猫神
「雅メシ」
外で草むしりをする雅にハナは、玄関の戸を開け言う。
「ここが終わったらね」
背中越しに返事をする雅。
麦わら帽子をかぶり、タオルを首から掛けて汗を拭う。
まだ春先なのに、暑い。
「緑燃ゆ。なんて言いますけど、草が生えるのって早いですね」
さくらは、雅に言って笑った。
さくらも雅同様の格好をして、家の入口前の草むしりをしていた。
「さくらちゃんが居てくれて、本当に助かるよ。ハナさんは、全然手伝ってくれないし」
と、ちらりと後ろに居るハナを見ながら言う。
「お前、月読様から怒られるぞ」
「神様は寛大だから大丈夫だよ」
雅は、そう言って笑う。
ぽちゃり、と音を立て何かが雅の頭に落ちた。
それを見てハナは、ゲラゲラと大声で、涙を流しながら笑う。
「ほれ、罰が当たったぞ!大当たりだ!」
敷地内の木から飛び立った、烏のフンが雅の麦わら帽子の上に着弾した。
「いやいや、無理矢理に手伝わせた訳じゃないですよ!」
麦わら帽子に落ちた糞を手で触り確かめて、大声で叫ぶ雅。
「月読様からの贈り物だ」
笑うハナと、少し気まずそうにしているさくら。
穏やかに太陽は回る。
「ただのお手伝いじゃないか」
月読命と一緒に鏡を見ている女が言う。
真鍮を思わせる髪。
少し着崩された淡い青と、白を混ぜたような着物。
片手には酒の入ったひょうたんを持つ。
木花咲那姫命。
「神様の子供にお手伝いをさせるなんてやるねー」
ひょうたんから、酒を飲みながら、鏡に手をかざす、木花咲那姫命。
それと同時に、烏の糞が雅の麦わら帽子に着弾する。
鏡からは、大声で叫ぶ声や、笑い声が聞こえる。
「友達の可愛い子供のお目付け役へのエールだよ」
そう言って、悪戯っぽく笑う。
「木花、酔すぎ。砂原雅にあまり意地悪はしないでおくれ」
ひょうたんから、再度酒を飲んだ木花咲那姫命は、ひょうたんを月読命に勧める様に、差し出す。
「たまには、一緒にどう?」
「今日は、遠慮するよ」
あぁ、嫌われた。そう言って木花咲那姫命は、部屋を出て行こうとする。
「今度、1杯奢るよ」
去って行こうとする木花咲那姫命の背中へ呼び掛ける。
それに答える様に手に持ったひょうたんを、少し上げて答える。
「雅さん、神様って何柱位居るんですか?」
朝食を終え、お茶を飲みながら、さくらは疑問に思った事を聞く。
「八百万だよ。数の事じゃなく、色々な物に神様が、居るって事だよ」
「さっき食べた米にも神は居る。七人や、八十八って言われてる」
ハナは、得意げにさくらに言う。
「だから、全ての物に感謝する気持ちを持たないといけないんだよ」
うん、うん、と頷くハナ。
「なら、この前会った赤い目の神様は、どういった神様なんですか?」
雅は少し困った様な顔をしてから、タバコに火をつけて答える。
「あの子は、死神。出来るなら、もう一生会いたくないかな」
ハナは、わざとらしく大きな音を立てて窓を開けて、私もだ。と、同意する。
「死神って、大きな鎌を持ってたりするんじゃないんですか?」
「それは、只のイメージだよ」
雅は、笑って答える。
「死神は、手を触れたり、近くに居るだけでも、命を吸う事が出来るよ」
「信仰があれば、何にでも神様は宿るんだよさくら」
そう言って、ハナは煙をふうふうと息で散らしながら、さくらの膝に乗った。
「言霊や、心で強く思う憎しみ。それも信仰になる」
ハナは、鼻で笑うと雅の言葉に続けて言う。
「人間は、とかく厄介な生き物だよ」
さくらは、お茶を飲みながら雅とハナの言葉に納得した。
「人間は、貪欲で代償のない幸せを求めて生き続ける」
まぁ、僕も人間なんだけどね。と雅は笑って新しいタバコに火をつける。
「タバコやめろ。猫神様が居るんだそ」
そう言って、ハナは顔を上げて雅をじと目で睨む。
「もう吸っちゃってるんだから、無理だよハナさん」
へらへらと笑って雅は、ハナに吸い始めたばかりにタバコを見せる。
「あぁ、野椎神様に感謝だねー」
そう言って雅は、美味しそうに煙を吐く。
「また、月読様に怒られればいい」
そう言って、ハナは部屋を出て玄関へ向かって歩く。
「ハナさん、どこに行くんですか?」
ハナの後ろ姿に問うさくら。
「散歩に行ってくる」
ハナは、不機嫌そうに言って外へと出て行く。
焦った様子でさくらは、雅に言う。
「家出とかじゃないですよね?」
「この時間は、散歩だから大丈夫だよ」
雅は、そう言って笑う。
ハナは、家から出ると隣家の間を縫う様に歩く。
塀の上で寛ぐ猫が居ると、声を掛けていく。
「チロル、元気か?」
そう言われ、白黒のハチワレは嬉しそうにハナへ答える。
「姉さん、お世話になってます。今日も平和ですわ」
「平和が一番だよ」
チロルは、満足気に腹を出して寛ぐ。
猫は気ままでいい。
「17時にいつもの場所で」
ハナは、そう言って散歩を再開する。
「皆にも伝えますね。姉さん」
ハナの縄張りは、1km程ある。
それをゆっくりと歩き、同胞から色々と話しを聞く。
あそこの家での嫁姑問題や、どこぞで子猫が産まれた。
等々、噂話しや、見合いの話し。それをまとめるのがハナだ。
猫は、群れないと言うが、猫にも社会ルールがある。
ボス猫には、必ず従う。
現ボス猫は、ハナであり、猫神。
猫達は、皆姉さんと、ハナを慕う。
「姉さん、今日は1杯どうでしょう?」
「たまには、いいな」
そう答えると、嬉しそうに笑う茶トラ柄の猫。
「美味しい酒が手に入ったんで、姉さんに飲んで欲しかったんですよ」
そう言う茶トラは、酒屋の猫、銀二。
「また後でな銀二。楽しみにしてる」
そう言ってハナは、また歩く。
出会う猫一匹、一匹に声を掛けては、歩くを繰り返すと、あっという間に17時になる。
少し開けた森の入口がいつもの場所だ。
入口にある電柱の光が心地良い。
集会場所に入ると、この地域に住む猫達が、ハナを嬉しそうに迎える。
「姉さん、待ってましたよ」
皆、口々にそう言いハナを上座へと、案内する。
「さっ、姉さんとっておきですよ」
茶トラの銀二は、ハナに盃を持たせ、それに酒を注ぐ。
ハナは、嬉々として盃にくちをつけ、一気に飲み干す。
口内に広がる芳醇な味わい。
乾いた喉に丁度いい辛口だ。
「美味じゃー」
ハナは、酒が弱い。
別に、下戸という訳ではないし、飲んでる自分を客観的に見れる自分も居る。
飲めば、他の猫達も楽しく過ごせる。
「踊れ!歌え!」
ハナは、愉快そうに酒を飲みながら、大声で叫ぶ。
歌い、踊り、各々が楽しく過ごす。
急にカツリと、小石を蹴る音がした。
一瞬にして、静まりかえる場内。
匂いで人物が理解できたハナ。
「雅か。何の用だ」
砂利を踏む音が近くなり、猫達は警戒する。
独特な黒髪の男が、顔を出す。
「今日は、集会だったんだね。ハナさん」
「雅の旦那だ」
猫達は言い、安心した様子で一息吐く。
「旦那も1杯どうです?」
酒瓶を雅に見せる銀二。
「一杯だけだよ」
雅は、盃を受け取るもそれを使わずに、酒瓶に直接口を付ける。
ゴボ、ゴボと音を立てて酒を飲み干す。
五臓六腑に染みるとは、この事だなと思いながら、酒瓶を振り落とす。
「さすが、雅の旦那だ」
大きな歓声を上げる猫達。
「もっと持って来い」
猫達は、急いで新しい酒を持って来る。
「旦那、もっといけるでしょ?」
と、空いている盃に新しい酒を注がれる。
盃に映る満月ごと腹に入れる。
「楽しいね」
そう言いながら、普段より一層下がる目尻。
ぽやぽやとする身体。
「雅、もっと上品に酒は飲む物だ」
いつの間にか隣りに居たはなに、たしなめられる。
「1杯は、1杯で沢山ではないからな」
雅は、ふーと息を吐き、空を見上げる。
夜空に浮かぶ星々。
春風に頬を撫でられ、心地が良い。
「外で飲むのもいいね」
満足そうに笑う雅。
呆れた様に息を吐くハナ。
「お前達、今日はお開きだ」
ハナは、そう言って手を叩いて猫達に伝える。
「姉さん、まだ早いですよー」
そんな声もちらほら聞こえたが、ハナは先に行くよ。そう言って、宴会場を出る。
「飲みたい奴は、ほどほどに楽しんで帰りな」
ハナは、身体を雅程の大きさにひ、雅を身体に乗せて歩く。
「姉さん、雅の旦那、又今度飲みましょう」
口々に猫達は、背中に挨拶をした。
またねー。と言いながら雅は、猫達に手を振る。
ゆっくりと、歩くハナ。
「お前、酔すぎ。酒臭い」
「だって、ハナさんあんまり飲めないでしょ?」
雅は、言いながらハナの頭を撫でる。
心地がいい毛並み。
「いつも、ありがとう。ハナさん」
呟く様に言われた言葉。
「バーカ」
鼻で笑いながら言うハナ。
月が二人を照らす。
「さくらは、どうした?」
「さくらちゃんは、この前の神社に行ってるよー」
雅は、間延びした声で答える。
「月読様が綺麗にして下さったから、安心だな」
「うん、うん。神様って、本当にすごいよねー。神様屋さん最高!」
急に大声で叫ぶ雅。
「酔いすぎだ。バカ」
そう言って、ハナは夜の闇に溶ける様に走り出した。