勘違い
宇井は夜の時間、家から離れるためにコンビニで夜勤のアルバイトを始めた。宇井が住んでいるアパートの住人は、夜になると大音量で音楽を流し、大きなライトを持って周辺を歩き回る。宇井の部屋の扉を叩き、参加するように言ってくる日もあり、最近では宇宙人との交流を試みているらしい。
始めたての時は、バイト中に何度も寝てしまいそうになっていたが、一か月も働くと生活リズムも身についた。常連客と軽く雑談できるまでには馴染むこともできていた。業務にも慣れてくると、一人体制で任されることも多くなり、今ではそれが当たり前となっていた。業務も客も少ないため、宇井にとっては一人の方が気楽に働くことができた。
品出しが終わり、時計を見ると午前二時を回ったところだった。その時、自動ドアの開く音が店内に響いた。相手に聞こえるか聞こえないかのような声で「いらっしゃいませ」と声を出し、レジに向かった。
客は足早に雑貨が並ぶ商品棚にむかい、商品を手にとるとまっすぐレジに向かった。宇井は客の顔を見ずにレジに出された商品を見ていた。仏壇用の小さな蠟燭と線香、そしてライター。宇井が顔を上げると女が苛立たし気に財布を開けていた。
宇井はその女の顔に見覚えがあった。今日の昼間、夢の中で見た女だ。夢の中で女は刃物を持って公園を歩いていた。自分はその公園のベンチに座りながら女を見ていた。女がその刃物で何をしようとしているかは分からなかったが、止めた方がいいだろうなと漠然と考えていたことを覚えている。
女はレジを打たない宇井の顔を見て、少し顔を歪めた。
「あんた、今日の昼間、公園にいたよね」
女は少し早口に小声で言った。宇井はゆっくりと首を横に振る。
「昼間はずっと家にいましたよ。ここで働くためにしっかり寝ていました」
しっかりと言えばウソになる。今日の眠りは浅かった。
女は宇井の表情を見て嘘はついていないと感じたようで「じゃあ、あんたのドッペルゲンガーをみたのかも」と投げ捨てるように言った。宇井も「最近多いですもんね」と言い、レジを打った。
女の次に客が来たのは、午前三時を過ぎた頃だった。その客は缶コーヒーを二本持ってきて、宇井に話し始めた。
「今日もドッペルゲンガーを見た人が来たよ」
男は呆れたようにため息をついた。
「お疲れ様です。看護師さんは大変ですね」
宇井は心の底からそう思った。男はお金を払うと、缶コーヒーの一本を宇井に渡した。宇井はお礼を言い、男と二人で駐車場に向かった。駐車場の横にあるごみ捨て場は防犯カメラの死角になっているため、そこで二人は缶コーヒーで乾杯を交わした。
「そういえば、今日は僕のドッペルゲンガーが出たらしいんです」
宇井が言うと男は顔をしかめながらも、続きを促した。宇井は女性に言われたこと、自分が見た夢の話を男に説明した。男は「その女も、公園で見かけただけの宇井君の顔をよく覚えていたな」と笑った。
「よっぽど周りに注意していたのかも」
「見られちゃまずいことをしていたのか」
「ドッペルゲンガーって体から意識だけが飛ばされたものっていうじゃないですか。もしかしたら、僕の意識だけが公園にいて女性の行動を見ていたのかも。もしそうなら、包丁を持って歩いていたわけだし、まずいことなんじゃないでしょうか」
男は宇井の顔をまじまじと見て「目にクマができてるよ」と言った。宇井は話を逸らされたことを不満に思いながらも「よく寝たはずなんですけどね」と言いながら大きなあくびをした。
「宇井君、多分公園にいたのはドッペルゲンガーじゃないよ」
「違うんですか」
「実際に公園にいたのは宇井君本人だよ」
宇井は反論しようとしたが、男が話を続けた。
「睡眠時遊行症、治ってないんじゃないの。生活リズムが昼夜逆転して、またでてきたのかも」
男は再び通院することを勧めたが、宇井の耳には入っていなかった。公園での女の姿は夢じゃなかったのか。女のその後の行動を考えたが、どう想像しても嫌な気分になるばかり。女がドッペルゲンガーだと勘違いしてくれたことだけが幸いだ。