どうせ重さなんて感じないでしょ?」

「そりゃそうだが……」

「何か言いました?」

「いや、何も」

 首を傾げる男に苦笑いを返す。

 この状態、重みどころか感触も無いのは残念だ。

「じゃあ行きますよ。案内お願いします」

「ああ。××町の方向はわかるだろ? まずはそっちに行ってくれ」

「はい」

 今度は俺をちゃんと乗せてワゴンが走り出す。方向は俺がずっと歩いて来た方。十分も経たずに、雑木林から抜け出た場所を過ぎた。こんなことなら、あそこで待っていればよかった。

 ××公園に向かう途中、他の三人とは違い、運転手の男だけは色々と話してくれた。

「自殺掲示板?」

「はい。太宰君、あ、後ろの眼鏡かけた子のハンドルネームなんですけど、彼がそこで志願者を募っていたんですよ」

 太宰と呼ばれた彼は一番若い。それなのにこんな企画をするなんて、よほど追い込まれていたんだろう。

「それで集まったのが僕バチスタと、黄泉さんと、ガチ君。本当はもう少しいたんですけど、待ち合わせの場所に来なくって」

 ハンドルネームはわかりやすかった。女が黄泉で、ガタイのいいのがガチだ。

 それにしても、掲示板で呼び掛けただけで三人も集まるなんて、せちがらい世の中だ。

「ところで、あなたのことはなんと呼べばいいですかね」

「あー、じゃあ秀則とでも呼んでくれ」

 新しく考えるのもめんどくさいので、本名そのままだ。

 それからは最近の暑さや田舎過ぎる風景など、当たり障りのないことばかりを話した。その間も他の三人は誰一人喋らなかった。

 公園に着くと、家族サービスのつもりか、やけに張り切るおっさん達を見かけた。遊んでいる子供の方がずっと大人しく見える。テントを張れる場所を探しながら、公園の奥まで歩く。他にもいくつかのテントが立つ場所を見つけ、隅の方に場所を取った。

「さあ、テントを張りましょう。僕はこういうの苦手なんですけど、誰か得意な人います?」

 バチスタの声に、ガチが小さく手を上げた。

 まぁ、見た目からしてアウトドア派だからな。

 ガチがテキパキと組み立てていくのを、残る男三人で説明書を見ながらサポートする。黄泉はそれを座って眺めているだけで、チカなんかは部品を触れもしないのに、一緒に組み立てるフリをして楽しんでいた。もっと集まるはずだったと言っていたが、それに合わせていたのか、出来上がったテントは五人が車座になってもだいぶ余裕があった。

「キャンプ~!」

「ちげえよ」

「雰囲気くらい味わったっていいじゃん」

「その前にこのどんよりとした雰囲気を察しろよ」

 バチスタがテントの真ん中に置いた七輪に練炭をセットする。ついでにその上で秋刀魚を焼いたら、さぞ美味しいだろう。いや、この季節ならバーベキューか。最後に肉を食べたのはいつだったか、もう思い出すこともできない。そういえば昼飯を食べていなかった。

「さて、それじゃあ今から自殺するわけですが、皆さん遺書の準備は出来てますか?」

 バチスタの声に皆、律義に「遺書」と書かれた封筒を出す。俺もポケットを探ってみるが、今朝書いたものが無くなっていた。滝に飛び込もうとした時にはあったから、そのまま置いてきてしまったのかもしれない。

「秀則さんは?」

「あー、俺のはいいよ」

 今思えば、たいしたことは書いてない。しかしバチスタは紙とペンを俺に押しつける。

「そうはいきません。遺書が無いと、遺体が見つかった時に自殺か事故か判断ができないんですよ。もしかしたら、僕達の誰かが殺人犯扱いされるかもしれません」

 保身のためかよ。それも自分も死んだ後の。

 少し頭にきたが、これも死ぬためだと遺書を綴る。内容は「いい加減、死にたくなりました」だけだ。それを同じく渡された封筒に収めて脇に置く。

「全員、準備ができましたね。じゃあ、発案者である太宰君に、火を着けてもらいましょう」

 男の声に太宰は頷き、七輪の横に置かれたライターを持つ。引金が引かれると、青い炎が揺らめいた。それからゆっくりと練炭に近づけられる。練炭にはすぐに引火せず、時間が過ぎていく。

 一度、新聞紙か何かを燃やして、火を大きくすればよかったんじゃないだろうか。

 だいぶ手間取って、ようやく練炭が赤く色付いた。

 こうなればもう安心。あとはじっと座って、肺が一酸化炭素で満たされるのを待つだけだ。

 密閉されたテントの中はどんどん暑くなっていった。夏場の練炭自殺は暑さとの勝負だと先輩が言っていたのはこういうことか。

 しかし、そんな中でもバチスタだけは涼しげな表情を崩さない。

「もうすぐ死ねますね」

「あー、やっとだよ」

「そうとう辛かったようですね。ところで、秀則さんは、いや皆さんはどうして死のうと思ったんですか? この際、あの世にまで苦労を持っていかないよう、全部ぶちまけていきませんか? どうでしょうか太宰君」

 指名された太宰は突然自分が呼ばれたことに驚いた様子を見せる。バチスタの空気に載せられて、皆の目が太宰に集まる。自分がどん底にいながらも、他人の不幸は蜜の味なのかもしれない。しばらくして観念したのか、ぼそぼそと呟くように話しだした。

「その……、僕、学校でいじめられてて……。上履きは三回も買い換えたし、女子の前で服を脱がされるし、サンドバッグなんて言われて殴られたりもしたんだ……」

 確かに、太宰は見るからにいじめられっこだった。眼鏡は分厚いレンズに、オッサンがしているような銀縁のフレーム。背は小さくて、線も細い。

 そういう俺は、友達はいなかったがいじめに遭うこともなかった。むしろ、いじめというものは、誰かと友達未満の中途半端な関係を持つから起こるのだと思う。友達同士なら笑って許せることも、ただの知り合いされたら腹が立つ。それが原因でいじめに発展するんじゃないだろうか。

 俺は全く誰とも関係を持つことが無かったからこそ、いじめも免れたのだと思う。

「それに、家の壁に落書きもされて。家族にまで迷惑かけなくても、いいじゃないか……。だから、遺書にいじめてきた奴らの名前を書いて、死ぬことにしたんだ。お前らは人殺しなんだって、知らしめてやる」

 太宰は唇を噛み締めて、拳も真っ白になるまで握っている。体は震えて、今にも泣き出しそうだ。

 隣に座っているバチスタが、太宰の肩に手を置いた。

「泣かないでください。遺体に涙の跡があるのは嫌でしょう? 一人でいじめに耐えるのは辛かったと思います。ですが、今は僕達がいます。一緒に死ぬ仲間が。こんなにのどかな場所で集団自殺が起きれば、きっとニュースになります。そうすれば、いじめてきた奴らも、事の重大さに気づくはずです」

 太宰は大きく頷き、それから皆の目を順に見ていく。

「今日は、僕の呼びかけに集まってくれて、本当にありがとう。さあ、みんなも辛かったことを話していこう。すごく、すっきりするよ」

 太宰はバチスタと反対隣に座る黄泉に目を向けた。

 黄泉は両手の指を合わせ、人差し指を回しながら話す。

「わ、私、その、花嫁だったの。彼とは大学のサークルで知り合ってね、それから六年も付き合ったわ。大観覧車でやっと彼がプロポーズしてくれたとき、嬉しすぎて死んじゃいそうだった」

 黄泉の表情は幸せそのもので、自殺する理由が全く見当たらない。チカは花嫁と聞いた途端、手を組んで斜め上を向きうっとりしている。

「いいなあ、花嫁さん。憧れちゃう」

「あの世で結婚なんてできんのか?」

「うるさい!」

 黄泉のノロケ話は続く。

「彼は薄給だったけれど、すごく素敵な婚約指輪をくれたの」

 そう言って、左手を前に出した。薬指には小さな宝石、たぶんダイヤモンドが付いている指輪がはまっている。ただ、何故か薬指にはたくさんの傷も付いていた。

「チャペルを予約して、ウェディングドレスも試着したの。彼が顔を赤くして綺麗だよって言ってくれたのは、本当にかわいかったわ」

「あの……それじゃあ、どうして死のうなんて思ったんですか?」

 バチスタが皆の疑問を代表して尋ねた。いい加減、ノロケ話なんて聞いてられない。暑さと相まって、とんだ地獄だ。

「そうね、私が死にたい理由だったわね」

 黄泉が照れ隠しにか顔を伏せる。

 ようやくノロケが終わるのか。

「憎い……」

 はじめ、それが誰の声かわからなかった。低く湿った声は、チカなんかよりもずっと幽霊らしい。それも悪霊だ。

 黄泉が指輪ごと薬指を引っ掻き始める。

「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い」

「ちょっと、あの……」

 バチスタはあたふたと空を掻く。黄泉の口から際限無く漏れる恨みの声に、恍惚としていたチカは、一気に白い顔を更に白くする。

「な、なになに!?」

 それから黄泉は髪を掻き乱し、叫んだ。

「あの野郎、結婚式の一週間前に別の女連れて来やがって! しかもその女、私の親友だ!それであいつら、何て言ったと思う!?」

「え、えっと、……なんですか?」

「女の腹さすりながら、子供が出来ちゃった、だ! ふざけんなよあの野郎、浮気してやがった! なんだよ? 責任取らなきゃいけねえから、私とは結婚できねえだあ!? もう式の招待状も出しちまってんだよ!」

 思わず昼ドラかと突っ込みたくなるような話だった。

「××××の馬鹿野郎、絶対に幸せになんかさせねえからな!」

「な……」

 俺は額に手を当てて溜め息をついた。黄泉の言った名前は知っている。俺に結婚式の招待状を送ってきたクラスメートだ。こんな理由があったら、人が集まるわけがない。なんとか式らしい形にしようと必死に考えた結果が、一度も話したことが無い俺への招待状か。

 触らぬ神に祟り無し。とりあえず祟り神みたいな黄泉は置いておくことを、全員がアイコンタクトだけで了解した。なんだこの一体感。

 いつの間にか時計回りで話す決まりになっていて、次はガチの番だった。

「俺、大学で野球やってたんすよ。ポジションはピッチャーで、エースだったっす」

「だったって、今はどうしてるんですか?」

 バチスタの質問に、ガチは左肘をさする。

「プロのスカウトが俺を見に来た試合で、肘を壊しちゃって……。チームからも、治るまで戻ってくるなって辞めさせられたっす。医者には、前みたくボールを投げるのは無理だろうって言われたから、もう、戻れないんっすよ」

 ガチは背が百九十センチくらいはありそうだし、肉付きもいい。何より、スカウトマンが見に行くくらいだ、すごい選手だったんだろう。

「俺、野球以外は何もしてこなかったから、これからどうやって生きていけばいいのかわからないんっすよ。ならいっそ、死んでしまおうかなって」

昼ドラの次はスポ魂か。事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだ。

「あの世にはベーブ・ルースもマグワイアもいます。きっと楽しく野球ができますよ」

「マグワイアはまだ死んでないっす」

「そ、そうですか……? まあ、他にも無くなったスター選手は沢山いますし、その方達とチームを組むのはどうでしょう?」

「まるで天国っすね」

「天国ですから」

 バチスタの言葉に、ガチは張り切って左肩を回す。スポーツをしてるやつは、どうしてこうも前向きなんだろう。いや、自殺しようとしているし、そうでもないのか?

「ところで、バチスタさんはなんで参加を?」

 今までの順番を無視して、太宰がバチスタに話を振った。こういう空気の読めない所がいじめの原因になると、自分では気付かないらしい。バチスタが俺を見るが、別にそれほど話したいわけでもない。俺は頷いて順番を譲った。バチスタはそれじゃあと前置きして話し始める。

「私の家は、代々医者をしてきました。皆さん知っての通り、医者は儲かります。ですから、はっきり言ってお金持ちでした」

 太宰とガチが眉間にシワを寄せる。当然、俺もだ。

「ホテルのように広い家に、沢山の使用人。口を開けば、望む物は車だろうと女だろうと何でも手に入りました。学生時代も、いつも周りには腰の低い友人達がいて、多大な寄付もしていましたから先生達も頭を下げました」

 いつの間にか、黄泉の怨嗟の声がやんでいる。バチスタは話に夢中でそれに気付いていない。

「何不自由無い生活。誰もが憧れているようですが、私は嫌いでした。毎日に張り合いが無い。とにかくつまらないんです。刺激を求めて、使用人の女を襲ったこともありましたが、最後はお金で解決しました」

 バチスタは溜め息をついて首を振る。

「お金は人生をつまらなくする。ですから私は、自殺をして次は貧乏人に生まれ変わりたいんです。……あれ? 皆さんどうしました?」

 バチスタがすっきりした顔で首を傾げる。

 どうしました、だと?

 バチスタ以外の全員が、拳を握り締める。


「「「「「ふざけんな!」」」」」


 黄泉が七輪を飛び越え、バチスタの胸ぐらを掴む。

「女をなめんじゃねえ!」

 そのまま押し倒されたバチスタの顔を、太宰が殴り付けた。

「何が仲間だ! お前に僕の苦しみがわかってたまるか!」

 ガチはバチスタの脚を掴み、黄泉の下から引っ張り出す。

「ガチ君……」

 満面に笑みを湛えたガチは、次の瞬間には鬼神のごとき形相に変わった。

「挫折も知らん人間が、人生を語るなっ!」

 バチスタはバットのようにスイングされ、放り投げられる。天幕にぶつかってから地面に落下したバチスタに俺は近付く。右手に練炭が燃え盛る七輪を持って、だ。

「俺だって……」

「ひぃっ!」

 バチスタは尻を着いたまま後ずさる。だがここはテント、すぐに角に行き着き、逃げ場が無くなった。俺は七輪を頭上に掲げ、

「俺だって好きで貧乏になったんじゃねえええっ!」

 バチスタに投げ付けた。

「あっちー!」

 七輪はバチスタの顔に当たり、練炭がこぼれ落ちる。転げ回るバチスタを見て、俺達同志は頷きあった。

 その時、何か異臭が鼻を掠めた。練炭とは違う、そう、例えばビニールを燃やした時のような……。

「あ!」

 突然上がった声に目を向けると、チカが何かを指差している。それを辿ったさきでは、こぼれた練炭の火がテントに引火していた。

「か、火事だ!」

 ガチが叫び、大慌てでテントの入口を開ける。その巨体を押し退けて黄泉が我先にと外へ飛び出すと、皆が後に続いた。最後にバチスタが這い出るのと同時に、テントが大きく燃え上がる。他のキャンプをしていた人も集まってきて、あっという間に大騒ぎになった。



「皆さん、ご迷惑をおかけしました」

 バチスタが消火を手伝ってくれた人達に頭を下げる。テントは全焼。もちろん、遺書も灰になった。

「また死に損なったね」

「ああ……」

 死ぬっていうのは、こんなにも難しいもんなのか?

 何も無いところで転んだだけでも、打ち所が悪くて死ぬ奴がいるっていうのに。

 俺だけじゃなく、バチスタ以外は皆疲れた顔で溜め息をついていた。そりゃそうだろう。

 死にに来たはずなのに、火事で死にそうになったら全力でテントから逃げ出したのだから。

 いったい何をしたかったのか。

 バチスタが戻ってきて手を打った。

「もうここにいてもしかたありませんし、帰りましょう。僕が送ります」

「帰ってどうするのよ」

 黄泉が心底怠そうに口を開いた。

「ここには死にに来たのよ。帰ってからのことなんて、何も考えてないわ」

「そうだよ。僕はまたいじめらる毎日なんて嫌だ」

「家には親が俺のトロフィーや賞状を飾ってるんすよ。それを見るのは、もう辛いっす」

「俺には帰れる場所なんかねえよ」

 出るのは文句ばかりで、立ち上がる気力も湧かない。いっそこの疲労感で死ねないだろうか。

「あの……僕、皆さんにボコボコにされた時に思ったんですけど」

「なによ?」

「皆さん、死ぬ必要なんて全然ありませんよ」

「は?」

 いきなり何を言い出すんだこいつは。バチスタは睨む俺達に怯えながらも続きを話す。

「まず太宰君。君は良いパンチを持っているじゃないですか。それをぶちかませば、いじめなんて無くなりますよ」

「僕の、パンチ……?」

「次に黄泉さん。あなたの押しの強さはとにかく凄い。その勢いがあれば、憎い彼よりも良い男なんてすぐに見つかるはずです」

「私は押しが強い……?」

「それからガチ君。人間をあんなに軽々とスイングできるなんて、尋常じゃない筋肉です。ピッチャーが駄目なら、四番バッターなんでどうです」

「俺が四番バッター……っすか」

「最後に秀則さん。……えっと」

 俺の番になるとバチスタの口が止まった。

「そういえば、秀則さんはどうして死のうと思ったんですか?」

 俺だけまだ話していなかったのを思い出した。今更ではあるが、とりあえず教えておくことにする。

「俺が死にたい理由は、ギャンブルで作っちまった借金だ」

 皆は借金の額を聞くと、一斉に俺から距離を取った。

「えっと、あの、その」

「どうした? 何かないのか?」

「いやあ……」

「あまりにも酷すぎて、励ましの言葉も浮かばないみたいだね」

 なんだそれ。

「お前、金がありすぎて困ってるんだろ? なら俺にくれよ」

「いえ、その額はちょっと……。返済能力も無さそうですし」

「だからくれって言ってるんだ。だいたい、返済能力があったら死のうなんて思わねえよ」

 急に誰も目を合わせなくなった。そのくせ、チラチラと覗く目には、憐れみの念が込められている。

「僕……、僕生きるよ」

「私も」

「俺も頑張るっす」

 あれだけ文句ばかり垂れていたのに、皆すっかり活力を取り戻していた。そのきっかけがすごく気になる。どうしてか、劣等感を覚えた。

「それじゃあ帰りましょう。僕達の生きる場所へ」

 ワゴンで近くの駅に向かう間、車内は俺を仲間はずれにして盛り上がった。



「もう嫌だ、こんな世の中。死にたい死にたい死にたい」

「また死ねないなんて、あんた呪われてんじゃないの?」

「むしろ神に祝福されてそうだ」

「そんな人間はギャンブルで借金しないよ」

「だよなぁ……」

 電車の中は帰路に着く学生でいっぱいだった。このままじゃあ、死ねないまま一日が終わってしまう。そんなの、ただの日帰り旅行だ。いや、帰る気なんてさらさらないが。

 先輩に教わった近場の自殺スポットも、次で最後になる。今度こそ、しっかり生を終えよう。

「ねえ、ところでさあ」

 チカはいくらすり抜けるからといっても、誰かに体が重なるのは嫌らしく、俺の膝に座っている。夏服を着た学生達の中で、一人冬服のチカは、透けているのに目立って見える。空には浮かないくせに、こういうところで浮いてどうするんだ。

「なんだ?」

「さっき書いた遺書は適当だったみたいだけど、最初に持ってた方には何て書いてたの?」

「教えねえ」

「いいじゃん、減るもんじゃないでしょ」

「減る」

「何が?」

「何って……寿命?」

「……自殺志願者のくせに」

「いいだろ、別に。だいたい、なんで遺書の中身なんて知りたがるんだよ」

「だって、私は遺書を書く暇もなかったんだもん」

「お前、自殺じゃねえだろ」

「それでも、……みんなに言い残したいこととかあったから」

 目の前のチカの背中が小さくなった気がした。確かに、俺と違ってまともな人生を送っていたようだし、別れを言いたい人はたくさんいただろう。

「そう、か。……例えば、何を言いたかったんだ?」

「お母さんにありがとうとか、友達に部活頑張ってとか。それに」

「それに?」

「弟に、冷蔵庫のプリンは私のだから食べちゃダメって」

「お前、死んでるだろ」

「お墓に供えてもらいたかったんだもん」

「食い意地はりやがって」

 馬鹿は死ななきゃ治らないなんて嘘だ。ここには最高に馬鹿な幽霊がいる。俺の視線に気づいたのかチカが振り返る。

「そんな目で見るなー……ああっ!」

 しかしチカの目はすぐに俺の向こうに飛んでいった。

「見て見て、海!」

 チカの声と同時に、潮の香りが鼻を掠めた。首を捻って見れば、窓一面に海が広がっている。赤い太陽に照らされた海面が眩しい。

「そんなにはしゃぐものでもないだろ。それとも、海も初めてか?」

「ううん。でも、こんなに大きいんだもん。何度見てもテンション上がるー!」

 チカが窓をすり抜けて顔を外に出す。

「おいおい、危……」

 なくはないか。幽霊だしな。

 車内にアナウンスが流れ、駅に着いた。俺は跳び跳ねるチカを連れて電車を降り、次の自殺スポットへ向かって歩き出した。

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