目立たない人生
バタバタバタバタッ
幸の家の前の道路を勢いよく走る音が聞こえる。
走る音はかなり早く、その速度から、かなり急いでいるのが分かった。
走る音が止まると、次は勢いよく玄関の扉が開かれた。
「はぁ…はぁ…だげ…どりぐん!だげ…どり…くんッ!!!」
走っていたのは、青ざめた顔をした癒菜だった。
扉に入り、靴を玄関に脱ぎ捨てそのままリビングの方へと向かう。
リビングには、神妙な面持ちの紫が椅子に座っていた。
癒菜と紫は目が合うと、咄嗟にお互い強く抱き締め合う。
「ママ…ッ!!!」
「むらざぎ…ぢゃんッ!!よがった…。ぶじてで…!!」
「…!?ママ…!声が……。うぅ…ずっと会いたかった…!!」
2人はお互いの無事な姿をみて安堵し、涙を流す。
その姿はまるで本物の家族そのものだった。
しばらく抱き合うと、落ち着いてきた紫が癒菜の顔色が悪いことに気付き、様子を伺う。
「ママ…?グス…ッ…大丈夫?顔色もなんだか悪い気がするよ。声も酷い…。無理しないで。」
涙を流す紫が自分を心配している事に、母性を感じた癒菜は頭を撫でて、紫の涙を拭う。
「…わだじ…は…だぃ…じょぶ…。グス…ッ。ほんど…に…ぶじ…でよがった。」
頭を撫でられた紫は、甘えるように癒菜のお腹に抱きつく。
紫もかなり心身ともに疲弊しているのか、離れようとしない。
そんな紫を受け入れつつも、癒菜は他のみんなの居場所を聞き出す。
「むらざぎぢゃ…、だげどり…ぐんはどご?ぞれに、ネンネざん…だぢは…?ごれがらの…事とかはなじて、ノノぢゃんをだずけないといけ…ない…!」
「…ッ!えっと…パパは…」
「…?」
癒菜の問いに対して、明らかに動揺を見せる紫。
おかしな質問はしていないのにもかかわらず、動揺を見せる紫に違和感を覚える。
謎に話ずらそうにする彼女に対して、癒菜は様子を伺う。
「…むらざぎちゃん…?どうかじたの?だげどりくんに何かあった?」
紫は口をモゴモゴしながら、若干悲しそうな表情でゆっくりと答える。
「…えっと…パパは2階にいるけど、会わない方が良いと思うわ…。」
"会わない方が良いと思う"この言葉の意味が分からない癒菜。
今は一刻を争う緊急事態であり、みんなで協力して、この窮地を脱することをしなければいけない。
ノノカの命に関わる話であるのに、肝心な幸と会わず、話さないというのはあり得ないことだった。
癒菜は紫の言葉に引っ掛かりつつも、2階へと歩を進める。
2階には幸とノノカが寝ていた寝室があり、そこに幸が居ることは分かっていた。
癒菜は2階の寝室前に向かい、紫はその後を気まづそうに付いていく。
到着早々、部屋の中からはカリカリとペンが紙を走るような音が聞こえてくる。
「だげどりぐん!だいじょぶ…?ごごにいるってぎいたけど…へやに入る…よ?」
返事はない。
癒菜は深く息を吸って、ドアノブに手を掛けた。
ガチャッ
部屋の中では、幸が机に向かって勉強をしていた。
薄暗い部屋の中、窓から差し込む光だけが彼を照らしている。
身体には多くの傷を治療した痕が残っており、太ももには血が滲んでいる包帯が巻き付けられていた。
「………」
「…だげどり…くん…?」
癒菜の声は震えていた。
幸は集中しているのか、全く癒菜の呼び掛けに反応しない。
呼び掛けても無視されるため、肩を叩いて呼び掛けると、ようやく癒菜達の存在に気付いたような反応を示した。
「だげどりくんッ!!ねぇ!なにじてるの!?」
「…ッ!?あ!…あぁ…夢坂さんか。凄い声…。大丈夫?というか…無事だったんだね。良かった…。」
「じんばい…してぐれてありがどう。でも、なにじてるの?……ゼェ…ゼェ…べんぎょぅ…?だげどりぐん…ぃまのじょきょう…わがってる??」
こんな緊急事態に机に向かっている幸を見て、癒菜は理解が出来なかった。
幸は妙に落ち着いていて、まるでこれまでのことを忘れているような雰囲気だった。
「状況って言った?状況…って?何の話してるの?」
癒菜の問いかけに対してもあっけらかんとした反応で、とうとう癒菜の堪忍袋の緒が切れる。
語気を強めながら幸に迫っていった。
「ノノぢゃんよ…!!あなだ、ノノぢゃんがづれざられぢゃったの…じっでるよね?!なんでごんなどきに…勉強なんでじでるのよ!」
「声が大きいな…。そんなの知ってるよ。でも、俺らには何にもできないだろ?だから勉強してるんだよ。学業は学生の本分でしょ?何日も学校休んでたから、休んでた分取り返さないと。」
そう言うと、幸はまた座っていた椅子を回転させて、机の方へと振り返りペンを握る。
「は?…ゼェ…ゼェ…なに…いっでるのよ!?ノノぢゃんがなにざれでるのか、なにざれるのか…じっでるでしょ!?ほん…どに…なに言っでるの!ふざけるのもいいがげんにして…よ!!」
完全に回復していない状態で大声を出した反動で癒菜は激しく咳き込む。
「ゴッホ…ゴホッッ!!…ゼェ…ゼェ…」
「ママ…ッ!!大丈夫…!?」
激しく咳き込む癒菜を紫は背中を擦りながら支える。
喋るのもきついであろう癒菜がそれでも幸に向かって怒声を浴びせながら行こうとするので、紫は必死に止めた。
怒声を浴びせられた幸も徐々に怒りで震えるペン先を握りしめながら癒菜に言い返し始めた。
「そっちこそいい加減にしろよ!俺はふざけてなんかない!!ほら、この傷見えるか?!拳銃で一発だ!たった一発で動けなくなって、撃ち処が悪ければ死んでもおかしくなかった!俺らなんてこんなもんなんだよ!国家に対して、なにかできることなんてなにもない!ノノカを助かるために、この国に呼び掛けるか?ソメリカのような大国にたった数人の学生達で喧嘩でも売りに行くのか?現実みろよ!!」
血の滲んだ包帯を見せつけ、癒菜を睨み付ける。
幸はこれまで起きた全ての事象に対して罪悪感と無力感に打ちひしがれていた。
考えれば考えるほど、鬱のような症状は悪化していき、とうとう眠れなくなってしまっていたのだ。
「あのネンネだって殺されたんだぞ…。知らないだろ。石作がボロボロになって亡骸を持ってきた。裏庭に皆で埋めてある。そんなもんなんだよ!牙もなにも残っちゃいない。無力でちっぽけな存在なんだ…。」
「えっ……。う…ぞ………でしょ…」
突然の幸の告白に、驚きを隠せない癒菜。
ネンネという頼れる存在の死を聞き、肩を震わせる。
紫も2人の話を聞きながら、涙を浮かべた。
「俺はもう戦わない。これから元の生活を取り返す。アイツが居なくなって、ようやく静かで目立たない生活が戻ってくる。諦めかけてた安定した将来に向かって駆け抜けていくつもりだ。」
幸は淡々と言いきった。
まるで心を閉ざしたように。
「だからーー学級委員長、これ以上邪魔しないでくれ。」




