第一話 目覚めと離別
山と山の切れ目、いくつもの都市と都市を結ぶ点に位置し、その中継都市として繁栄してきた、自由都市ノーレン。
その朝、誰よりも早くそのノーレンの西門に立った少年の姿に、門衛は上機嫌で挨拶を飛ばした。
「よう、アルベルト。今日も精が出るな」
アルベルトと呼ばれた少年は、にっと笑って答える。
「今日は群生地まで行くんだ。いい稼ぎになるよ!」
「そいつはいいや。今日はお前の奢りだな」
「勘弁しろよ、まだ飲めないのに何でローゼルの酒を俺が払わなきゃいけないんだ」
「冗談だって。そうだ、群生地には特に警報は出てないけど、最近魔獣の目撃情報が多い。気をつけろよ」
「分かってる。んじゃ、行ってくるよ」
街を出たアルベルトは、街道沿いに西へ向かい、一時間ほどの位置にある薬草の群生地を目指していた。ノーレン冒険者ギルドに所属する冒険者として、薬草採集の依頼を請け負っているのだ。
「普段行くとこより遠いからな。弁当でも持ってくれば良かったかな……ん?」
独り言をこぼしながら、街道を進むアルベルトの目に、遠くに何かあるのが見えた。
「何だ、ありゃ?」
最初に見えたのは、投げ出された鞄だった。それを追うように延びる手。
「人……?」
アルベルトの思った通り、それは人間だった。右腕を伸ばし、うつ伏せに倒れている。長いこげ茶色の髪が、風になびいて揺れていた。
「女の子じゃないか! 何であんなところに……?」
急いで倒れている少女に向かって駆け寄り、抱き起こす。アルベルトと同じくらいの歳のその少女の肌は血が通っていないかのように白く、唇は真っ青だった。
「おい、大丈夫か! 生きてるな、よし……依頼なんて知ったこっちゃない、すぐに戻らないと!」
意識の無い少女を背負い、落ちていた鞄を拾って、アルベルトは今まで歩いてきた道を逆戻りして走り出した。医術の知識は無いが、下手をすると命に関わるかもしれない。自分がチンタラ歩いていたせいで少女の身に何かあったらと思うと、目覚めが悪かった。
ノーレン西門にたどり着くと、まだローゼルが門衛に立っていた。早々と戻ってきた上、少女を背負っているアルベルトを見て、ローゼルは眉をひそめた。
「やけに早かったな。その子、どうしたんだ?」
「今はそれどころじゃないんだ。とにかく通してくれ」
「……分かった。後でちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「すまん。ちゃんと説明するから!」
再び走るアルベルト。目指しているのは、医務室のあるはずのノーレン冒険者ギルドだった。
冒険者ギルドの扉を開け、カウンターに立っているなじみの受付嬢のところに走る。だが、受付嬢のところにたどり着く前に、アルベルトに声をかける者がいた。
「アルベルトくん、ちょっと待ってくれ!」
声にアルベルトが振り返ると、そこに立っていたのは、銀の甲冑に身を包んだ金髪の男だった。アルベルトは驚き、その男が声を掛けてきた理由について逡巡した。
「ロ、ロイドさん! 今はそれどころじゃないんですけど――」
「――その女の子のことだ。ちょっと見せてくれないか」
いつになく焦っているロイドの表情に、アルベルトは素直に近づいてロイドに少女を見せた。少女の顔を見たロイドは、眉根を寄せてつぶやいた
「サラ……なぜ一人で……アルベルトくん、この子は何か持っていなかったか?」
「この鞄、この子の近くに落ちてたんです。たぶんこの子の持ち物だと思って持ってきたんですけど……」
「これは……十分だ、ありがとう。この子と鞄は私が医務室に運んでおく。君は見つけたときの状況を報告しておいてくれ」
「は、はい、分かりました」
アルベルトは少女をロイドに預け、ギルドの受付に向かった。身元の分からない人間を保護した場合、冒険者は保護した際の状況をギルドに報告する義務がある。少女を抱えたロイドを尻目に、アルベルトは報告の書類にペンを走らせた。
サラが目覚めたとき、最初に感じたのは痛みだった。四肢が鈍く痛み、力が入らなかった。目を開けると、見覚えの無い木の板の天井が、夕陽に照らされていた。
「大丈夫か、痛いとことか無いか」
近くで聞こえる、知らない声。首を声の方に向けると、知らない男の子が心配そうな表情でサラの方を見ている。
「……だ、れ?」
「あ、ごめん……俺はアルベルト。アルベルト・ビートン。ノーレンの街で冒険者をやってるんだ」
ノーレンの街。聞いたことがない。頭が痛くて、うまく考えられなかった。
「……ここ、どこ?」
「ノーレンの冒険者ギルド。街道に倒れてたから、医務室まで運んできた。鞄はそこに置いてある」
「鞄……」
アルベルトの指の指す方を追うと、そこにあったのは父の鞄。それを見た途端、意識が急にはっきりした。そして、思い出す。父と交わした最後の言葉を。
「お父さん……っ!」
起き上がろうとするサラを、アルベルトがあわてて止める。
「まだ動いちゃだめだ。身体を無理に動かしたせいで全身がくたびれてる」
「でも、お父さんが……!」
「ロイドさんが探しに行ってる。大丈夫だ」
「……ロイドさんが?」
「ああ。この街では一番の冒険者だ。お前を街に運んですぐに行ってくれたから、もう半日になる」
だから安心しろ。そう言ったアルベルトの眼差しは落ち着いていた。それを見て、サラも黙る。沈黙が数分続いた後、アルベルトが口を開いた。
「えっと……名前は?」
「……サラ。サラ・ローウェル」
「何歳?」
「十二歳。夏至の日が誕生日」
「俺も十二歳。誕生日はつい一月前だから、サラの方が年上か」
「……別に、ひと月ふた月で年上ぶったりしない」
「ご、ごめん……」
ふたたび沈黙が場を支配しようとしたその時、部屋の扉が開いた。入ってきたのは、暗い顔をしたロイドだった。サラと目が合い、その表情が曇る。
「ロイドさん……サラのお父さんは……?」
声をかけたアルベルトをちらっと見て、ロイドはサラに向き直った。
「私達がトリスタンのところにたどり着いた時、トリスタンは既に……すまない、トリスタンを助けることができなかった」
弱弱しく告げたロイドに、サラはうつむいたまま聞いた。
「お父さんは……どんな顔でしたか」
「……この上ないくらい安らかな顔で眠っていたよ。苦しまずに逝ったんだろう」
「……そうですか――探してくれて、ありがとうございました」
「遺体はこの街の合同墓地に埋葬された。私からも、花を手向けておこう」
それだけ言って、ロイドは静かに部屋を去った。残されたアルベルトは、どうしていいか分からずに辺りを見回し、それからサラに声をかけようとした。
「えっと、サラ……サラ?」
俯いたままのサラに近づき、かがんで顔を見た。
サラは泣いていた。嗚咽をこらえて、ただ黙って泣いていた。歯を食いしばって嗚咽をこらえるその姿に、アルベルトはいたたまれなくなって声をかけた。
「そんな泣き方するなよ……悲しい時は、誰だって泣くんだから」
そう言ったアルベルトに、サラは顔を上げずに首を振った。
「……私に、泣く資格、なんて、無い」
「そんなこと――」
「――私のせいで」
サラは泣きじゃくりながら言った。
「私のせいで、私が間に合わなかったから、お父さんは……!」
「……だからって、泣いちゃいけない訳ないだろ!」
声を荒げたアルベルトに、サラは涙に濡れた顔を上げた。アルベルトの目には涙が浮かんでいた。
「俺の親も小さい時に二人とも死んでる。どんなに悲しくて、どんなに寂しいか痛いくらいよく知ってる。我慢なんてしたら、もっと悲しいだけだろ。お前が悲しいの我慢してるの見て、お前の父さんは喜ぶのかよ!」
サラは涙を抑えられなかった。嗚咽を堪えられなかった。目の前のアルベルトに縋りついて、声を上げて泣いた。アルベルトはその背中を、サラが泣き止むまで、黙って撫で続けた。
9月8日、改行の位置を修正しました