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第六話 「初の甲子園出場」

 主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。

 だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。

 大石先生宅に帰宅し、先生と奥さんに甲子園出場が決まった事を報告し、奥さんから「お母さんに電話したの?」となったので、「学校の近くの駅から電話しました」と言うと先生は天井を見上げ、奥さんは涙していた。

 大石先生は念願だった甲子園行きはかなり嬉しかったと思う。


 二月になると野球部は室内練習場を借りての練習が多かった。

 徐々にトレーニングの成果が出てきたように思えた。

 一塁へのスローイングが今までよりはるかに安定していたし、打撃での軸足が安定して打球速が早くなっていた。

 打球の飛距離も伸びている気がするし「スポーツドクター凄げ~な!」と思っていた。

 三月に入り、センバツ高校野球の事で周囲は盛り上がっていたが、当の野球部関係者と部員は初体験なので、緊張と興奮で何も手につかない状態だ。

 センバツ高校野球の壮行会では、理事長や校長やナミのお父さんの激励の挨拶があり、部長先生や監督は緊張していた。

 ナミのお父さんが手配したバスに乗り込み甲子園に向かう事になった。

 甲子園での初練習は球場のデカさに圧倒され、興奮して守備練習は身体が震えていた。緊張から来るものだろうが、一・二球捌くとスーッと震えが止まった。

 打撃練習で打球音が心地良く聞こえ、甲子園を目指し憧れる理由がわかった気がした。打球の快音が響き、何とも言えない心地良さだ。

 宿舎に戻り、ミーティングで対戦相手の分析をしていた。

 試合は開会日から三日後の第二試合で監督は早くからスタメンを発表し、余程の事が無い限り変更しないと話していた。

 俺は三番ショートと決まり、「ハル、デカいのは要らないから内野の間か頭を越える打球に徹してくれ、守備はお前に託す」と言われた。

 それぞれ、監督からの指示をスタメンの皆は真剣に聞き、試合当日に備えた。

 開会の日、球場内は満員で割れんばかりの拍手と声援でド迫力を感じた。

 「ここで華麗な守備やヒットを打てば大歓声が凄いだろうなあ」と想像していた。

 開会式が始まり、緊張で心臓がバクバクいってるのがわかり、それでも何故か心地良かった。

 入場行進も終わり、色んな方が挨拶をしていたが、俺は「早く終わんないかなあ」と思って立っていた。

 開会式も終わり、第一試合が開始された。

 少し観戦してから借りていた中学校のグランドで試合前日まで練習をしていた。


 試合当日、俺達は第二試合なので第一試合を観戦し、ストレッチをして、試合終了少し前に荷物を持って待機していた。試合が終わるとベンチに案内され、バットやヘルメットを並び入れて練習を始めた。内野のコンディションを確かめ、バッターボックスの立ち位置を見たり試合開始を待った。

 俺は「いい試合で終われるように」と祈願していた。

 試合開始だ。整列し挨拶をして守備に着いていた。

 うちのチームが後攻でショートの守備位置を確認し「さあ、こい」と気合が入る。

 打球は俺のレフト線に来てグラブで捕球し一塁へスローイング。

 「アウト!」と一塁審が言うのが聞こえ、気分は最高だ。

 うちのピッチャーは落ち着いて度胸満点で初回は三者凡退に打ち取り、内野陣はグラブタッチしてで喜んでいた。

 俺達の攻撃で一番が内野安打で二番が送りバントで二塁に進塁し、俺は監督の言う通り三遊間か内野の頭を越すヒッティングを狙い、いい感じでショートの頭上を越え出塁し、三・一塁とした。四番が右中間を破るツーベースヒットとなり、一点を入れ、ワンアウト三・一塁で五番がフォアボールとなり満塁。

 六番がライトフェンス近くの犠牲フライで一点が入り、七番はライト前ヒットで満塁となり、八番が粘りに粘ってフォアボールで押し出しの一点が入り、九番がレフト前ヒットで一点が入り、一番が内野ゴロでスリーアウト。

 この回打者一巡で四点が入った。

 二回裏、二番からの攻撃でデットボールで出塁すると俺の番で二遊間を抜け一・二塁で四番がレフトオーバーの二塁打で一点が入り、五点目で一・三塁となり、五番がレフトスタンドにスリーランホームランを打ち、三点が入り八対0。六・七番はフォアボールで八番が三遊間のヒット満塁となり、九番がライト前に二点タイムリーで十対0。

 うちのチームは何と十八対一の大量点で初戦を突破した。

 誰もが想像しなかった大差だったので、二回戦は注目されると皆話していた。

 試合後、ナミからのメールがあり、「ハル、カッコ良かったよ」と書いてあった。「有難う、皆の応援のおかげだゼ」と返信すると「私がお祈りしてるから、頑張って」と返信が来た。


 三日後の第二試合は先攻で俺に打席が廻るのだ。一番がセンター前ヒットで二番がレフト前ヒット、俺は二遊間を越すタイムリーヒットで出塁、一点が入った。その後も二点が入り、三対0。

 三回表、九番が内野安打で出塁し、一番がツーランホームランとなり、二点。二番が内野ゴロで、俺はセンター前ヒットで一塁。

四番がツーランホームランで二点が入り、七対0で、後続が続かず、平行線が続き、六回裏となるが、うちのピッチャーが交替となり、相手チームは内野安打を狙いに来ていた。

 先頭打者がフォアボールで次の打者が二遊間に打ち「ゲッツー」と思い俺が打球を取り一塁に投げた後、ランナーと交錯し俺は左足に激痛が走り倒れ込んだまま立てなかった。

 塁審に痛めた箇所を聞かれるが声が出ず、グラブで左足を差し、タンカーに乗せられ退場となってしまった。

 場内のモニターには何度も何度もこのクロスプレーの映像が流れたそうで、俺とぶつかった走者は俺がベースを踏んで一塁に送球した後だったのでアウトとなり、一塁もアウトでゲッツーは成立した。

 しかし、あの走塁は危険行為だと内外野からヤジが絶えなかったようだ。

 試合が二十分程中断したようだ。

 俺は左膝内側をスパイクされ、すぐに救急車で病院に行った。病院ではズボンを脱がされ、レントゲンやCT、MRIを撮り、検査の結果膝の靭帯損傷と打撲で二週間は安静となってしまった。「せっかくの甲子園なのに」と悔しがっていたら、部長先生とマネージャーと大石先生とナミが病院に来てくれた。

 「先生、ナミ、ゴメン」と言うと「しょうがないよ、夏また来よう」とナミは言い、先生は「ハル、感動したよ」と言ってくれ、俺は先生の一言で悔しさが消えていた。

 今日は入院し、明日宿舎に行き、帰るか残るか決めるらしい。

 ナミは二十時頃まで俺の病室に居てくれて俺を慰めてくれた。「ナミ、有難う」と何度も言っていた。

 翌日、あの試合のクロスプレーがテレビで大きく取り上げており、何かテレビをまともに見れなかった。

 しかし、試合はうちのチームが勝ったのでホッとしていた。

 十時頃、部長とマネージャーとナミが病院に来てくれて、宿舎に行く事になった。

 宿舎では監督を始め、皆が集合していて、監督に「ハル、このままここに居ても不自由だと思うし帰宅するか?」と話し、俺は皆の足手まといになるのもイヤなので「ハイ、帰宅します」と言うと部員の皆が「え~ッ」と言うのだ。

 「えッ?居ていいの?」と言うと部員達は「うん、うん」とうなづいた。

 するとナミは「私がハルを面倒見ますから試合が終わるまで一緒に居させてください」と言うと皆は驚きドン引きしていた。

 そんな事があり、俺は宿舎は出るのだが、ナミが親のコネを使ってホテルを用意し、そこの一部屋に俺を宿泊させ、ナミは別の一部屋に宿泊した。

 練習と試合がある度にナミが車を呼んで俺を乗せ移動するといった具合だ。

 皆には色眼鏡で見られるが、俺もナミも別に気にする事無く過ごしていた。


 チームは三回戦に進むがなかなか点が取れず、三対0で敗れてしまった。

 俺は何か責任を感じてしまい、監督や皆に「俺が怪我したばっかりに」と言うと「ハルは頑張った、良くやったよ」と皆が言ってくれ、心が折れずに済んだ。その後、皆と一緒にバスに揺られ帰宅する。

 片道十時間以上のバスは行きより帰りの方が穏やかな雰囲気だ。

 皆、戦いを終えてホッとしていたと思う。

 俺の横にはいつもサポートしてくれていたナミが座り、寄り掛かって居眠りしていた。

 しばらくするとバスは高速道路のサービスエリアに休憩で立ち寄り、トイレや飲食、買い物をするのだが、ナミはまだ寝ていたのでそっとしていたら、突然目を覚ましバスを降りて行った。

 「おい、トイレか?」と声を掛けるがもう姿は見えなかった。

 俺はゆっくりとバスを降り、トイレに行きアイスコーヒーを買ってバスに乗り込むとナミが座っていた。

 俺は「どこ行ってたの?」と言うと「トイレと電話をして来たの、電話する事を忘れてたから」と話していた。

 ナミの話しを聞くと帰宅したら俺を例の病院の先生(医者)に見せ、診察するための電話だったと話していた。

 本当に俺の事を色々と考えてやってくれ、感謝しかなかった。 

 バスは学校に到着し、俺は荷物卸しや洗濯等の手伝いができないため、皆にお願いしてナミとタクシーで帰って行った。

 先生の奥さんに電話をし、足の怪我の事で病院に行くと連絡してから一度ナミのマンションに荷物を置き、病院の診察に間に合うようにタクシーで向かった。

 病院に着いて先生に診察して貰い、治療方法とリハビリメニューの説明を受けた。

 順調に行けば一週間後にはリハビリができると話していたので、そこから夏の大会に向けての練習ができると思っていた。

 するとナミは夏の大会に向けて筋力等のトレーニングメニューを病院のインストラクターに作成して貰い、前回のトレーニング方法にプラスして行うものだ。

 病院の診察も終わり、ナミのマンションに行き、少し話してから大石先生宅に帰宅した。

 先生の奥さんは俺の怪我の事を凄く心配していたし、怪我の時のクロスプレイをテレビの報道番組等で見て怒っていたようだ。

 俺はしょうがないと思っているし、相手は悪気があったわけでも無いし、あの試合が終わった時に相手チームはうちのチームに謝罪に来たと監督やコーチが言ってたので「俺は何とも思っていないよ」と言うと「ハルト君は大人だネ、その謝りに来た事をテレビでも報道すれば、私みたいに怒り心頭にならないのにネ」と話していた。

 あの選手は悪く無いのにイヤな事に巻き込まれやしないかと心配していた。

 その後、先生から労らわれ「ハル、感動したよ、欲を言うともう少し見たかったけど」と言われ、その通りなのだ。

 俺は「夏の大会も頑張ります」と言うと「期待してるぞ、頑張れよ」と励まされた。


 翌朝から残りの春休みなので、少し寝坊をして起きると奥さんが「ゆっくり寝れた?今ご飯用意するネ」と言われ、顔洗ってから美味い朝飯を頬張っていた。

 その後、十時からナミの所で勉強をするのでナミがタクシーで迎えに来た。

 ナミは奥さんに何か手渡していて、俺は先にタクシーに乗るとナミが乗って来てマンションへと向かった。

 俺の左足・膝はまだ腫れはあったが、痛み止めのおかげで痛さは余りなかった。

 十三時過ぎまで勉強し、その後は昼飯を外食で済ませ、マンションに戻り十六時頃まで勉強した。

 その後、筋トレしたりゲームをしたりして春休みは残り三日間を今日と同じようにナミと過ごしていた。

 足が完治するまで、朝は奥さんが車で最寄りの駅まで送ってくれて、後は電車で学校近く駅から路線バスで高校まで行っていた。

 帰りは練習ができるまでナミと一緒に帰ったり、病院に行ったりしていた。

 今日から二年生になり、野球と勉強の両立はナミのサポート無しでは語れなかった。

 しばらくして、痛めた所は完治し、リハビリも予定日数を終え、ゆっくり走る事ができるようになった。

 部活では筋トレと学校の廻りを数キロ程ランニングしていた。

 休んでいた分、足腰の筋力は落ちていて、まずは筋トレを重点的に行い、キャッチボールと遠投をしていた。

 朝の通学も以前のように走る所は走るようにしていたし、本格的な実戦練習は五月に入ってからだ。

 五月からは「ハル、もっと走れ、飛びつけ右だ!左だ!」と監督やコーチのノックは鬼だった。それでも練習は楽しかったし、こんなに動ける事が凄く嬉しかった。

 練習に集中してしまうと勉強がおろそかになるので、ナミは心配してテストまでの勉強を一緒にしてくれていた。

子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。

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