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SF短編集

本音しか話せなくなった日

もし、ネットのコメント欄みたいに、全世界の人間が本音を垂れ流したらどうなる? そんな、最低で、もしかしたら最高かもしれない世界のSFだ。

 それは、世界中の誰もが、同時に発症した。


 月曜の朝。僕、田中は、いつものように満員電車に揺られていた。目の前には、派手な香水をつけた女性。

(うわ、香水きっつ……)

 そう思った瞬間、僕の口が、勝手に動いた。

「うわ、香水きっつ……」

「はあ!?」

 女性が、鬼のような形相で僕を睨む。やばい、心の声が漏れた!?


 だが、異変は僕だけではなかった。

「このオヤジ、加齢臭やばいな」

「前髪切りすぎた、恥ずかしい」

「会社、行きたくねえ……」

 車内のあちこちで、人々が、自分の思考を、そのまま垂れ流し始めたのだ。


 謎のウイルスか、宇宙人の仕業か。原因は不明。ただ、人類は、嘘やお世辞、建前といった、コミュニケーションに必須の潤滑油を、一夜にして全て失った。


 世界は、大炎上した。


 会社に行けば、

「おはよう、田中くん。そのネクタイ、センス悪いね」

「部長こそ、そのカツラ、昨日よりズレてますよ」

 朝の挨拶は、罵詈雑言の応酬に変わった。会議は、

「その企画書、三日前に考えたやつつだろ。中身スカスカだ」

「うるさい! 俺だって、本当はこんな仕事やりたくないんだ!」

 本音のぶつけ合いで、一分と持たずに崩壊した。


 家庭では、

「あなた、私のこと、本当に愛してる?」

「いや、正直、三年前に冷めた。今はもう、ただの同居人だと思ってる」

 長年連れ添った夫婦が、数秒で離婚した。


 国際外交は、言うまでもない。

「貴国との友好を、心より願っております(……とでも言っておけば、援助を引き出せるだろう)」

「ええ、我々もです(……この隙に、我が国の製品を高く売りつけてやる)」

 首脳会談は、腹の探り合いではなく、殴り合い寸前の罵倒合戦へと変わった。


 社会は、機能不全に陥った。建前で成り立っていた、脆い人間関係は、全て崩壊した。


 だが。


 全てが壊れ、灰になった、その数ヶ月後。世界に、奇妙な変化が訪れ始めた。


 嘘がつけない、ということは、誠実な人間が、誰の目にも明らかになるということだ。


「この商品は、正直、値段の割に大したことない。でも、俺が丹精込めて作ったんだ。買ってくれると嬉しい」

 正直すぎる八百屋は、逆に行列ができた。


「俺は、お前のそういう、ちょっと抜けてるところが、見てて飽きないから好きだ」

 不器用だが、本音の告白で、新しいカップルが生まれた。


 僕の会社でも、無能だが口だけは達者だった部長はクビになり、口下手だが、誰よりも会社の未来を真剣に考えていた、僕の同僚の鈴木さんが、新しいリーダーに選ばれた。


 僕たちは、もう、腹を探り合う必要がない。相手の言葉の裏を、読む必要もない。そこにあるのが、剥き出しの「本音」だけだからだ。


 先日、僕は、元部長と、飲み屋でばったり会った。

「よお、田中。俺は、お前のことが、あの頃、死ぬほど嫌いだったぜ」

 元部長は、ビールを呷りながら、そう言った。

「ええ、知ってますよ。僕も、あなたのこと、心底、無能だと思ってましたから」

 僕も、正直に答えた。


 僕たちは、一瞬、見つめ合った。そして、なぜか、同時に、腹を抱えて笑い出した。


 嘘で塗り固められた世界は、確かに楽だったかもしれない。だが、本音しか話せなくなったこのクソみたいな世界も、案外、悪くない。

社会ってのは、案外、嘘や建前で成り立ってる、脆いもんなんだよな。全部ぶっ壊れたら、案外スッキリするのかもしれねえ。

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